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【小説】ハッピーアイスクリーム・②食べなきゃ、書けない

ハッピーアイスクリーム②
校庭でなぞの言葉ハッピーアイスクリームを聞いた葛飾は、それが「同時に何かを言ったときの合言葉」だという情報を仕入れた。いっぽう、公募小説の締切に追われる男シバタは、葛飾のバイト先の喫茶店で小説を書きもせず飯ばかり食っている。

ハッピーアイスクリームあらすじ  別にここから読んでも。



 喫茶まりものドアを開ける前にシバタが腕時計を見ると、ちょうどデジタル画面が変わって5時35分になった。
 この店は駅から離れた住宅街にあるせいかいつも空いており、好き勝手に座ってくれというシステムなので、ドアに近い二人掛けのテーブルを選んだ。ひとつ離れた席では、女子高生が教科書を広げつつあまり集中していない様子で飲み物を飲んでいる。たしかここでバイトをしている子だ。シバタも何度かコーヒーを運んでもらったことがあるが、今は休憩時間なのか。
 厨房から大学生くらいの男子がやってきたので「アイスティーをください、ガムシロ付きでミルクもレモンもいりません」と一息に注文をした。かしこまりました、と彼は答え去っていく。
 
 公募小説の締め切りまで、あと十四日だった。八割がた仕上がってはいるものの、まだあちこちに穴があり、二週間でそれを埋められるかぎりぎりという状態だ。明日の金曜は休みをもらっているから、この三日は原稿に没頭せねばならない。
 シバタは鞄からプリントした原稿を取り出すと、机に置いた。三人称と一人称が入り混じっているところがあるし、季節も統一されていない。大幅に書き直しが必要な章もあって、そこを直せば全体に細かい狂いが生じ、当然誤字脱字のチェックも増えるだろう。
 窓際の席では男が三人そろってスプーンを動かしている。カレーか。腹が減っていると無限にメニューが浮かんで思考の妨げになるから、先に空腹を埋めてしまったほうがいいと思ったシバタは、アイスティーを持って来てくれた彼に、「すみません、メニューをください」と手を挙げた。

 ひとつ離れた席に座っている男の人が、メニューをもらったというそれだけのことで葛飾は腹が減ってきた。男の人は、ナポリタンスパゲティをひとつくださいと注文をしていた。さっきからカレーの匂いにやられていたが、ナポリタンも捨てがたい。いや、何が捨てがたいなんだ自分はあと五分もしたら厨房に入って皿洗いをしている身なのに。客席で堂々と休憩が許されているだけでもかなりありがたいことだが、混んできたら当然この場所は明け渡さなければならないから、居眠りやゲームに没頭することはできなかった。
 男の人は分厚い書類のようなものをテーブルに乗せて赤ペンで何かを書きこんではため息をついたり、白くて丸いだけの砂糖壺を眺めたりしている。仕事だろうか。
 葛飾は休憩が終わる前に、さっき厨房で聞いた話について検討し直そうと思った。食洗機に入れる前の皿にシャワーを浴びさせながら、ホールのバイトと例のハッピーアイスクリームについて何気なく話していたら、いつもぎりぎり結べるかどうかの長さの髪をひとつに縛り、あらゆるところにヘアピンをさしている社員さんが、「私、それ知ってると思うよ」と言って話してくれたことだ。
「二人の人間がまったく同じことを同時に言ったら、相手の肩を叩いてハッピーアイスクリームって言うんだよね」
 それを聞いて、やっぱりあれはアイスの名前なんかじゃなかったんだと思った。
「どうして、ハッピーアイスクリームなんですか?」
「うーん、先に言ったほうがアイスをおごってもらえるからじゃないかな?まあ、みんなお金もないからその場限りの約束だったけどね」
「それって、全国的に流行ったんですかね」
「さあ、どうかなあ?今みたいにネットとかない時代だから。でも、別の学校の子にも聞いたことがあるから、少なくとも私が住んでた辺り一帯では流行ったはずだけどね。ま、みんなちょっとずつ違ってたけど」
「どんなふうに違ってたんですか?」
「ハッピーアイスクリームお返しなしって言うとか、先に言った人にいいことがあるとか。ほら、口裂け女もポマードって言うと助かるとか、百メートルを超速で走れるとか色んな説があったでしょ」
「口裂け女?」
「え、もしかして知らないの?葛飾さん。口裂け女だよ?」
「聞いたことはあります。たしか、映画になりましたよね」
「ああ、映画か…。そうか。かなり昔の話だし、もう歴史みたいになっちゃってんだ」
 社員さんは首をかしげつつ少し残念そうな顔で、ふかした芋をマッシュする作業に戻っていった。
 せっかくハッピーアイスクリームについて教えてもらったのに、口裂け女の話に乗れなくて申し訳なかったと思ったが、少なくとも校庭で聞いた声の子は何かを誰かと同時に話していたことだけは、わかった。
 ドアベルが鳴り、新しい客が入ってきたのを見て葛飾は休憩を切り上げた。

 ★
 シバタはもくもくとナポリタンを食べすすめていた。
 注文したときに女子高生がちらちらこっちを見ていたので、なんなら半分食べると言いそうになってしまったが、そんなことはもちろん言えない。
 ケーキが食べたい。高校時代ならカレーのあとにナポリタンを食べてケーキをふたつ食べてもまだ余裕があった。今は半分も食べると空腹だった五分前に戻してくれと思ってしまうのだが、今日に限ってはいくつでもいける気がする。それくらい、シバタにとって文を書くのは疲れる作業だった。
 ナポリタンを食べ終えると、ナプキンで口の周りをぬぐう。もう少し書いてから頼もうかと思ったが、むしろさっさと食べて集中したほうがいいだろう。
「すみません」
 さっきの女子高生が、いつの間にかエプロンをつけて厨房から出てきたので、さっそく手を挙げる。
「ケーキとミルクティーください」
 数行直したところで生クリームのついたケーキが運ばれてきた。
「ミルクティもすぐにお持ちします」
 ミルクティはポットに入っており、蓋を開けて中をのぞくとゆうにもう一杯分はあった。フォークで大きくケーキを切り分けると、シバタは生クリームの配分をミスらないように、注意深く食べ始めた。

ハッピーアイスクリーム・③に続く

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