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私の「赤毛のアン」

最近この本を読み始めた。

脳科学者の茂木健一郎氏が「赤毛のアン」の物語を通して幸せとは何かを探求する。
面白いコンセプトだと思った。

赤毛のアンは、子どもの頃から私にとって身近な物語だった。
大判のハードカバーの絵本が家にあったため、繰り返し繰り返し読んだ。
大人になると、同じ本を読み返すことがめっきり減ったが、子どもの頃は気に入ったものは絵本でも映画でもアニメでも繰り返し繰り返し見たものだ。

大人になり、アメリカ人の友人から「これ私が一番好きな本」と勧められて原書で「赤毛のアン(Anne of Green Gables)」を読んだ。
「赤毛のアン」の初版が発行されたのは1908年。
今はあまり聞かない言い回しや、物の名前だとかが頻出するので、読み進めていくのは簡単とはいえなかった。

恥ずかしながら茂木氏の本で「赤毛のアン」は一冊完結じゃないことを知った。
全部で8巻もあるらしい。
茂木氏は高校時代に原書で全て読破した上、シェイクスピアやアラン・ポーなども英語で読むのだそうだ。

私は英語を使って生活するようになって長いが、茂木少年のこの努力には脱帽する。


赤毛のアンは孤児院から老兄妹の元へ養子として引き取られる。
農作業を手伝わせるのに男の子の養子が欲しかったのに、何かの手違いでやってきたのは赤毛でおしゃべりの少女であった。

これが赤毛のアンの始まりだ。
本の半分くらいは、読んでいても本当だ、こんな子がいたら疲れてしまうかもしれないと思うほどにおしゃべりで、感情表現が大袈裟で、小さな村で問題ばかり引き起こす。

でも、愛着が湧くというか、アンのことが嫌いになれない自分がいた。

それは、引取先のマリラもそうだった。
マリラは敬虔なキリスト教徒で清く正しく寡黙に生きる女性。
そして、アンにもそれを求めるがアンは失われた少女時代を取り戻すように女の子らしく、少しませていて、時にやんちゃな日々を過ごす。

アンは学校の女の子たちが着ている袖口や襟にフリルのついたワンピースが欲しい、とマリラに頼み込む。
マリラは断固拒否する訳だが、アンの必死っぷりと言ったら、読者も「お願い、私がお金出すからこの子にフリフリのワンピを!」と思ってしまう。

時は経ち、アンが地元の学校を卒業し、優秀だったアンは更に上の教育を受けるため引っ越すことになる。
その頃だったと思う。私はこのシーンが一番心に残っている。

マリラが「もうあまりおしゃべりじゃないのね」とアンに言う。
アンは「うん、もうおしゃべりしたいって気分にならないの、不思議と」と答える。

この小さな場面がどうしてか涙を誘った。
本を置いて、私はしばらく泣いていた。
少女が確実に大人に近づいていく儚さ、子供時代は誰にとっても特別な宝物だと思った。

たくさん間違いを犯し、笑い者にされ、泣いて謝って遊んで怪我もするかもしれない。
アンはそれを全部読者の前でやってくれた。
そしてあっという間に立派な女性になっていった。

大人になって読んだからこそ、アンが私の元から巣立っていくという親のような気持ちになったのかもしれない。


「赤毛のアン」から学ぶことは多い。
アンはプリンス・エドワード島の日常に美しさと喜びを見出した。そしてそれを周りの人に伝え続けた。
私にも日常の小さな喜びを感じることを教えてくれた大切な人たちがいる。
観葉植物が小さな芽を出したこと、にんにくがつるっと剥けたこと、カリフォルニアでは身近なヤシの木と夕日の美しさ。

アンはいつも自分で自分を幸せにしてきた。
何かが手に入れば、夢が叶えば、この人と結婚できたら、こんな仕事が出来たら、私たちはなかなか目の前にある幸せを見ることが出来ない。
大人になって読む「赤毛のアン」はまだまだ多くのことを教えてくれる物語だった。

8月30日 水曜

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