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毒親サバイバーの私とグリーフケア①

2024年がスタートし色々なことが起こりました。
皆さまが穏やかな日々を過ごせますことを願っております。

私は2年前に母を肺癌で亡くしました。
癌が発見された時、腫瘍は大きく心臓に繋がる大静脈を圧迫していて血管が細くなっていました。

告知の際、医師から「明日、亡くなってもおかしくない。今すぐに治療をスタートしたい。どのような治療をするか早急に決めて欲しい。」と話がありました。

母は「抗がん剤治療はしない。でも、家族が後悔しない位の治療は頑張る。放射線治療はする。」と言いました。
母の意志を尊重して家族も同意し、そのまま入院しました。

コロナの影響もあり、入院後は面会ができませんでした。
顔を見ることも見せることもできず、2ヶ月が過ぎました。
腫瘍は少し小さくなったところで、元々リウマチの持病があった母の身体は放射線に耐えられずに肺炎になり圧迫骨折をして、癌の治療は途中で断念することになりました。

転院してリハビリをしながら帰宅を目指していましたが、転院して2週間で癌は急成長して元通りになりました。
治療手段はありませんでした。
主治医から「残りの時間をどこで過ごさせたいか?」と話がありました。

母は自宅に帰ることを望んでいましたので、自宅で看取ることを決めました。
多くの方のお力添えをいただき、介護ベッドを搬入したりしましたが、3日で準備を完了することができました。
自宅に戻ってきた母は「帰ってこれた。嬉しい。」と笑顔でした。

自宅に戻り2週間で息を引き取ることになったのですが、その間に私は色んな気持ちを体験しました。

次の記事で「私の感じた気持ちとグリーフケア」について書きたいと思います。

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