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偲ぶ・・・いろいろ

元ブログより。2018年11月08日に書いたものです。こちらのnoteに転載した記事に、伯母はちょくちょく登場していますが、当時はもう高齢者となり、特養でお世話になっていました。後半はそれとは関係ない、タイトルにまつわる内容です、今回もあほ話でスミマセン。

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伯母が退院してホッとしたのもつかの間、週に一度は突如高熱を出す騒ぎを繰り返している。

入院中にアチコチ調べたら、胆管に石がゴロゴロあるという。
ドクターは
「ここの病院(県立ではあるが)では、これ以上の診断ができないんですよ」と弱々しいというか、実に消極的な目を向けてくる。

「あちらの病院ですともっといい検査機器があるんですが、この年で造影剤使って・・・というのもむしろ負担になりますし・・・」

持病を考えるとリスクのほうが大きいという。

そりゃそうだろう、だいたい、脳萎縮もしているし、耳もすっかり遠くなり、指示通りにあっち向いたりこっち向いたりの声も聞こえず、意味もわからないのだ。

「摘出といっても、かえって肝臓悪くしてしまいますしね・・・」

ソッ・・・としておくのが一番という超高齢者である。結局、現状維持・・・対処療法にとどめている。
高熱に驚いてすっ飛んでいくが、そのあとはストンと下がる。

現在は施設で静かにしているが、
「そろそろ看取り期」
と言われた。致し方ないのである。とはいえ考えがまとまらず、まとまらないままボーっとしている。

思い出すのは、元気だった頃の伯母の姿ばかりだ。
実に生き生きとした人だったと改めて思う。
いつも温かく、細やかで、大胆であった。

今時期は、寒くないようにと心を配る。
綿入れを作って着せてくれたり、ストーブの熱でホットケーキを焼いてくれたり、干し柿の仕上がり具合を見たり、伯母が寝込んでいる姿は、一度も見たことがない。

老境に入ってもそうだった。
彼女はこれまで立ち働き、走り続けてきた分、今やっとゆっくり横になっているのだ・・・と、それも私の勝手な感傷ではある。

家族や友人、あるいは飼っていた動物が亡くなったりすると、元気だった頃の姿が折々浮かぶものである。浮かんでくる姿が、その「生きざま」だったと思う。

が、しかし、私はまだ死ぬ予定はないのだが、死んだあと、思い出されるであろう私の姿はとても
「懐かしく、恋しく、狂おしく偲ぶ」
などというものではないとの自覚があり、
「もっとちゃんとしておくんだった」
と忸怩たる思いである。

子供たちがこの母を偲ぶ姿は、アレコレあろうが、ほぼ
「失笑」
と思われる。

全て食べ物が原因なのだが、あの時も・・・。
ドスドス音を鳴らして階段を降り、こちらに近付く気配…

ヤバイ…
娘のポテチをこっそり食べてしまった直後だった。

ドアが開く。
娘は物凄い形相で仁王立ち…

「すみませんすみません!明日買ってくるから」

娘は私をひと睨みして

「ったく!今食べたかったのに!!!」

今から食べるというのか…こんな時間に…
思っただけで言わなかったのだが言われた。

「林檎で腹痛くしたくせに、そしてこんな時間に食べると太ると人には言うくせに!!」
返す言葉が無いのであった。

早く寝ないから腹も減る。
つい食べる。太る。
自己責任以外のなにものでもないけど

ああ
そこにボテチがあったんです、娘のですけど…。
娘め…だいたい林檎食べないくせに、別なオヤツを食べるとはけしからん!
せっかく剥いてやったのに食べないから、私が食べる羽目になったのではないか。
心で弱々しく逆ギレしつつ、黙って息を潜めていた……。

別の時。
これまた夜中で、こそこそラーメンを煮て、こそこそ食べようとしたら寝たはずの息子が降りてきた。
明かりを消し和室の戸を閉めコタツに潜んだ…

が…ラーメンはコタツの上で湯気を…

戸が開き、一瞬の沈黙の後
「早く食えよ」
心底呆れたという口調に傷付いた…

こんなことは一度か二度なのだが、子供たちは未だに覚えている。
息子はさすがに言わないが(嫁さんに対して恥ずかしいというのもあるだろう)、娘は事あるごとに言う。
しかも最近では、オットに言うのだ。

「この母ときたら・・・」

ああ恥ずかしい、恥ずかしくて誰かに言わないといられない・・・

そして、こういう場で私を覚え知った人は、いつか私が死んだあと思うのだ。
「ああ、娘のポテチ食べた人」
「ああ、夜中にラーメンコソコソ食べた母」

そして尾鰭がつくのだ。
 ( )が尾鰭。

「夜中にポテチだのラーメン
 (ばっかり)
 食べてた
 (ものすごくデブだった)
 人)」

・・・・・。

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