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石巻せり鍋は、海鮮仕立て。



はぴみんのずんだ党フードサミット せり鍋編 先取りトーク③



石巻せりフェア

海街さんぽHPより
https://www.umimachi-sanpo.com/news/ishinomaki_seri2023/

2023年12月2日(土) から 2024年2月29日(木) までの期間は、石巻せりフェアということです。なので、石巻せり鍋を食べに行ってきました。(^o^)

仙台から石巻までは、電車よりも高速バスのほうが若干本数が多く、料金は同じぐらいなので、乗り換えに手間取らない高速バスで出かけます。

この日は、朝から強い風が吹いていて、高速バスに乗った際、「強風により到着時間が変わってくる可能性があります」というアナウンスはあったのですが、途中の高速道路上で、さらに風が強くなってきて、その振動にバスが必死で堪えているという時間が長く続きました。
バスのハンドルを握る運転手さんの背中に向かって、「頑張って! 」と、心の中で声援を送っているうちに、なんとか無事に石巻駅に着きました。

お天気が良い日の石巻駅萬画からくり時計

目指すお店は、割烹滝川さんです。
いしのまき元気いちばの近くにあるようですが、歩くのも大変な強風です。でも、タクシーで早く行ってもまだお店が開いていないかもしれません。
こんな日だからこそ、大変な思いをして歩いて行ったほうが感慨深いのではと、街の建物の間の小道を進んでいったら、意外と簡単にお店に着いてしまいました。

配膳を待つ間、金柑のオリジナルソフトドリンクをお湯割りにしてもらったものを飲みながら、メニューの裏表紙にある「割烹滝川のこれまで」というのを読みました。
創業は、ちょうど110年前の1914年ということです。

この頃(明治から大正にかけての時代)、石巻の旧北上川では東京にも出荷するほど大量の天然の鰻が獲れたそうです。
21歳で店を構えた初代は、鰻料理とともに釜めしを滝川の名物にすることに成功し、滝川は木造3階建ての店舗に成長しました。けれども、太平洋戦争が激化する中、大きな建物が空襲の標的になってはいけないということで、滝川の店舗は解体を余儀なくされました。
終戦後、保管しておいた木造建築材を二代目が組み立てて、1949年8月に再スタートを切り、三代目も大不況を乗り切るなど必死でお店を守ってきたのですが、東日本大震災で1階の天井まで津波が押し寄せて、食器類が全て流され、南部鉄器の釜も海水で錆びてしまいました。
しかし、「老舗がこの地を離れるわけにはいかない」と同じ場所での再建を決意、2013年6月7日の営業再開に漕ぎ着けました。
現在は、四代目が先代たちの志を継いでいるとのことです。

お食事をいただく前から、胸にグッとくる割烹滝川さんのストーリーを拝見してしまいました。

ランチタイムだったせいか、1人用のお鍋で、すでに具材が全て煮込まれたものが供され、すぐにいただくことが出来ました。
仙台せり鍋に比べると、ずいぶん賑やかなお鍋です。
昆布出汁に、河北せりと長ねぎ、椎茸、えのきといったお野菜と、牡蠣が 4つに、丸ごと1個のホヤ、さらに、一口サイズのふんわりと美味しい鰻の蒲焼きまで潜んでいます。さすが鰻の名店ですね。
ちょっとセリが煮え過ぎの感じでしたが、石巻の海の幸がぎゅっと詰め込まれたお鍋の滋味深さと、割烹滝川さんの110年の熱い思いを味わわせていただきました。

石巻せり鍋は、冬の新名物として、数年前から石巻市内の飲食店で供されています。このお鍋の基本となる具材は、河北せりと牡蠣のようです。

石巻せりフェアHPより
https://www.umimachi-sanpo.com/seri_fair/

 「石巻のかき」は宮城県内のかきの約6割を生産している、「食材王国みやぎ」を代表する水産物です。
 美しいコバルトブルーのリアス式海岸がつづく南三陸牡鹿半島の環境の恵まれた清浄海域で育った豊満で乳白色のふっくらした身の栄養価の高い食品であります。
 「石巻のかき」は厳しい自主検査等をクリアし、最新の機器で無菌海水とした海水を使用して生産、出荷されたもので、味・安全性共に太鼓判をおせるものとなっています。

