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【小説】ハッピーアイスクリーム・⑤世界史教師と怪談とけしごむ

ハッピーアイスクリーム ⑤
 ハッピーアイスクリームは何かを同時に言ったときの合言葉、及び呪い?
 葛飾は帰り道に光るものを振り上げる男を見て、その男らしき夢を見て、いつのことだかわからない不吉なニュースを見た。シバタは原稿が仕上がらないのに、夢を記憶できる女の動画なんか見ている。

何度も言いますが、どっから読んでもあんまり問題ないようです。


「わかったよ」
 いきなり片田さんが、頬杖をついていた葛飾の手を外しにかかった。黒板の上にかけられた時計を見ると、とっくに五時間目が終わったところで、もう教室には自分と片田さんしかいない。自分はまた眠っていたのだろうか。
「何が?」
「昨日の四限にハッピーアイスクリームって叫んでたのって、生徒の誰でもなかった」
「どういうこと?」
 片田さんによると、あの日、あの時間に体育の授業はなかったという。
「なんでわかるの?」
「体育の西川に聞いたから」
「西川に?」
「手始めに隣のクラスの女子に聞きに行ったら、たまたま西川が通りかかったんだけど、あの日の四限は体育はなかったって。だから、女の声がしたなら校庭からじゃなかったんじゃないのかって」
 そう言うと、片田さんは教室を出ていった。あわてて机の上のものを鞄に突っ込んで後を追ったが、もういなかった。渡り廊下の先に体育の西川と世界史教師り横顔と丸い背中が見える。
 葛飾が二人を見ていると世界史教師が振り返った。西川が渡り廊下の先の体育館に消えて、一人になった世界史は葛飾の立っている方に歩いてくる。
 二人の距離は五十メートルくらいだ。板がたわんでいるところでもあって、ぎしぎしとでかい音がする。そばまでやってきた世界史は、葛飾の認識している顔となんだか違う。どう違うのかと言われても言葉にはできない。だいたいこの人の顔をこんなに間近でとらえたことがない。それならどうして違うと言えるのか。もしかすると、自分はこの顔をどこか違う場所で見ているのかも知れない。でも、それもどこなのか誰なのかわからない。
 世界史は葛飾にむかって、「葛飾」と名前を呼んだ。名前を呼ばれたということは、やっぱりこの人は世界史教師なんだろう。
「はい」
「こんなところで何してるんだ。時間だぞ」
「え、もう授業終わりですよね」
 授業で寝てばかりいるから、嫌味のひとつくらい言われてもしかたがないが、さすがにそれは。
「授業のことじゃない。おまえが授業に出るはずがない」
「は?」
「おまえはここの生徒じゃない」
「は…」
 何言ってんだこいつ。
 ここは、葛飾のいる学校ではない。
 世界史教師は教師だけど自分の教師ではない。
 あの日校庭で聞いたのはいったい何だったのか、しかもそれは自分の学校の校庭ではないという。あるいは、それを聞いたのは自分ではないのか。
「とにかく、時間だ」
 世界史教師は、さっさと職員室のある方角に向かって歩き去っていった。


 動画タイトル 怪談  20×× 7月×日投稿
 
『これは、友達のKが小学生だったときの話なんですけど』
『サラリーマンのAさんは、一人で会社に残って残業していました』
『僕の住んでいる家の近くにコンビニがあるんですけど、駅から結構離れた場所だし駐車場も小さいから、いつも客がほとんどいないんです』

 いきなりですが、これ、ぜんぶ怖い話、いわゆる実話怪談の出だしなんです。
 怪談話の怖さっていうのは、霊やもののけが現れる前段階にあると思うんです。前段階というのは、最初の怖くもなんともないところね。
 たとえば、友達のKが小学生だったときの話って言われても怖くないでしょう?ほんの入り口ですから。サラリーマンのAさんが一人で残業。一人で夜更けの会社にいるって最近はあまりないんですかね?ま、怪談って古い話も多いですから、実際こういうシチュエーションはよく出てくる。
 三番目は、少し意味深です。近所のコンビニには、いつも客がほとんどいない。
 これだけでもう何かありそうですけど、まだ日常の範疇は出ていない。
 実話怪談って、出てくる人がごく普通なことが多い気がするんです。これがサスペンスドラマだと、殺す人も殺される人も複雑で、大金持ちの遺産相続がどうしたとか、顔も見たことのない生き別れの兄とか出てくるんですけど、怪談にはそういうのがあまりない。
 会社で残業していた。古いアパートに引っ越した。ただそれだけです。
 とはいえ、怖い話に出てくる人が平凡だってことじゃないですよ?怖い部分に引っかからない限り、人物については語られないだけです。怖いものって、たいした動機もなく現れることがよくあるんで、壮絶な人生とか案外関係ないのかもしれないですね。
(ため息をつく音がする)
 ところで今日、僕は昼飯を喫茶店で食べたんですけど、厨房に髪の毛をひとつに縛っててちょっと疲れた様子の女の人がいたんですよ。いかにも怪談に出てきそうだなって思いましたね。
 仮に、Sさんとしましょうか。あ、登場人物がアルファベットなのも怪談の特徴です。もちろん怪談に限らないですけど、星新一の小説に出てくるS氏と、怪談のSさんとでは違うでしょ。S氏は謎めいているけど、Sさんはいますからね。ほんとうにいますから。
(咳こむ音。しばし間があいて話し出す)

