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 序章:新たな風に乗って

noteクリエーターの花やんです。小説『アズーラの風に乗って』の連載を開始します。最後までお楽しみください。

本文

 小田夢佳は、幼い頃から自転車とともに育った。父・宏大は熱心なサイクリストで、週末ごとに彼女を自転車に乗せ、彼の愛するロードや山道を一緒に走った。

母・知子もまた元マウンテンバイクのプロ選手で、自転車を通じて夢佳に厳しいが愛情深い教育を施していた。

そんな環境で育った夢佳にとって、自転車は遊びの延長ではなく、人生そのものの一部となっていた。

小学校の高学年になると、夢佳はすでにその才能を発揮し始めていた。地元のサイクリングレースで連勝を重ね、同年代の選手たちとは一線を画す存在となっていた。

中学に進学してもその勢いは衰えることなく、全国レベルの大会に挑み、一度も2位以下になったことがないという驚異的な記録を打ち立てた。

高校生になると、夢佳はさらにその技術を磨き上げるため、練習の量と質を増やした。

彼女のトレーニングは、ただ長時間自転車に乗ることにあらず、科学的なアプローチを取り入れた栄養管理や体力トレーニングが組み込まれていた。

その甲斐あって、高校では全国高等学校ロードレース選手権大会で3年連続優勝という前人未到の快挙を成し遂げる。

高校3年の春、夢佳は人生を変える大きな転機を迎えた。彼女の圧倒的な実力は海を越え、イタリアの名門ロードバイクチーム「ヴェローチェ・アズーラ」の目に留まった。

チームから正式なオファーを受け取った彼女は、この機会を迷うことなく掴み、プロの道を歩む決断を下した。この選択は、彼女だけでなく、彼女を支える家族にとっても大きな意味を持っていた。

オファーを受けて間もなく、夢佳は家族との別れを経て単身イタリアに旅立った。

新たな国での生活は言葉や文化の壁がありながらも、彼女は自転車を通じて迅速にチームの一員として受け入れられ、新しい仲間たちとの絆を深めていった。

そして、イタリアの美しい風景をバックに練習に励む毎日が、夢佳にとって新たな挑戦と成長の舞台となっていった。

イタリアでの夢佳の日々は、挑戦と発見の連続だった。ヴェローチェ・アズーラに加わってすぐ、彼女はチームのトレーニングプログラムの厳しさに直面する。

ただの準エース候補ではなく、将来的なチームリーダーとして期待されていたのだから、そのプレッシャーは計り知れなかった。


彼女が初めて参加したのは、チームの冬季トレーニングキャンプ。これは、シーズン前の選手たちの技術を磨き、体力を極限まで引き上げるためのもので、イタリアの山岳地帯を舞台に行われた。厳しい寒さと標高の高い環境の中、夢佳は自身の限界に挑戦し続けた。

練習の一環で、長時間にわたる坂道のタイムトライアルやグループライドが行われ、それに伴い、彼女は自転車上での持久力と爆発力を同時に鍛え上げた。


この期間、夢佳は特にチームのベテランコーチ、ジュリオ・マルティーニから多くを学ぶ。ジュリオは彼女の走りに対して緻密なフィードバックを与え、時には厳しく、時には励ましの言葉を掛けた。

彼の指導のもと、夢佳は欧州のレーススタイルと戦術について深い理解を得ることができ、それが彼女の競技力向上に直結した。


春が訪れる頃、夢佳は自分自身の変化を実感し始めていた。イタリアでの生活も次第に慣れ、言葉も少しずつ話せるようになってきた。そして迎えたシーズン開幕戦では、夢佳は自分の成長を証明する場を与えられる。


レース当日、緊張と期待で心臓が高鳴る中、夢佳はスタートラインに立った。彼女の目の前には、ヨーロッパ各国から集まったトップクラスのライダーたちがいた。

信号が解除されると同時に、一斉にペダルを踏み込み、一気にスピードを上げていく。レースの初めはポジショニングを確保することに専念し、チームメイトとの連携を取りながら、集団の中で自分の位置を調整した。


中盤に差し掛かる頃、夢佳はじわりじわりと前へと進出し始める。彼女のペダリングは力強く、しかし滑らかで、まるで舞台上のダンサーのようだった。

周囲の選手たちも彼女の動きに警戒を強めるが、夢佳はそれに動じることなく、自分のリズムを保ち続けた。

最終ラップに入ると、夢佳はさらにギアを上げ、前方のブレイクアウェイグループに追いついた。

そして、見事なスプリントを決めて、自己最高の成績でフィニッシュラインを越えた。このレースで彼女は多くの注目を集め、チーム内でも一目置かれる存在となった。


シーズンが進むにつれ、夢佳の実力と影響力は確実に向上していった。レースごとに彼女の自信は増し、テクニックも磨かれ、チームの戦略においても重要な役割を果たすようになる。

