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アイヌを広めた人物、知里幸恵

知里幸恵
1903ー1922

登別出身のアイヌ女性。

彼女が書いた「アイヌ神謡集」は当時から話題になり、絶滅の危機に瀕したアイヌ文化を、多くの人が知るきっかけになった。

アイヌ文化は文字を持たないため、日本語で訳された書籍は、アイヌ文化の記録としてとても重要だった。


幸恵の祖母はアイヌ文化である《カムイユーカラ※》の謡い手であり、身近にアイヌ文化があった。(※神の言葉を再現したもの)

幸恵は幼少の頃より学業成績は優秀で、アイヌの学校を卒業した。

彼女はアイヌ語も日本語も堪能であり、アイヌの子女で初めて北海道庁立の女学校に受験するが、不合格になる。
おそらく人種差別的なものがあったのだろう。小学校の段階で、アイヌと和人で学校は分けられていた。

ある時、幸恵の家に言語学者である金田一京助が訪れる。
金田一の目的はアイヌの伝統文化を記録することだった。

アイヌ語も日本語も堪能だった幸恵は金田一に協力し、翻訳を手伝った。
やがてカムイユーカラを文字にしようという企画が持ち上がり、上京。

しかし幸恵重度の心臓病を患っており、奇しくも作品が完成した日の夜に、役目を果たしたとばかりに死去。心臓発作だった。

19歳没という短い生涯だったが、遺した実績は大きかった。


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