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なんとかなるってそういう意味か。


考えすぎないで、やってたら何とかなる。

良く母から聞かされていた言葉だ。

でも、私はこの言葉を長い間信じてこれずにいた。

というものの、私の母は何でもそつなくこなすスーパー人間だったから。

私の母なんだからそれはそれはそうだろう、と思っていた。

ついこの間、年末年始のホテルへアルバイトに行ってきた。
契約期間は1ヶ月。

以前から行ってみたい場所だったから、旅行がてらいいかなーって感じで。

短期だったけれど、誰も知らない環境に飛び込んで働くのはやはりそれなりに覚悟が必要だった。

というか、私のような普段は内向的な人間がとる選択じゃないかもしれない。

でも興味で理屈とかなく、行こうっ!と思って決めた。

私のバイト経験は数ヶ月でやめたレストランのキッチンと1年半のパン屋さん。

接客業といっても、レジ打ち業務や陳列などがメインだった。

まず直面したのが、コース料理の暗記だった。

名前も聞いたことない和食を必死に覚えないといけない。

提供の仕方、説明覚えることがたくさんあった。

さらに大変だったのが、マナーだ。

マナーも働きに来てから叩き込まれた。

レディファーストだとか、言葉遣いだとか。

上手だとか下手だとか。

必死にノートにかきとめて、中抜けの時間もまとめて、必死に覚えた。

それを続けて、2週間後、いよいよ年末年始に差し掛かる。

もちろん、年末年始ピーク時のアルバイトはキツい。

ホールを駆け回り、長い時だと1日計12時間、それが5連勤だってあった 。

こうやって文字で見ると、自分には無理かなとセーブをかけていただろう。

結論からいうと、知らないまま飛び込んで、知らぬ間に5日で60時間働いて、気づけばあっという間に過ぎ去った。
あんなに時間が濃密だったのに過ぎてみれば一瞬に感じた。

いざ矢面に立たされると体は動く。
頭ではいけるか?と思っていても、やらなきゃいけないからやる。

人員が少ないのもあって、提供が遅れるのがとにかく申し訳なかった。

早く提供しようと、手を動かす。頭を働かせる。

どうやったら配膳がスムーズに行くのか。

たとえば、9人と4人の卓を1人で回したことがあった。

9人のドリンクを作って、運んで、コース料理を頼む。料理が用意できるまでに時間がかかる。
料理を運ぶと注文が来る。

4人の方も見なくちゃいけない。9人の料理作ってもらってる間に4人の卓から注文のドリンク作って、、、。
ドリンク渡したら、9人卓の料理が来て、、、。
頭も体もマラソンしてる感覚だった。

さらにややこしいのは、お子様連れのキッズメニューの提供などもある。
落としてしまった食器の交換やごはんのおかわりだって頼まれる。

これまた文字にするとなかなか大変な業務だろう。

その時は、お客さんにありがとうと言われることがただただ嬉しかった。
すると、単純な私はさらにブーストがかかる。
ガンガンに供給されるアドレナリンで体と頭を動かしていた。

お腹すいたらご飯を食べるように、蜂が来たら逃げるように、反射で処理していった。
その時は必死になっていたけど、後で振り返るとよくできたなと自分を褒めたくなる。

なんだ意外と動けるじゃん自分って。
頭でシュミレーションしてはできないかも不安かもって踏み出せなかった。
そんな自分に自信がついた出来事だった。

私の嫌な癖は、やる前に頭で考えすぎることだ。
リスクや傷つくことを恐れてそういったことになかなか踏み出せないでいる。

今回は年末暇だしまあやってみるか、と何とかなくで身を投じたアルバイトだが終わってみれば何とかなってハッピーで終わった。

ピリピリした職場で嫌なことも多かれ少なかれあったけど、やることちゃんとやってるしいいやって割り切れる自分がいた。

考えすぎず、面白そうと思ったことに首突っ込んで、そこに巻き込まれれば何とかなる。というか、その時の私が勝手に何とかする。

やっと母の言った言葉の意味が掴めてきて、まあ何とかなるかの意味を実感できた出来事だった。

思えば、母も体が弱いにも関わらず田舎から上京し、病院に通いながら、立ち仕事の服飾業を続けてきた過去がある。

私のほんの数週間の苦労に比べたら、途方もない大変さ。

だけど、母の自分自身に対する信頼はきっとそういうところから来ていたんだろう。

選択肢も情報も多い環境、リスク中心に考えて鬱々としていた私の脳みそにスパッとメスを入れてくれたのは、とても単純で明快なことだった。

置かれた環境で何とかできる、という自負。
ちょっとした事でもいい。

とにかく自分への信頼を取り戻すこと。





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