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青春の影

元ブログ、2013年10月20日の記事を、若干の加筆修正をして載せます。
彼の命日です。

・・・・・・・・・

彼と私は、小学校からの同級生。
頭がすごく良く、背が高く、明るい、友達思いのいい奴だ。
小5のある時、彼が入院した。
当時、私の母の体調が悪く、私は隣町の伯父伯母の元から小学校に通っていた。
帰り道。
いつものようにバスを降りて歩いていると、川を挟んだ病院の3階の窓から手を振る男の子が見えた。
彼だった。
伯父伯母の家は、病院のすぐ向かいである。
ランドセルを置いて、見舞いというより遊びに走って行った。
彼はとても喜んでくれ、同室に入院していた他校の男の子とも仲良くなった私は、ほとんど毎日、下校後彼の病室を訪ねた。
しばらくそんな日が続いたが、ある日彼は「もっと大きな病院に移る」と言った。
間もなく、彼はいつも私の帰る時間に佇んでいた窓から、姿を消した。

「H君にクラスのみんなで手紙を書きましょう」
担任が言った。
私も何度か書いた。その都度律儀に返事が来た。
治療の甲斐あって退院し、また同じ教室で過ごした。
私はお転婆な野生児となり、顔も姿勢も端正な彼は、児童会長や中学では生徒会長をし、県単位の実力テストではいつも上位に名前が載る優等生だった。

それでも何かと気が合って、彼と話すのは楽しかった。

出来が良すぎるので、却ってモテる対象にはならないのが女子の間の評判だったが、私にとっても、背がぐんと伸び声変わりしようとも、彼はあの病院の窓に佇む健気な男の子のままだった。
私への気持ちなど聞いたこともないが、女としては対象外だったのは私自身が自覚していた。
高校は別になった。
私は地元の高校へ自転車で通学し、彼は隣街の進学校でもトップだったそうな。
それでも時々行き会うと、前と変わらず話が弾む仲だった。

高2から高3にかけて、私の父が病気のため遠くの大学病院で手術を受け、母もずっと病院に詰めていたので、私は新聞配達をしてその後弁当を作り、通学していた。その時の窮状を私は誰にも言っていなかったが、たまたま彼と行き遇い、チラッとそんな話をしたら、毎日電話が来るようになった。他愛ない話ばかりであった。が、案じてくれているのを感じなんだか嬉しかった。
嬉しかったが、私は誰に縋る気も持たず、やがて高校を卒業すると親とも友人とも、彼とも物理的に距離が離れた。

彼は南へ、私は北へ。

彼は抜群の成績で超難関の大学に入り、3年で単位を取ってしまった。
当時私は就職したばかりで、たまたま彼の住む県に研修に行っていた。
連絡を取ると喜んで、大概金曜の夕方からは暇なので何度も落ち会っては、夕暮れの街をお互いの恋人自慢をし合いながら闊歩した。
私と彼はずっと変わらず、私の中では本当にいいヤツ、いい友達だった。

彼は3年で卒業すると会計士の資格を取るために上京した。

互いに筆まめなので、それからは文通の付き合いになった。
一度、東京在住の友達に会いに行ったとき、彼と、もう一人の同級生も集まって一日を過ごした。

友人E子・私・彼H氏


みんなすぐ、昔に戻って笑い合うのだった。
程なく会計士の資格を取った彼は、可愛い可愛い自慢の彼女と23歳で結婚した。
披露宴で流れた曲が、チューリップの
「青春の影」

まっすぐな彼にふさわしい曲だと思った。

私もやがて結婚し、それぞれ人の親となった。
連絡を取り合うこともなくなり、久しぶりに会ったのは33の同窓会だった。
昔のままの彼がいた。
又、月日は流れ、楽しみにしていた次の同窓会に彼の姿は無かった。
彼はその前の年の夏、過労から貧血を起こし、駅のホームに倒れ落ち、轢死したのである。

会社にいた私の机の電話が鳴った。
彼の死を告げる友人からの連絡に、何のことか全く咀嚼できず、手は無意識のまま仕事を進めていたことだけは覚えている。

あんなにいい奴で、あんなに前途有望で、愛する妻子を大切にしていた彼が、なぜそんな死に方をしたのか・・・。
誰に問えばよいのか。私は呆然とするだけだった。

彼のいない同窓会で、物故者に黙祷が捧げられた。まだわずか数名の物故者の中に彼の名前があった。

座は賑やかになり、彼の友達に言われた。
「あいつの奥さんが、結婚前、実はすごく気をもんでいた。お前と仲が良すぎるって。ブレーキをかけていたのはお前のほうだったんだろう? でも、奥さんがお前と会ったら、この女なら大丈夫とも思ったそうだよ」

そうだ。いつもいつも可愛い彼女同伴でのろけられたものだ。
私は横恋慕などという気持ちは一切抱いていなかった。

とても大切な友人。私にとってそれ以上でもそれ以下でもなかった。
彼もそうだったと思う。本当の友達、すごく大事な大事な友達だった。

彼が亡くなってから、随分夢に出てきた。
一度、こんな夢を見た。
彼より早く、30になる前に亡くなった同級生と彼が、同窓会が終わってタクシーで相乗りしてどこかへ行こうとしている場面だった。

その時、
「乗っていかない?」
と言われた。
私は
「子供の迎えがあるから、今日はいいよ」
「そうか。じゃ。」

以来夢に出てこない。彼なりに別れを言いに来たのだろうか。

数年前、若い叔父が亡くなったとき、葬儀には彼のお母さんも参列してくれていた。
葬儀の後、皆が散会する中で、私に会いたいと彼のお母さんが言っている、と呼ばれた。
親族控え室から出てきた私に彼のお母さんが言った。

「本当にずっと仲良くしてもらってくれてありがとうね・・・。Hが亡くなった後、あなたからいただいたお手紙が沢山出てきたの。小学校のときからのも沢山・・。ずっと本当にいい友達でいてくれてありがとう・・・」

私は、彼が結婚後もなお私が送った手紙をとって置いた事を知り、少なからずショック受けた。

私の手元には彼からの手紙は一通も残しておらず、唯一あるのが、彼の結婚後、彼のお嫁さんから届いた、新婚旅行先での夫婦の写真入りの礼状だけだったからだ。

私は

彼とお嫁さん

彼のお母さんの話に頷くばかりで、息子に先立たれた母親の手を握ることしか出来なかった。
会いたい人は、皆、もう会えない人ばかり・・・。

「青春の影」
を引きずる私は未だに、
彼の墓前に花を手向けることも、
手を合わせることも、
泣く事さえ出来ずにいる。



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