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父のこと。戦争による複雑性PTSDと認知症の周辺症状のこと 2

父は子供の頃の話をほとんどしたことがない。だからほとんどは叔父から聞いた。
 
1945年3月10日、東京大空襲。
この日、次姉17歳、弟9歳7歳を亡くした。同じ方向に逃げると全員死ぬかもしれないから、と二手に分かれて。
 
父親(私の祖父)と一緒にいた3人が死亡。祖父も生死をさまよう大やけどを負ったそうだ。戦争が終わる5か月前、清潔なガーゼや薬などある訳もなく。
運が良かったのは祖父の実家が農家だったから、卵があった。
 
叔父によると祖父は半年くらい、卵風呂に浸かっていたらしい。子供を3人死なせてしまったことで、その後4-5年仏門に入っていたと聞いた。
 
空襲で家族が死んだり、焼夷弾が雨のように降り、町中が火の海でどこに逃げたら分からない中、何時間も逃げることがどういうことかわからない。私の想像を超えている。父はこの時14歳。
 
逃げている時、目の前を走っていた人が焼夷弾に打たれて倒れたと言う証言を読んだこともある。
町中が火事だから熱さから逃れるために隅田川に飛び込む人がいたけれど、
 
向こう側から川面を舐めるようにサーっと火が走ってくるんだよ
 
父が話してくれた戦時中のエピソードの一つ。

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