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彼女に学ぶ

娘が高校を卒業する。海外に住んでいたので、二年間ほどしか在籍していなかったけど、全く勉強していなかった古典や日本史等の勉強もしっかり導いてくれ、第一志望の大学に合格した。本人の努力はあれど、学校には感謝してもしきれない。

というわけで、卒業式後に開催される卒業パーティー運営のボランティアを募っていたので、私も参加している。娘も成り手のいなかった一つの係の責任者となった。今まで日々のラインでなんとなく状況をわかっているつもりだったけれど、先日、初めて親たちと生徒によるミーティングに参加してみた。

親たちの一番の懸念は、書道部によるパフォーマンスだ。たった3人で、短い時間で用意し、発表、片付けができるの?紙は高く3万円もかかるという。本当にできるのか?予算は本当に3万円も必要なのか?親にお手伝いを頼むにも、着飾った親御さんは墨汁で汚れるのを躊躇して手伝わないだろう。あらかじめ作品を書いておき、掲示するのはダメなのか?など、親側の不安やアイディアを書道部の元部長さんに矢継ぎ早に突っ込む。私からみても、親たちが書道パフォーマンスを諦めさせたいのが見てとれる。正直、私も何がなんでも卒業パーティーで書道パフォーマンスをみたい、という気持ちはしない。

一方書道部の元部長の女子生徒は、大人たちの質問にしばらく無言を貫き、一呼吸置いたのち、不遜とも取れる態度で「正直言って、大人たちが何を心配してるのかわかんないっす」と言った。拍子抜けする親たち。まぁまぁ、じゃあ他のダンスや歌などのパフォーマンス発表をする生徒達と一緒によく話し合ってと振られて、銘々別れる。

私は本来、当日会場飾り付けをする部署担当だったけど、パフォーマンスの子達の様子が気になり、こそっと混ざる。その日、その場にいたのは、ダンスを発表する子(責任者)、当日音響を担当する放送部の男子2人、書道部の女子2人と、大人の私。音響の男子は文化祭などでも音響を担当していたとのことで、技術的な面や備品もよくわかっていて、とてもしっかりしている。責任者の女子は、皆の意見をよく聞き、まとめようとするが優しすぎてオロオロしている。書道部の部長さんによくよく話を聞く。

部長「大人怖い…。そもそも、大人は片付けとか手伝いとかって言うけど、最初から片付け手伝ってとか思ってないし。知らない人に手伝ってもらうなんて、ヤダ。無理。触って欲しくない」
私「じゃあ、一番譲れないのは何?」
部長「書くこと」
私「そっかー」
その後、あらかじめ太字は書いておいて、そこに小筆で付け足すのは?とか、書いたあと手伝いを必要とせず3人で掲示できるように、ベニヤ板に紙を貼って書くのはどう?とか、高さ4メートル横8メートルの紙に3人だけで書いて持ち上げるのはあまりにも無謀だから、サイズを小さくするのはどう?とか、振り落としの機構で作品をバンっと見せるのはどう?とか、色々提案した。もう一人の書道部の子はリアリストで、大人の心配も汲んでくれているのだが、何せ部長が頑なで、「絶対ライブで巨大な紙に書いて、見せる!」と譲らない。

彼女たちと話をしていたら、どんどん私も楽しくなっちゃって、この頑なさや、「やりたい!」という純粋な気持ちや何者をも恐れない心意気に惚れ惚れしてしまった。

大人になると、エコロジーとエコノミーを一番に考えてしまう。なるべくお金をかけない方向で、反対意見ややる気のない人を説き伏せたり熱を与えるのに疲弊して、ゆるくぼんやり生きる。疲れないように、傷つかないように。

でも、彼女の熱に打たれ、やりたい!という純粋なエネルギーだけで、人って動かされるものだなぁと思った。彼女のやりたい気持ちは、私の心にも火をつけた。思えば、高校時代の私も彼女のような人だった。何も怖くなかった。

結局、数時間の会話中、彼女の気持ちは一ミリも変わらず、じゃあやりたいことをやるには、具体的にどうしたら良いかというちょっとダークなアドバイスを少ししただけで終わった。彼女の味方の大人が一人いる、ということは伝わっただろうか。本番は3月初めである。彼女の勇姿が楽しみだ。私は卒業生保護者らしからぬ墨汁で汚れても良い格好で行くだろう。それも本望だ。


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