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6月は優しい。

雨の季節になった。
今住んでいるアパートは小さな二階建てで、一階ごとに一部屋しかないため、私ともうお一人だけで満室状態だけど、敷地内にある大家さんのお宅(外階段があるアパート風)の二階にも住んでおられるようなので、店子は3人ということになる。

入居の順は、下の階の方→、私→大家さんの二階の方なのだけど、以前、その二階の部屋には赤い傘を使う女性が住んでいた。
姿を見たことはないけれど、私が引っ越してきてわりと間もなくその人が退去して空き家になって、郵便受けの名前を外して「のっぺらぼう」になった途端に私宛の郵便物をそこに投函されるという誤配送が何度か発生して、その関係で大家さんに話を聞いて、「ああ、引っ越されたのか…」と少し感傷的になったものだった。

去年の今頃、梅雨入りしてから、大家さんのお宅の二階の外階段の踊り場に赤い傘が立てかけてある光景を目にするようになった。
雨の日のモノトーンの風景の中で、斜めに立てかけてある赤い傘(ふわっと閉じただけでボタンを留めてはいない)だけがパッと発光しているようで、なにやら文学的な気配が漂っていた。
私自身は赤い傘をさしたり赤いヒールを履いたり赤いマニキュアや口紅をつけたりしないし、私の周囲にもそうした人はいないので、古いアパートの二階の赤い傘は、なんだか現実からは遠い世界の象徴のように見えた。
そして思った。住人はもしかすると松本清張とか宮部みゆきの小説に出てくる陰のある美女かもしれない。

その薄幸の美女(イメージ)が去ってから数ヶ月して、若くて元気な方が入居した。若くて元気、というのは大家さんの説明で、その根拠は、彼女が所有し日常的に乗っているというバイクにあった。敷地内に置かれた黒の250ccのクラシックバイクは、赤い傘と対照的ではあるけれど、私は新しい住人にも勝手にまた文学的なイメージを抱いた。絲山秋子や津村記久子の小説に出てくる女性のようだなぁ、と。(あくまでイメージなので作品に実際にそんな人が出てきたことはないかも)

広いアパートの敷地(ほとんどは庭なので鳥がよく訪れる)を隔てた隣には立派な日本家屋があり、二世帯住宅なのか小さなお子さんの声がよく聞こえる。
しゃべり声もだけれど、それより歌声がよく聞こえて、他人をまったく意識していない素直でのびやかでちょっと「こまっしゃくれた」少女の歌声から、小学2〜3年生くらいだろうかと想像しつつ、姿を見ることはまずないだろうと思っていた。
けれど先日買い物に出かけようと階段を降りると、表で自転車に乗った(わずかな長さの私道を回遊?している)二人の少女に遭遇した。歌声から、お隣のお子さんだと分かった。てっきり私はおかっぱの「ちびまる子ちゃん」やクレラップのCMの少女みたいなイメージを持っていたのだけれど、二人とも水色のシンプルなワンピースを着てウェーブのかかった長い髪をカチューシャで留めていて不思議の国のアリスみたいだった。

想像と、実際とは違うんだなぁ。だけどどっちも面白いなぁ。

ところで今日は大雨で、出かけるのをやめて、時間があったので部屋の整理をしていると、昔のノートが出てきた。昔の私は何を考えていたのかなぁとパラパラめくると、こんな書き込みがあった。その内容がちょっと、上に書いたことに通じるように思うので、ここに書き写してみたい。

子供の頃、猿の惑星や北斗の拳やAKIRAや漂流教室などを見て、「(地球に)誰もいない」ことの恐ろしさを感じるせいか、朝起きて、鳥の声や宅配ドライバーの車の音やお兄さんの「はよーざいます」という声、雑音も含めた生活音がするのを確認してホッとすることが今でも時々あります。
人混みは苦手だけど、誰もいない世界は寂しすぎる。
耳をすまさなくても誰かがどこかにいる物音がすること。
見える場所に何もなくても、その辺に誰かの気配があること。
ハーモニーっていうのは、雑音も不快も含めて五感で「生きている」のを感じられることなのかなぁと思う。
誰か特定の人を大事にしたりするのと同じくらい、自分以外の誰かが今日も周りに存在することをかすかに毎日感じることも、面白くて大切なことなんじゃないかなと。
とはいえ、電線にビッシリとまったムクドリの群れは嫌いで、一羽のカラスには気高さを覚える私ですが。

5月の4週目からずっと仕事で家にこもっていて、図書館やランチ以外、最寄駅から移動することなく過ごし、人に会うこともほとんどなかった。

今日も大雨で家を一歩も出ずに過ごすことになり、ただ、午後になって門が開閉する音がしたので、郵便かなと思って雨が少し弱まったタイミングで下に降りると、郵便受けに入っていたのはチラシ一枚だったけれど、その時見知らぬ女性と鉢合わせになった。私の方の建物の門を開けて入ってきたのは、そこに置いているバイクの様子を見にきたからだろう。ということはつまり、大家さんの建物の二階に住む新しい住人さんなのだった。
雨の中なので「こんにちは」とだけ交わしてその場を離れたものの、その一瞬で、とても素敵な人だとわかるというか、たとえば歌手の「あいみょん」さんみたいな、「ああ、いいなぁ」とつい素直に思ってしまう感じの人で、ああ、この方がこのバイクに乗るのか〜と嬉しくなった。
そんなわけで、お隣のアリス姉妹に続いて、バイクに乗る爽やかな人の実体に出会えて、今日はなんだか嬉しくて、とりとめもなくこんな話になりました。

最後に、ノートと一緒に出てきた昔の絵を。
世の中は理不尽で残酷で、信じられないことばかり起きますが、だからこそ出来るだけ優しい心で暮らしてゆきたいです。

*大雨の被害が各地で出ていることを知りました。どなたもご無事で過ごせますように。