 Sさんは夫と離婚したあと住み慣れた町を離れると、知り合いが誰もいない町に引越して、喫茶店で働き始めました。喫茶店と言っても、コーヒーやケーキだけではなく、カレーや焼き蕎麦も出す町の定食屋のような店だったので、料理が得意だったSさんはすぐに重宝がられて、看板メニューを考案することになったそうです。
 Sさんはよく、店が終わったあとに一人でメニュー作りをしました。家に戻っても一人きりですし、誰もいない静かな厨房でこつこつと料理を作っているのは、不思議と心が安らぐのだとか。
 ある日の夜、厨房でSさんがじゃがいもの皮を剥いていると、ホールの方から人がぼそぼそと小さな声で話しているような音が聞こえてきます。ホールにはお客さんが見られるように小さなテレビがあるので、スタッフが消し忘れたのかもしれないと思ったSさんが見にいくと、電源はきちんと消えていました。
 空耳だったのだろうか。けれど厨房に戻ると、またぼそぼそと声がします。気味が悪くなったSさんは、適当なところで切り上げて帰ることにしたのですが、駅に着いたところで、携帯を忘れてきたことに気がつきました。あわてて帰り支度をしたせいだと思いながら取りに戻ったものの、ロッカーにも休憩用の部屋にも携帯は見当たりません。そもそも、最後に携帯電話を見たのはいつだったのか。そこでSさんはふと、昨日の夜知らない番号から着信があったことを思い出しました。あれから携帯をどうしたのかいくら考えても思い出せないのです。
 あきらめて帰ろうと思ったとき、ドアががちゃがちゃと回されるような音がしました。スタッフの誰かがやってきたのだろうか。それなら鍵を持っているだろうし、鍵を忘れたのなら外から声をかけるでしょう。やみくもにドアノブを回したって仕方がないのです。 
 こんな夜更けに、一人で店に入って行くのを誰かに見られていたのかもしれないと思うと、なんて迂闊だったのだろうと恐ろしくなりました。迷ったすえに、小さめの包丁を手にして、玄関を見に行きましたが、ガラス戸の向こうには誰もいません。酔っぱらいが家と間違えたのだと思ったら、途端に手に持った包丁が物騒に思えてきて、苦笑しながら厨房に戻ろうとすると、またしてもテレビがついているではありませんか。さっき見たときには、確かに消えていたのに。画面にはお笑い番組が映っていて、芸人が大きな口を開けて笑っているのですが、音が聞こえないのです。リモコンで確かめると、ボリュームがゼロに絞られていました。
 それからSさんは、一人で厨房に残るのはもちろん絶対に店で一人にならないように気をつけていました。
 大抵はスタッフかお客さんがいるのですが、たまたまお客が途切れて、スタッフも買い物や休憩に出て行ったほんの数分間の間に、どうしても一人になってしまう。そんなとき、妙な物音がする。スプーンが床に落ちたような音。ドアに着けたカウベルのちりちりという音。急いで見に行っても、スプーンも落ちていなければ、ドアの向うには誰もいない。そして必ず、音のないテレビがついている。
 あるいはそれはただの家鳴りでテレビの故障かもしれません。けれども Sさんの様子は日に日におかしくなっていきました。仕事は手に着かず、ぼうっとしたり、かと思うと猛烈な勢いで鍋を磨いてみたり。ついには厨房の隅でうずくまっている姿を店長が見かけて声をかけると、Sさんは奇声をあげて気絶してしまったのです。すぐに店長が近くの病院に運び込み、事なきを得たのですが…。
 その夜、台風のせいで店を早仕舞いしようとしていた店長のもとに、びしょ濡れになったSさんが店にやってきて…。
(再び、せき込む音)

