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note毎日投稿する理由を考える

昨年(2023年)、12月17日から毎日noteの投稿を続けると「自分との約束」をして今日で丸5か月が経ちました。

アカウント登録は2023年の1月にしたけれど、「書く」ことに気負いすぎてなかなか書けず、悪戦苦闘してほとんど投稿できないでいました。

投稿をするきっかけになったのは、昨年10月に頚椎椎間板ヘルニアの手術入院をし、3ヶ月の休職をすることになったこと。
首は固定され、外出もままならず、在宅療養の折、noteにアカウントを作っていたことを思い出しました。

神さまからのサプライズと思えた療養期間に、偶然受けたnoteのセミナーをきっかけに、気負わず「まずはやってみる」からスタートしました。

そして、その日から毎日続けてみて、いろいろ感じたことがあります。

その1. 出会いにときめく
Facebookは随分前からやっていましたが、これはあくまで顔見知りの友人・知人との間のやりとりに終始していて、SNSの醍醐味は感じていませんでした。
一方noteでは、毎日、「はじめまして」の新しい出会いがあります。
これは、本当に新鮮な感覚でした。

その2.「スキ」やフォロー、コメントが有難くて
専門性があるわけでもなく、日記の延長線上のような日々のなにげない出来事や気づきを書いた投稿を、時間を割いて目を通してくれる人がいること。
これは本当に有難いことと思っています。
さらに共感のリアクションやコメントをいただくことは、本当に嬉しくこの上なく有難く思います。
そして、毎日続けていると、過去に投稿した記事にもリアクションがあって、それはまるで投資で言うところのドルコスト平均法的な感じで、コツコツ「スキ」が積みあがっていくのも、毎日続ける醍醐味だと思います。

その3.note事務局からのメッセージに励まされて
「スキ」した数、「スキ」された数、たくさん読まれたよ、マガジンに追加されたよ・・・などなど、細目にメッセージや記念のバッジがやってくる。
しかも、なかなかタイムリーに(笑)
うまくできているなぁ、と感心しながら、素直に喜び、続ける際のモチベーションのひとつになっています。

そうして休職期間から始めたnote毎日投稿でしたが。
復職して、徐々に日常が休職前のペースに戻ってくると、すこし異変が。

頭の中の「仕事」占有率が高くなってくると、日々の小さな「気づき」を感じたり、何かについて考えたりの時間が極端に減ってしまい、noteに「書きたいこと」が見つからない💦と感じる日が少しずつ増えてきました。

投稿に追われ、ネタを探すのでいっぱい、いっぱいな感じに。
仕事も忙しくなり、ついに「毎日投稿」が途切れた日がありました。

正直、凹みました…。

気を取り直して、また「毎日投稿」を再開するも、またまた41日目で投稿が途切れて。さすがに、もう「毎日投稿」はできないかもと、かなり凹みました…。

この時、私の中で「毎日投稿」することが、もしかしたら『目的』になってしまっていたのかもしれません。

それまでは、「今日は何を書こうかな」と「書くこと」そのものを楽しみにしていたのに、自分の中にそんな余裕がなくなっていることに気がつきました。

「いや、ちゃうちゃう。毎日の投稿を通して、誰かと〝つながる〟ことを新鮮で楽しいと思ってたんとちゃうんか…」

と。

深く考えず始めた「毎日投稿」だったけど、続けて気がついた「一期一会」の醍醐味や、記事を書いている束の間、自分と向き合ったり、これを読んでくださる方のことを考えたり、そうしている時間そのものが「自分の居場所」で心地よかったり。

私にとっての「毎日投稿」は、私が私らしい時間を持ち、noteの醍醐味を味合うための「手段」であることが見えなくなっていたような気がします。

今日は仕事を早々に切り上げて、家に帰り、夕飯の後、この記事を書いています。

これからも途切れる日があるかもしれないけれど。
それも愛嬌と思って、こうして投稿しつづけることをライフワークにしていきたいな、とそう思っています。

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