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【童話】バニラの瞳

 僕は、生後二か月で、田中家に引き取られた。
 田中家には、パパとママと三歳になるサクラちゃんがいた。
「今日から、このワンちゃんは私たちの家族よ」
 ママがそう言って、
「名前は何にする?」
 パパが訊いて、
「バニラアイスの色だから、バニラ!」
 サクラちゃんが即答して、
「よし、バニラだ!」
 僕の名前は決まった。
 そんなに簡単に決めるもの?って僕は呆れたけど、サクラちゃんが僕を抱きしめて「バニラ〜」って言った瞬間、その名前がストンと胸の中に落ちてきてじんわり温かくなったんだ。
 だから、僕はありがとうとお礼を言った。ワンワン。

 田中家のママは、よく喋り、よく笑い、細かい作業が苦手な人だ。家事全般、高速で適当にこなす。
 ドッグフードは、お菓子が入っていたアルミの大きな缶に保存されているけど、ママは、なぜかその蓋をちゃんと閉めない。だからお皿にドッグフードを入れようとするたびに蓋が落ちて、ドッグフードが床に散らばるという騒ぎがおきる。
「あらあら、犬が散らかさないのに、なんで私がエサをバラまくのかなぁ」
 ママは毎回そう言って笑いながら掃除をする。大雑把すぎるよね。
 でも、僕の体調の変化を真っ先に感じとってくれるのは、ママだ。
「バニラ、かゆいの?」「バニラ、お腹が痛いの?」「バニラ、疲れてる?」
 ママは、本当に僕をよく見ている。

 僕と仔犬同士のようにじゃれ合っていたサクラちゃんは、どんどん大きくなった。人間の成長って、あっと言う間なんだね。
 僕はランドセルを担ぐサクラちゃんを見たし、熱でうなされるサクラちゃんの横にもいたし、ふてくされて宿題をする顔や、中学と高校の制服姿も見た。
 最近、サクラちゃんは、誰かと電話で話し込むことが多くなった。電話を切ると必ず「バニラ〜」と言って僕を抱きしめにくる。
 抱きしめられた僕の耳はサクラちゃんの胸にくっついていて、いつもより速くなっているサクラちゃんの鼓動を聞く。サクラちゃんをドキドキさせている電話の相手は誰だろう?
 サクラちゃん、僕はちょっとだけ、やきもちを妬いてるよ。

 田中家のパパは、昔、短距離走の選手だったらしい。だから散歩のときは、僕に負けないくらいの速さで走る。ゆっくりとお散歩している他の家の犬を追い抜く。僕は犬友達に自慢する。うちのパパ、凄いだろ?  ワンワン。
 そんなパパも、ここ最近は、途中で立ち止まって休むことが多くなった。
「昔みたいに走れないなぁ、俺もバニラも」
 僕の視力は落ちて、夜、道と側溝の境目が見えない。耳が遠くなり鼻も効かなくなった。猫がそばにきても、もう分からない。
「人間と同じよね」
 ママとパパが話していた。
 最近の僕は、ご飯を食べたかどうかも忘れることがある。

 サクラちゃんのおじいちゃんが、田舎から遊びに来た。
 おじいちゃんは動物が苦手な人で「子供がいるのに室内で犬を飼うなんて、信じられない」と、田中家が犬を飼うことに反対したらしい。
 だから僕はおじいちゃんが遊びに来ると、部屋の隅で静かにしている。おじいちゃんが僕に触れることも今までなかった。
「この犬、何歳になった?  毛並みがいやに汚くなったな」
 おじいちゃんが、ママに訊いている。
「十五歳。人間で言うと八十くらいでしょうからね、そりゃあ、見た目も変わりますよ」
 僕も、そうだよなと思う。
 眠気が襲ってくる。最近の僕は、一日中寝ている気がする。

 ママがお茶の用意をしているときに、おじいちゃんが僕のそばに来て座った。
 視線を感じて顔を上げると、おじいちゃんが僕をじっと見ていた。
「歳をとると、しんどいなぁ」
 おじいちゃんに、初めて話しかけられた。
 おじいちゃんが、僕の頭から背中にかけて、ゆっくりと撫で始めた。
 おじいちゃんの手は、田中家の三人と違いカサカサとして骨張っている。
 僕はおじいちゃんの顔を見た。目が合った。
「でもなぁ、長生きしようや、お互いに」
 おじいちゃんはささやくように言って、僕の頭をぽんぽんと小さく叩いた。
 僕はうなずく代わりに「クィーン」と声を出す。おじいちゃんの手があったかい。おじいちゃんと僕の間を、あったかいが行ったり来たりした。
 
 僕は、田中家で、十五年暮らした。
 三歳だったサクラちゃんは十八歳になった。
 ママとパパは元気だけど、白髪や顔のシワが増えてきた。
 僕は、ベランダに面した窓の前で、気持ちの良い朝の日差しを浴びながら寝転んでいる。
「バニラ、いってきます」
 サクラちゃんが学校に行く前の挨拶をして、僕の頭やほっぺたを撫でる。僕は、そのサクラちゃんの笑顔を脳裏に刻む。サクラちゃん、大好き。
「バニラ、ご飯、ちゃんと食べろよ」
 パパが仕事に行く前に声をかけてくれる。パパありがとう。お酒飲み過ぎないでね。
「バニラ、眠たいの?」
 ママが僕の背中を撫でる。ママ、泣かないでね。悲しまないでね。
 僕は、ゆっくりと目を閉じる。
 あぁ、楽しかった!



⭐︎過去作品。童話の分野に入れても良いのかな? 2013文字


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