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子持ち様論争

常にくすぶっている問題ではあると思う。
だが、この時期になると目に付くのは大型連休があるからだろうか。
昨日はニュースになっているのを見た。
いい加減疲弊する。


私は独身子なし

なので論争では「子持ち様を批判する側」らしい。
人間基本的には自分の価値観を軸に生きているので立場が違えば分からないことだらけだ。
話し合いは必要かもしれない。
でも「絶対的に相容れないところもある」って思っておかないと必ず戦いが勃発する。
でも思っていてもしてるから私はこんな記事を書いてるのか(笑)

ネットでは

「そんなので騒いでいる人は一部」と言う人もいるがコメント数や閲覧者の多さで結構な人が興味のある話題なんじゃないかと私は考えている。
メディアが煽っているのは大いにあるだろうがみんながみんな「馬鹿馬鹿しい」と一蹴できるならそもそもここまで頻繁に話題にもならないのではないか。
多少なりとも嫌な思いをしたとか物申したいとかそういう気持ちがあるような気がする。
こうやって記事を書いている私は当然その中に含まれる。

そもそも「子持ち様」って

いつから言い始めたんだろう?
子どもを育てている人全員を指しているのではなく、子どもを盾に傍若無人な振る舞いをする人を皮肉っているのだと私個人は解釈していた。
今は違うのかな?

子育ての大変さ

それは独身子なしの私には一生分からない。
仕事が子ども関係なのに酷い言い草になるが私は毎日自宅でも子どもと過ごすだなんて考えられない人種だ。
甥っ子や姪っ子と一日過ごしただけで次の日は何もしたくないくらい疲弊する。
つまり私の場合、子どもの相手ができるのはお給料が発生している間だけ(仕事だから)ということになるのだろう。
今まさに子育てをしている人達はお給料なんかもらっていない。
むしろ出ていくことの方が多いかもしれない。
お金だけの問題じゃない。
自分の時間なんてほぼ取れないんじゃないか……。
そんなことを考えると親になる人は本当にすごい。
私は自分が一番可愛い人間なのでお金も時間も血を分けた我が子にであってもきっと差し出せない。
何て冷たい人間なんだと落ち込んだこともあったが向いていないものは仕方ない。
だから誰かと新しい家庭を築いている人達を本当に尊敬している。
まず相手との擦り合わせ、お互いのご実家などの親戚付き合い、そして子ども……このタスクを常にこなしている状態なんだから。

「子育ては誰でもできるものじゃない、偉大なもの」と、いうのを前提に

私も「子持ち様」に言いたいことがない訳ではない。
「そもそも~」の項でもちょっと触れたが私の中の「子持ち様」とは「何でもかんでも子どもが子どもがと言いながら優遇されるのが当然と思っている人」「何かしてもらったことに対して”子どもがいて大変なんだから当たり前だよね”と開き直る人」である。
けどそういう人が身近にいようとも「子持ち様」などと揶揄したことは一度もない。
悲しいな…嫌だな…と感じながらもスルーだ。

それぞれのライフステージで考え方が変わるのは当たり前

というのも私は念頭に置いている。
前述したが子どもができたら「自分の時間」は激減する。
そして親になった時点で「子どもを守らなければ」という本能がぐいぐい顔を出す。(と習った)
ので子どもという小さな小さな命を守るために多少攻撃的になるのは仕方のないことなんじゃないだろうか。
ただそれを全人類が「OK」するかというとそれは違う。
その辺りは独身子なしとして「ちょっと知っててほしいな~」って思うところである。
私の友人達は既婚、もしくは既婚子持ちの人が多い。
独身子なしの私とは予定を合わせるのも一苦労。
「あの頃のまま」とはいかないがそれでも「会おう」と言ってもらえるのは単純に嬉しい。
でも「絶対に分かり合えない部分」が出てくるのも何度も経験している。
お互い「???」になって疎遠になることも少なくない。
これがライフステージによる価値観の違いってやつか…!って実感する。
その後関係が続くか続かないかは縁にかかっていて……私は少し寂しい想いがあったりもするのだがそれはもう仕方のないことだと割り切ることにした。
女性は、男性は、とあまり言いたくないがやはり女性は「共感」を求める人が多いと思う。
少なくとも私の周りはそうだ。
友人達は私が子ども関係の仕事をしているからか、おそらく遠慮なく話している。
私はそれが嬉しいので「うんうん」と聞いているのだがやはり「実際に経験している人」と「知識だけの人」の差は埋められない。
子持ち側からすれば「頭では分かってるんだよ!!」と言うようなお節介なアドバイアスをしてしまって気まずくなったこともある。
その時に子持ちの友人も子なしの私も悪気は一切ないのだ。
そこを分かり合えると縁が続くパターンが多い。
私はどうしても「支援者」の立場で物を言いがちなのでそこはものすごく気を付けているつもりだ。
ただ「つもりでしかなかったんだなぁ」と反省することもすごく多い。
そうだよな、分かったような口を聞いちゃダメだと思うのに「仕事モード」に入ってしまう。
そこはもう本当にひたすら改善していきたい課題ではある。

「子持ち様」と言われて嫌なように

子なしにも言われて嫌なことはある。
私の場合だが「結婚しないの?」「子ども産んだら成長できるよ!」「自由時間があっていいね~家なんかさ~(パートナーや子どもの愚痴延々)」が割ともやっとする。
妬みといわれることもあるが自分的にはちょっと違う。
まだまだ「結婚出産をして一人前(そうじゃなきゃ社会不適合者)」というのが当たり前の考え方なんだなぁ…って実感するし、自由時間に関しては子どもに使う時間がゼロなだけでその分仕事をしていたりもする。(プライベートでぼーっとしていることも当然あるが)
今回のような長期休みの時は「子どもがいる家庭は休みたいよね。優先してあげようね」から出勤日が決まる。
それは当たり前なので良いのだが「予定ないもんね」は言わなくてよくないかな???
と、いうか予定があっても誰も出られないから必死で調整している訳で……ずっと暇だから仕事をしているのではない。
できれば私だって10連休~!!とか言ってみたい。
ここ数十年は言ってない。
「絶対休みほしいんです!」と言えばもちろんもらえないこともないだろう。
ただ「〇〇さんは家の事情があるんだから変わってあげられないの?」という打診はしょっちゅうだ。
いける時は全部変わっている。
それでもたった1日2日の希望を通したいと言っただけで「これだから……」という顔をされるのは解せない。
年間希望休の数を見てみてほしい。
ほぼ出してなくて、絶対の絶対の絶対!!!の場合のみ出してるのだ。
しかしこれは決して子持ちの人が悪いんじゃなく、そんなカツカツで何とか回そうとしている社会構造がおかしいのだ。
なので家庭がある人に敵意を向けるのは違う。
それでも私が個人的に1つだけお願いしたいこと。
たまにでいいので「ありがとう」って言ってほしい。
お菓子持ってこいとかお土産くれとか全然思わない。
ただ一言感謝の言葉がもらえたら私はいい気分で仕事ができる。
ついでに「いつも暇な人」などという思い込みもなくしてもらえたら更に喜ぶ。
ただしこれは「ななしの場合」。
全ての独身子なし、または既婚で子どもがいない人に当てはまる訳ではないと覚えておいてほしい。

子は宝

独身子なしの私だがそこは揺らがない。
子どもがいなければ未来はない。
誰の子どもであろうが子どもは宝、未来の塊。
だからこそ大人が言い争っていないで手を取り合える世界が少しずつでも実現することを望んでいる。
思いきり綺麗ごとだろうけど私の嘘偽りない本心である。

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