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【 エッセイ 】 警察官の言葉

警察官を見ると妙な親しみを抱いてしまう。
といっても親が警察官だったとかかつて警察のお世話になったとか、そういうことではない。

私が大学4年生の頃のこと。
大学に入り、行き帰りに自転車が必要になったので新品の自転車を買って使っていたが、古くなって買い替えなければならなくなった。

新品の自転車を買いたいところだったが、あいにく当時の私にはそれを買うお金がなかった。

そこで中古の自転車を買うことにした。
確か6000円くらいだったと思う。見た目のボロさは否めないが、乗り心地は悪くない。私はこの自転車を気に入っていた。

ところが、この自転車に乗るようになってから急に街中で警察官に声をかけられるようになった。それも相当な頻度で。
とにかくパトロール中の警察官と目が合えばほぼ百発百中で止められるという具合だった。

用件はいつも決まって「あまりにもボロボロなので盗難自転車でないか調べさせてもらう」ということだった。

失礼な話である。中古とはいえきちんとした店で購入した自転車だし、防犯登録だってしている。疑われる謂れはこれっぽっちもないのである。

急いでいるからと言っても聞く耳を持ってくれない。「こちらも不審な自転車を見かけたら確認はしないといけないので。」の一点張りだ。

結果は当然いつもシロ。
警察官は「もう大丈夫です。」と無愛想に言うだけで「ありがとうございました」とか「時間をとってすいませんでした」の声掛け一つもない。なぜこれほど高圧的なのだろう。

何となくモヤモヤした気持ちで再び自転車に乗り出す。そんなことがほとんど毎日のように繰り返された。

私は少しうんざりしてきた。
いくら仕事とはいえ、毎回毎回呼び止められて時間を取られるのは正直苦痛だ。高圧的とも思える態度も気になる。今度呼び止められたら少し思うところを言ってみよう、そう決めた。

翌日、最寄り駅から家への帰り道、パトロール中の警察官とすれ違った。

「すいませーん、ちょっと止まって。」

また始まった。
今日は毅然とした態度で臨もうと決めている。話しかけてくる警察官と目線をあえて合わせないようにしながら言った。

「もうこれ、何十回も呼び止められて聞かれてます。やみくもに声をかけるとかじゃなくて、もうちょっといいやり方ないんですか ? 正直少し迷惑なのですが。」

相手は一瞬驚いた表情を見せた後、こちらをまっすぐに見て言った。

「申し訳ありません。」

驚くのはこちらの方だった。
思っていたリアクションと違う。高圧的な空気感がまるで感じられない。今まで出会ってきた警察官とは雰囲気が少し異なる。
戸惑う私を見てその警察官はこう言った。

「本当にすいませんね。善良な市民の方に迷惑をおかけするのは心苦しく思ってるんですが、なんせ私らは頭が悪いもんで、こんなやり方しかできへんのです。何とか協力してもらえませんか ? 」

全く思いもよらない言葉に耳を疑った。
今まで数十回と警察官に止められてきたが、こんな言葉をかけられたことは一度もない。

しかし、その言葉は不思議とすっと心に入ってきた。もはや何か抗議しようという気持ちも消え失せていた。

順番に質問に答えていく。
質問は全て的確で驚くほどスムーズに聴取は終わった。私はすぐに先ほどの警察官の言葉が意図的な謙遜であることに気づいた。

「どうも失礼しました。今帰りかな ? 雪が降ってるから気をつけて帰ってください」

そう声をかけられその場を去った時、実に不思議な気持ちになった。今までモヤモヤした気持ちしか抱かなかったが、さっきの警察官の実にスマートな態度は何だろう。一つも嫌な気がしなかった。

プロだ、そう思った。
相手に不快な思いをさせないようにあえて謙遜し、間違っていたら素直に謝る。自分の仕事に誇りとプライドを持っている人にしかできない振る舞いだ。あの人は間違いなく警察官という仕事と真摯に向き合っている。

そう感じた時、清々しい思いがした。
これまでの苛立ちが嘘のように吹き飛び、尊敬できる人に出会えた喜びだけが心に残っていた。

同じ仕事をするのでも、その向き合い方一つでその質は大きく異なってくる。自分の中で警察官という職業の人を見る目が180度変わった。
自分の仕事に真摯に向き合うことがいかに大切か、私は教えられた気がした。

自分ももうすぐ社会人となり働き始める。その時は、あの警察官のようなひたむきな姿勢で仕事と向き合っていきたい、心からそう思えたことに初めて感謝の気持ちが芽生えた。

家までの帰り道、夕方だというのにまだ空は明るかった。春がもう間近に迫っていた。




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