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父のこと。戦争による複雑性PTSDと認知症の周辺症状のこと エピローグ

家族を大切にして仕事を一生懸命にしても、戦争を経験している人たちは戦争の話をしない。戦地に行かなくても、原爆や沖縄戦、全国の空襲で生き残った人たちも。父もその一人。それだけ思い出したくない、言葉にできないほどのこと。
 
子供の頃は両親から大事にされて、子供らしいわがままもあった。条件付き愛ではなく、家は本当に安心できる場所だった。父親が病気で倒れたのは私が30代になってから。
 
認知症についても複雑性PTSD同様、心が追い付かなくて十分に調べられない。まだ知らない・わからないことが多い。父も苦しんだだろうけど、私たち家族の苦しみも筆舌に尽くしがたい。
 
やっと父親の事を考えても、心の中が暴風雨ではなくなり、凪ぎの状態になってきた。それでもまだ会いたくない。
人と話したり書いてアウトプットすることで、自分の中に渦巻いていた強い憎悪が少しずつ昇華している所だ。

これからも自分の心がもっと穏やかになるために、父と戦争、心の問題に向き合い続けようと思う。自分には関係ないと思っている人たちも、親との関係に苦しんでいる人たちは、戦争が発端かも知れない。聞ける人がいるなら、家族の歴史を聞いてほしい。そこに答えがあるかも知れないから。
 

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