 あれ。
 いつの間にかSさんが怖いものになってる。Sさんが普通の人側で怪談を作ってみようと思ったんですけど、むつかしいっすねえ。それに最後がまったく思いつかないや。
 はあ。ちょっと、水飲みますね。
 最近、氷水をポットに入れてるんですよ。健康のためには常温がいいとか言いますけど、ぬるい水って僕は厭なんです。なんか、みじめで。セレブな人が飲むならいいいですけどね。砂漠でぬるい水を出されても、僕は飲まない気がします。死にますかね。うん、死ぬな。ごほごほ。すみません、変なところに入ったみたいで。ははは。
 Sさん、あのあとどうなるんだろう。自分で考えておいて、僕にはまったくわからないです。
 あー、もう七時ですね。夕飯何にしようかなあ。
 昼はSさんのことろで焼きそば食べたんで。あの焼きそば、うまかったなあ。何度も食べているのに始めて食べたみたいな味で。
 で、何の話してたんでしたっけ…。
 僕が嫌いなのは、その部屋で女の人が自殺したとか、実際に人間が死んだ話をされるやつです。自殺するくらい辛かったのなら、その人は成仏できた今は楽しくやっているはずです。
 怪談の何も起きていない短い時間もあれだな、本当は夜なのにライトで照らして明るく見せかけているような気がする。最近ずっと目の前がそんな具合で。ただの寝不足かもしんないけど。
 とにかく焼きそばを作って出すところで時間がとまってくれれば、それでいいんだよな。べつに、怖いことなんか起きなくていい。

 そこまで見たところで画面がフリーズした。
 リビングに置かれたパソコンの閉じるボタンをクリックして、動画を閉じた。
 怖い話の登場人物にされてたSさん、なんだかバイト先の人に似ている気がする。
 それにしても、相変わらずまとまりのない話ばかりしている人だ。
 葛飾はいつも、何万人もが視聴しているものじゃなくて、数人しか見てない動画を探していた。彼は毎回どうでもいい話をして、文字も音楽もなく喋っている以外の動画もない。まとまりがなく、一気に思いついたことを話していたと思ったら、急にひとり言になって突然終わる。何も考えなくていいところが、二時間で終わるサスペンスを見ているのと似ていて、人生にはまじで無駄な時間が多いと思う。
 無駄といえば、葛飾はハッピーアイスクリームをもう一度はやらせたいと思っていた。それで何がどうなるというわけでもないのだけれど。
 
 あれから図書館で本をあさったりして色々と調べたところ、ハッピーアイスクリームはそんなに新しくないことがわかった。昔は単に「ハッピー」とか「おいも」なんて言われていたそうだ。同時に同じことを言うと厭なことが起きる。頭がからっぽになるとか、先に死ぬなどかなり深刻なものもあった。
 気恥ずかしさとか同じことを言うくらい気の合ううちら、みたいな感じだと思っていたのに、二人同時に何かを言うのがなんで忌まわしいのだろうか。
 思ってた?
 考えすぎて、自分の体験になってた?
 とにかく今度のハッピーアイスクリームは、どこでどう流行ったのか場所と時刻をピンポイントで特定できるように送り出したい。流行り出したら、素知らぬ顔をしてハッピーアイスクリーム?何それ?と言うつもりだ。
 学校に行ったらその決意を片田さんに話すつもりだったのだが、今日は休みだ。
 前の席の相馬さんが消しゴムを落とした。葛飾は小さな声で「けしごむ」と言った。すると隣の席の津田さんがさんが葛飾の方を見た。けしごむの位置はちょうど葛飾と津田さんの中間くらいだった。葛飾は津田さんの顔を見て、「けしごむ」と言いそうになる瞬間に「けしごむ」と言おうとしたが、その瞬間に相馬さんが振り返ってけしごむを拾った。葛飾はもう一度津田さんを見て「けしごむ」と言ってみたけれども、津田さんは困ったような笑みを浮かべただけだった。
 
 相馬と津田さんがそろって教室から出て行くのを見送る。同時に同じ言葉を発するにはどうすればいいんだ。適当な相手を見つけてはなんやかやと話しかけてみるものの、ふだんひとりでいることが長かった自分だけに、急にどうしたんだろうこいつ、という顔でへらへらと笑われて、最後にはぎくしゃくとした会話に終始するのが落ちだ。ぐうぜん同じ言葉を発せたとしたって、二人してびっくりして笑いたくなる感覚が伴わなければ、ハッピーアイスクリームにはたどり着けない。
 ハッピーアイスクリームは、とてもけわしい道のりなのだ。

ハッピーアイスクリーム ⑥に続く

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