絶対的な価値が欲しい

僕は絶対的な価値が欲しい。

世の中を見ると混乱する。
悩み事があるとする。AさんBさんCさんがいたとして、相談するんだけど、全員違う回答をする。言論統制がされていない民主主義社会においてはそうなるのが自然なのかもしれないけど。

価値相対化という言葉がある。
同じ対象を見ても、評価は見る人によって千差万別という意味だ。
要はみんな違ってみんな良いということ。

混乱する。



ほとんどの人が価値を見出すもの

または価値が無いとみなすもの

  • ダウン症

これでも《ほとんど》止まり。
コロナ禍での給付金10万円の配布率は99%だった。
金ですら100%じゃない。残りの1%はなんなんだと。
100人に1人は受け取っていないと考えると、結構多くはないだろうか…。

次にダウン症。
現代は出生前検査でダウン症があるか確かめられる。
その事実を知って堕胎を決断する親は9割とのこと。
優生思想が人間の本質だと考えると、残りの1割はなんだと思ってしまう。
僕が見たのは9割という数字だけなので、90%なのか、99%なのかは分からない。80%ちょいを無理やり9割としているのかも分からない。

絶対的な価値があるなら、給付金の配給率は何がなんでも100%だし、ダウン症の墮胎率も完璧10割だろう。
現実そうならないということは、未だ絶対的100%な価値は無いということ。

生きる指標が定まらない僕は、絶対的な価値を知りたい。そしてそこに向かっていきたい。



前にも同じような記事書いてた。

この頃と考え方は変わってない。
医者によって発達障害かどうかの診断が違うのは混乱する。
ましてや今は発達障害という名称以外にも、様々なレッテルがある。

医者は《発達障害》というレッテルを貼ってきて、別の人は《アダルトチルドレン》というレッテルを貼ってきて、そのまた別の人は《HSP》というレッテルを貼ってくる。そりゃあ混乱するわな。

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