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祖父の介護日記 #1

こんにちは.なのんと申します.

祖父の最期を看取るために在宅治療を始めました.

その記録を記していきたいと思います.

祖父の様態

まず,祖父の様態についてです.

祖父とは,母方の祖父のことです.

祖父は約3年前から体が思うように動かなくなり,認知症が始まりました.

しかし,祖父は病院が大嫌いなため,「足が動かせないから病院に行こう」と言っても「嫌や」と少し暴れるほどの人でした.

そのため,介護士の人にたまに来てもらうような形で私の母と祖母が一生懸命に介護を行っていました.

しかし,2022年8月1日に容態が悪化しました.

始めは熱が出始めました.

そして,徐々に食欲がなくなり,一日のほとんどを寝て過ごすようになりました.

祖父の容態を見かねた祖母は慌てて母に連絡をしました.

「おじいさんの熱が下がらなくて,ずっと寝たままなんやけど・・・どうしよう・・・」

母は慌てて病院へ連れて行きました.

診断結果は誤嚥性肺炎でした.

高齢者の多くが誤嚥性肺炎で亡くなる方が多いと聞いていたため,十分に注意をしていましたが,ついに祖父にも病魔が襲い掛かっていました.

もう長くはないかもしれない・・・

祖父は入院しました.

しかし,現在はコロナウイルスの影響のため,病院へお見舞いに行ってもほとんど祖父に会うことができません.

主治医から電話がかかってくるのを待つ以外,祖父の容態を知るすべはありませんでした.

毎日,主治医の先生から連絡をいただけたのですが,今後どうなるかわからないの一点張りでした.

ある日,いつも通り主治医の先生から連絡をいただきました.

「今まで(在宅介護中)に何度も肺炎を起こしていた形跡があります.今回,肺炎を起こしたことにより,おそらくあと1~2週間が山場だと思われます.」

あと1~2週間・・・・

今まで寝たきりになりながらも少し会話をしたり,一緒に軽い食事をしていた祖父がいきなり亡くなるかもしれないという現実を突きつけられました.

人ってそんなにいきなり亡くなるものなのか・・・

それからは何を考えて大学に行っていたのかわかりません.

終始,ぼーっとしており,時々教授に注意されるほどでした.

特に,ずっと一生懸命に介護をしてくれていた母と祖母のことがとても心配で何も手をつけることができませんでした.

母,在宅介護の覚悟を決める

あと1~2週間くらいと宣言された日,家に帰ると母は大泣きでした.

「いつ亡くなっても大丈夫と覚悟を決めていたのに,いざとなるとおじいちゃんがかわいそうで仕方がない😭」

かわいそうだからという理由だけで泣いていたわけではありません.

母には決めなければいけないことがありました.

それは,家で祖父の最後を看取るのか,介護施設に入って会えないまま祖父の最期を迎えるのか.

家で看取るためにはずっと祖父のそばにいる必要があります.

夜中も祖父の様子を見ていなくてはなりません.

介護施設に入ってしまうと,会えないままかもしれません.

どちらも究極の選択でした.

その日はビールを何本開けたでしょうか.

「おじいちゃんは家が大好きだから帰らせてあげたい.でもずっと見ていられるかどうか不安やわ・・・」

母の気持ちは痛いほどわかりました.

私の父方の祖父は1年前に他界しました.

ちょうど,コロナウイルスが蔓延し,緊急事態宣言が発令しているときのことでした.

父方の祖父はコロナが始まる前から介護施設に入っていたため,2年間の間,実際に会って話すことはかないませんでした.

そのため,祖父は家族の誰にも会うことができず,最後を迎えました.


このような経緯を体験しているからこそ,母は祖父を家で看取りたいという強い気持ちと不安の気持ちでいっぱいでした.

そして,次の日の朝,母は晴れやかな顔をしながら家族に宣言しました.

「在宅介護で最期を看取る覚悟を決めました.皆さん協力してください.」

そりゃあ,もちろん協力しますとも!!!

そして,私たち家族は祖父を看取るための準備を始めました.


おわりに

最期まで読んでくださり,ありがとうございます.

拙い文章ですが,今後も祖父の容態をつぶやいていきたいと思います.(心に余裕がある日に限ります.)



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