石巻市HPより

というお土地柄なので、当然、せり鍋でも、牡蠣は重要な具材となっているのでしょう。

牡蠣養殖技術発祥の地、石巻。

この牡蠣の養殖は、「世界の牡蠣王」「牡蠣養殖の父」と呼ばれた沖縄出身の宮城新昌(みやぎしんしょう)氏によって、約100年前に石巻市の万石浦(まんごくうら)湾と荻浜(おぎのはま)湾で、世界で初めて実用化に成功しました。
(「みやぎ・仙台 日本一!百選」第2章 みやぎの産物 25ページより)

「みやぎ・仙台 日本一!百選」第2章 みやぎの産物
https://www.pref.miyagi.jp/documents/4477/03hyakusensanbutu.pdf

この地で生まれた養殖技術は、低コストで耐波性に優れていることで日本全国に普及。さらに石巻を拠点に、アメリカやヨーロッパなどにも大量に輸出され、今や世界の食用カキの大部分が、石巻にルーツを持つと言われている。

「みやぎ・仙台 日本一!百選」 第2章 みやぎの産物 25ページより

石巻地域の海は、奥羽山脈の山の恵みを運ぶ北上川などが合流し、さらに、海洋深層水も流れ込む場所。エサとなる植物性プランクトンが豊富であり、波が穏やかで内湾が多いなど、カキが育つ絶好の条件を備えている。

「みやぎ・仙台 日本一!百選」 第2章 みやぎの産物 25ページより

東日本大震災で、この宮城新昌氏の顕彰碑が真っ二つに割れてしまったのですが、沖縄の方々の手で再建されました。
高さ約2.5メートルの牡蠣をかたどった新しい顕彰碑は、以前あった石巻市の荻浜に造られ、隣には壊れた元の顕彰碑も飾られているそうです。
(琉球新報デジタル 2013/1/10 と 2013/10/14 公開記事より)

ところが、昨年の12月に、なんとも残念なニュースが。
石巻市では、猛暑で海水温が上昇したため、牡蠣の4~5割が死んでしまったというのです。

影響は、稚貝にも及んでいます。
石巻市の牧浜(まきのはま)では、毎年、牡蠣の産卵が始まる8月にホタテの殻を海に沈め、付着した牡蠣の稚貝を、2年かけて育てて出荷しているのですが、その稚貝の8~9割が暑さの影響で死んでしまい、来シーズン以降の収量の確保も不安視されているとのことです。
(「『大打撃』カキの稚貝が猛暑で8割以上死ぬ 宮城・石巻市牧浜」khb東日本放送 2023/12/08 より)

急激な気候温暖化は、農作物にも水産物にも、大きな影響を与えています。
食材王国みやぎにとって、深刻な問題です。

河北せり

石巻せり鍋の主役、河北せりの栽培は、約300年前の江戸時代には始まっていたと伝えられていますが、名取市で栽培されている仙台せりと異なり、 石巻市河北地区の鉄分含有量の高い土壌で栽培されています。

「河北せり」は北上山地由来の豊富な湧き水と鉄分含有量の高い土壌を兼ね備え、セリ栽培にとって、他では真似ることができない最適の栽培環境を有しています。それらの環境を維持していくため、体に有害とされる「重金属や農薬成分」等の水質検査による水の安全性の確保に努めています。

JAいしのまきHPより

特に4~5月に茎葉を刈り取る「葉セリ」は、石巻地域特有の「飯野川在来」品種限定で出荷していて、柔らかくて香りが良くクセが少ないのですが、柔らかいぶん長距離輸送が難しく、地元市場のみに出回る希少価値の高い食材なのだそうです。

いしのまき元気いちばの河北せり売り場



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