見出し画像

人生の後半をどう生きますか?

こんにちは。毎日暑いですね。いかがお過ごしですか?


私が書いているこのnoteを思わぬ人が読んでくださっていて、私と「話がしてみたい」と言ってくださったか方がいらっしゃいました。とても嬉しかったです。

そんなことがあるなんて想像もしていませんでした。49歳になって始めたこのnote。自分の考えをこんな風に発信すること、それは私にとってとても勇気のいることでした。

しかし、私は人生の後半にやりたいことの一つに、「私の人生経験や学びを人のお役に立てる」ということがあります。
その為には、私の頭の中で考えているだけでは何も始まらないって思って始めたnoteでした。

「今までと違う行動をすると、今までとは違う結果がやってくる!」そんなことを、肌で感じて日々を過ごしております。


今日は、私自身も迎えている「人生の後半」の生き方について書いてみようと思います。

この記事はこんな方に役立つかも

▷50歳を迎えた方、迎えようとしている方
▷人生の後半に何をしていこうかと漠然と考えている人
▷哲学的考えをする人

「林住期」をどうとらえるか?

「人は中高年期(林住期)にこそ、内面的に成長していくことできる。」
五木寛之さん著『林住期』からの言葉です。

林住期にこそ、世俗を離れ、迷いが晴れ、自分らしく自由に、人生の最高潮を味わうことができる林住期。
人生を4つの期間に分け、その3つ目のステージを林住期と言います。

外面を若々しくあろうとばかりに気を使い生きている人には、なぜ空虚感が漂うのか。それは老いて成熟していくことを拒否しているから、受け入れられないからではないでしょうか。

仏教では、人の苦しみは生病老死だということを言っていますが、これは人間として生まれてきた以上、絶対に避けられないことなのです。その為、それを避けようとすればするほど、苦しみを増してしまうのです。


歳をとるのは当たり前であり、病気になるのも自然なこと。そんな風に思って、みるのはいかがでしょうか。そして、歳をとって何よりもありがたいことは「経験がある」ってことだと思うんです。



ユング博士のいう人生の正午について

心の成熟とは、人生の後半「人生の午後」にあるとユング博士は言っています。「人生の前半は生きるのはそれほど難しくない、40,45までは外に向かってエネルギーを活動的に放出していればなんとかなるが、人生の午後は、内面的な作業に多くのエネルギーを費やすようになる。」

「下降を通じて上昇する」=「人格の成熟」とおっしゃっています。

老後生きていく決め手の鍵になるのは、いまさら外面的なことではなく、「内面」や「心」の豊かさであるということです。

60歳になるまで、若々しくい続けることばかりに価値観を置いて生きていると、下降に向かう準備作業ができないということです。


承認欲求もほどほどに


人は、誰しもが承認欲求があります。褒めてもらえればうれしいし、やる気になったり前向きになれることもありとても有り難く感じます。しかし、それにばかり頼り一喜一憂しているのはどうなのかなとも思います。

歳をとると、近しい人の死を経験することにより孤独を感じたり、一人で病院のベッドで過ごすこともあるかもしれません。

そんな時に必要な力は、「事実をありのまま見る」ということ、いわゆる色眼鏡を外せる事、そして自分自身を励ます自己承認。更には「自分は一人でも生きていける」という傲慢な考え方を捨てることではないかと看護師をしながら日々考えさせられます。

自己受容感、自己肯定感が低い人ほど、他人に承認を求め、他者の評価を必要とし、事実をありのまま見るという力を失っているのではないかと思います。

自分のことを表面的にしか知らない他人の評価は、適当であるものであり、女心や秋の空のように、コロコロ変わるということを知っておく必要がありそうです。



一度しかない人生という時間をどう生きる?

それは、「自分の使命に気が付き」「それをこだわりぬく勇気」「静かな深い孤独」「少数の他者との深い交流」であると、諸富祥彦さんはおっしゃっています。

「これこそが、私の人生でやり抜くべきことだ!」と思えることに、日々我を忘れて取り組んでいられるならば、それこそが人生後半の幸福の最大の秘訣ではないでしょうか。

そして、そのやり抜くべきことは、「何を成し遂げてきたか」というより、「どんな思いで成してきたのか」それは「自分の心が楽しかったのか」ということかも大切かも知れません。

自分というものはわかりづらいもの。しかし、自分と向き合い続けていれば、「私の人生でやり抜くべきこと」に気付けると思っています。それに気がついた時、私は自分の幼少期、学童期、成人、中年期とまるっとつながりました。「そうゆうことだったのね。」と。


そこに気が付き、軸を定め行動をしていくと、今までの嫌だと思っていたことも消えていき、起きていることは全て良い方向にいくものだという解釈になり、魂を満たすためにはすべて必要なことだったんだと思えてきます。

魂が望む願望を遠くに見つめると、小さな石ころに躓いても、気にしている場合でないと直ぐに立ち上がり、前を見据えて歩き出せます。

この魂が本当に望むことは、もしかしたら人生においての凸凹にヒントがあるような気がします。人生には凸凹があり、凹の時に、どうして乗り越えられたのか、凸の時、なぜ頑張れたのか、そこに向き合うことで、魂が望むこと、天命に気が付くのではないのかなと思います。

人生凸凹がセットです。どっちかだけは、受け取れないのです。そして、凹の部分がその人の味、日本的に言えば「わび、さび」になるのかもしれません。


今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。

【参考文献】
五木寛之 『林住期』
諸富祥彦 『「本当の大人」になるための心理学』


本気で人生を変えたい人、
自分を大好きになりたい人
に伴走します!

❀無料相談(ZOOM1時間)
❀無料体験コーチング(ZOOMで2時間半)
は、こちらから。

❀無口コーチのおしゃべりライブ
FaceBookライブ
しんかいさんのありのままを発信しています。

❀自己実現メンタルコーチ❀
 しんかいさんこと 新海智子


この記事が参加している募集

#探究学習がすき

7,431件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?