彼女の努力と才能はチームメイトからも高く評価され、多くの若手ライダーにとっての憧れの存在となっていた。


しかし、夢佳が所属するヴェローチェ・アズーラが直面したのは、予期せぬ試練だった。親会社の経営難が深刻化し、チームの存続が危ぶまれる事態に。チームメンバー間では不安が広がり、彼女自身も未来に対する不安を抱えながらも、練習に励み続けた。


シーズンの終わりには、避けられない決断が下された。ヴェローチェ・アズーラは解散することとなり、夢佳は突如としてチームを失う。それは彼女にとって大きな打撃であり、同時に新たな道を模索するきっかけとなった。


解散後、夢佳は一時期の途方に暮れながらも、自らを見つめ直す時間を持った。彼女は自転車競技への情熱を再確認し、さらなる成長を遂げるために次のステップを踏み出す決意を固める。

そして、新たな挑戦への準備を始めたのだった。この経験が、彼女をさらに強いライダーへと変貌させることになる。


夢佳のイタリアでの冒険は終わりを告げたが、彼女の物語はまだ始まったばかりだ。新しい章が、これから開かれようとしている。

彼女はヴェローチェ・アズーラでの年間報酬が、大卒一年目の女子平均及び男子平均を大きく上回る800万円もの額であった。

高校3年生からの8年間の在籍で、同年代の倍以上を稼ぎ出していた。また、彼女自身が立ち上げたロードバイクウェアブランドは女性向け商品を中心に欧州、米国、日本のスポーツ自転車専門店やスポーツ用品店で販売され、有名な女性ロードバイクライダーたちとのコラボ商品も人気を博していた。

このブランドからの年商は10億円を超え、ブランドの日々の運営はスポーツウェアファッションのプロフェッショナルに任せているものの、夢佳もイタリアからオンラインで積極的に関与していた。


彼女はまた、日本女子ロードバイク界の絶対的エースとして、自身の立場を十分に理解し、イタリアと日本で子供向けの自転車安全教育に関わる一方で、日本政府の自転車政策に関する民間委員としても活動していた。


しかし、イタリアでのチーム解散は彼女にとって大きな喪失となった。地震のブランドからの収入があるため、何とかイタリアでしばらく暮らすことはできたが、彼女は次の一手を考えていた。

実際にイタリアを中心に、オランダやフランスなどの女子ロードバイクチームからも声がかかっていた。ヴェローチェ・アズーラでの彼女の名声と実績は、その地位を確固たるものにしていた。


それでも彼女は、日本への帰国を真剣に検討していた。チームメイトであったマリア・ルチアーニやアンジェリカ・フェラーリなどと相談すると、彼らは一様に「自分の心に従って行動すべきだ」と助言してくれた。

夢佳は、高校1年生の頃からイタリアでプレイすることを夢見ており、そのために趣味で始めたイタリア語と英語の勉強は、すでにプロフェッショナルレベルにまで達していた。

彼女の語学力は、高校時代の英語教師をも驚かせるほどであり、英語の成績は常に学年トップだった。


イタリアでの文化の違いは苦労も多かったが、マリアやアンジェリカの支援により、彼女は見事に順応していった。

チーム解散の直前には、すでに地元の人々と変わらないほどに馴染していた彼女だが、心の中では常に日本への帰国を考えていた。

解散したチームのメンバーとの深い絆と、共に過ごした日々は彼女に多大な影響を与えていた。


チームメイトたちとは、離ればなれになるものの、互いの新しいチームでの活躍を応援し合い、連絡を取り合うことを約束した。

特にマリア・ルチアーニとアンジェリカ・フェラーリは、夢佳の決断を全力で支持し、「どんな選択も君の未来を切り開くための一歩だ」と励ました。


夢佳は、イタリアでの経験が自分を大きく成長させたことを実感しつつ、日本で新たなスタートを切る決心を固めた。

帰国の準備を始めると同時に、イタリアにも引き続き拠点を保ち、世界中を舞台に活動を続ける計画を立てた。

これからの変化に胸を躍らせながら、彼女は一つの章を閉じ、新たな物語の幕を開けようとしていた。次回第一章 第一話:帰国の誓いに続く…。



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 今回はここまでとなります。最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

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