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生きてるだけで充分マル!

今日、ある方のお話を聞いていて、
「感謝が足りないな」
と思ってしまったんですね。

そこには認知の歪み(こうあるべきという思考)が働いていて、
それは、
「感謝すべき」
という思考だと気付きました。

スピリチュアルでは、人は鏡で、人に思っていることは自分に思っていることと言われてますが、
私は自分自身に
「感謝が足りない」
「もっと感謝すべき」
と思っていることに気づきました。

感謝することは素晴らしいことで、感謝するほどに世の中は幸せで温かいものに溢れていると気付けるし、感謝するほどに嬉しい体験を引き寄せてきました。

でも、どこかで自分に「こんなに感謝してもしきれないほど感謝することがあるのに、私はいくら感謝しても感謝が足りてない。」とか、「もっと感謝すべきなのに、感謝しないで不平不満が出てしまった」とか思って自分を責めていました。

しかも、数年前の私は感謝の気持ちを持たず、不幸のどん底にいたので、「感謝しなくなったら、また不幸のどん底に落ちてしまう!」という不安を持っていました。

そこで、まなゆいの「受けいれ認めゆるし愛する」という全肯定のメソッドを取り入れることにしました。

そのメソッドは、
「私は◯◯◯と思った自分を受けいれ認めゆるし愛しています」と口に出すだけ。

「私は感謝が足りないと思った自分を受け入れ認め許し愛しています」

そう言って、色々考えていると、
「生きてるだけで充分マル!」
という言葉が降りてきました。

できないことじゃなくて、いまできていることを褒めて認めることが大事だと思いました。

その時に、植物の芽の映像が浮かんできました。
太陽の日差しを受けてスクスク育っている赤ちゃんの芽。そのありのままで輝いているのに、
「大輪の花を咲かせないとダメだ」
と思っていたら。
やがて成長して花を咲かせても
「もっと綺麗に咲かなきゃダメだ」
だんだんしおれてきて「ダメだ」と言い続けて、枯れていく。

もっと感謝しないとダメだとか、未熟な自分はダメだと思っていることは、
そんな植物と同じ一生を私も送ろうとしているんだなと思ったら、その人生はやめたいと思いました。

魂を磨いて成長している、いまこの瞬間のありのままの自分を喜んでいたい。

そのために、ありのままの未熟な自分を、「生きてるだけで充分マル!」と褒めていきたいなと思いました。

感謝したら、「感謝できたね、すごいね自分♪」と褒めて、
感謝できずに不平不満が出てしまったら、「いいんだよ、生きてるだけで充分マル!」と褒めていこうと思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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