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高校野球と新聞社の歴史 #30

今日、我が野球息子が大阪へ野球遠征に出発しました。
3泊4日、練習試合や現在開催中の選抜高等学校野球大会を観戦する予定です。
野球人口が減少していることは、いろいろなところで言われていますが、実際にやっている本人たちは、楽しそうに出発しました~

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せっかくなので、高校野球の全国大会について調べてみると面白いことが分かってきたので、せっかくなので紹介します。


全国高等学校野球選手権大会(夏)と選抜高等学校野球大会(春)について

ウィキペディア調べによると、第1回の全国高等学校野球選手権大会(夏の大会)は、1915年に東北、東海、京津、関西、兵庫、山陽、山陰、四国、九州の9地区の代表校と、春の東京大会優勝校の計10校の代表により、豊中グランドで開催されました。
一方、選抜高等学校野球大会(春の大会)は、夏の大会から、9年遅れの1924年から開催となっています。
なぜに、夏もあるのに春にもあるのか気になって、いろいろ調べてみると主催する新聞社が関係するようです。

夏の大会の経緯

夏の大会の主催は朝日新聞、春の大会の主催は毎日新聞です。
夏の大会については、1913年に完成した豊中グランドを所有する箕面有馬電気鉄道(現在の阪急電鉄)が使い道を探している中で、野球に着目し、新聞社に大会の開催を持ちかけました。
話を持ち掛けたのは、1914年でその時は、朝日新聞と毎日新聞両方に打診しましたが、両方から断られています。
その次の年にも再度打診に行った際に、朝日新聞から快諾されました。
なぜ、前の年に断られたのに、次の年に快諾されたのか?の理由ですが記事によると、その当時、朝日新聞と毎日新聞で購読数で競い合っていた中で、朝日新聞がだんだん活発化してきた野球に着目し、かつ毎日新聞に同じように開催を打診されているらしいという情報をもとに、主催を決定したようです。
新聞社間の競争が、野球の全国大会の開催のきっかけになっていたのです。

春の大会

次に春の大会ですが、第1回は1924年名古屋市の山本球場で開催されています。
なぜに、東海地方なのかというと、当時すでに開催されていた夏の大会の優勝校がすべて関西近郊であったことから、開催地が有利に働いていることと東海地方の野球ファン獲得のために東海地方で開催されたようです。
当初は、開催地を毎年変えて開催を考えていたようですが、第2回からは現在の甲子園球場で開催となり現在に至るようです。

阪急と阪神の関係性

ここで、ちょっと待てよ、現在の甲子園球場は、「阪神」甲子園球場なのに、なぜに夏の大会第1回は、「阪急電鉄」所有の豊中グランドなのか??となると思いますが、それも理由がありました。
1917年の第3回夏の大会の際、グランドが手狭なことから複数グランドで開催となり、阪神電鉄が所有している鳴尾運動場を使用したことがきっかけです。
その後、阪神電鉄の沿線開発と合わせ、現在の甲子園球場の建設が進み、現在の形になったようです。

高校野球の歴史を調べると、面白いことが分かり、毎日新聞と朝日新聞の新聞社間の競争、阪神電鉄と阪急電鉄の競争が、高校野球を活発化させたことには間違えないのだと思います。

何事においても、なぜなのか?を少し時間を使って調べるといろいろ面白いことが分かりますね!

参考とした資料.PDF

#ジブン株式会社マガジン




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