多様性について

幸せな人間は、自分と他人の境界が曖昧で、自分の範囲が広く、身近な他者も自分の一部だとみなしている。
さらに範囲を広げると、個人を、人類という一つの巨大な太陽から飛び出たプロミネンスだと位置付けることで、自分も他者も大元では繋がっており、成功も失敗も人類全体で共有されているという考えを持っている。

そのような人間は、他人と自分が共有されているので、精神が安定している。
成功と失敗が自分だけのものではなく、他人と共有されているという意識を持っているからだ。

自分が失敗した時は、それが自分だけの失敗ではなく、自分を含めた人類全体の失敗である。
ある他人が失敗したときは、それがその他人だけの失敗ではなく、その他人を含めた人類全体の失敗である。
自分が成功したときは、それが自分だけの成功ではなく、自分を含めた人類全体の成功である。
ある他人が成功したときは、それがその他人だけの成功ではなく、その他人を含めた人類全体の成功である。

このように他人と共有されている意識が強い人間は、自他が失敗した時に過剰に責めることがなく、自分が成功したときに過剰に驕ることもなく、他人が成功したときに過剰に嫉妬することもない。

自他の境界が明確で、他人と異なる部分に重きが置かれ、個人の成功、失敗が個人だけのものになっている現代人にとって、『多様性を受け入れよう』という言葉は滑稽である。そのような人間の大半は、他人と異なる部分のみに価値があると勘違いしているため、僅かなその部分を探し求めて必死である。自分に症状をつけたがる人間がその最たるものである。自他を切り離し、他人と異なる部分のみを愛し、人類そのものを愛そうとしないから苦しいのである。
第一に愛すべきは他人と共通している部分ではないだろうか。
はっきり言って、個人の違いなんて、ほとんど無いに等しい。どれもこれも人間の範疇を出ないものばかりである。
個人間の差異(プロミネンス間の差異)ばかりを愛して、人類(太陽)そのものを愛せない人間ほど、多様性が〜と言いがちである。



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