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傷つく基準

同じ言動でも、傷つく人と傷つかない人がいる。

人が傷つく基準ってなんだろう。


ブタの屠殺動画を観たことがある。
グロテスクだったけど、そこまでショックじゃなかった。
元からブタそんなに好きじゃなかったから。
自分が屠殺しろって言われても多分できる。ブタなら。
でも猫が屠殺されていたら発狂していたかもしれない。
やるのはもちろん見るのも耐えられない。傷つく。
飼い猫だったら余計に傷つく。
僕の主観の話だけど、殺される対象によって傷つき度が変わってる。

でも同じ動物という括りであることは主観じゃなく事実。
そして屠殺されているという事実も決定的。

でも傷つき度合いは変わる。

なんなら屠殺場のブタを一匹家に持ち帰って、育ててからぶっ殺すという行為をしても僕の傷つき度合いは変わる。
元々好きでもないブタなのに。

自分に原因がある?

飼い猫の屠殺に傷つくのは、自分に原因がある?
実家で育てたブタの屠殺に傷つくのは、自分に原因がある?

原因というより、知識や経験がある。

という結論。

好き嫌いの話にもなってくる。
屠殺を処刑に置きかえよう。
連続殺人犯と、ボランティア職員。この2人が処刑されるとなった時、傷つきを感じるのはどちらか。

僕の主観だとボランティアの人の処刑が傷つく。対して連続殺人犯には傷つくどころか、快感を覚える。
同じ人間なのに。同類なのに。
《犯罪は悪》
《アイツは連続殺人犯》
《ボランティアは良いこと》
《ボランティアした人は聖人君子》
という知識が、傷つき度合いを変えた。

これで連続殺人犯が殺した対象がろくでもない奴だったり、ボランティアをした人が、実は不正に金を着服したりしていたら、傷つき度合いが逆転する。
処刑されたという事実としては変わらないんだけど、知識が変わる。

経験したことも知識になるし。
連続殺人犯は幼なじみや家族で、良い面も知ってる…みたいな。
その経験は処刑の傷つき度合いを変える知識となる。

「アイツに傷つけられた!」
と感じる人は、傷つく素になるような知識や経験があるんだと思う。


参考動画


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