トーストにハチミツを、痛みは粉々に
ときどき、ぐわりと落下する。
それは、予期されていることもあれば
今日のように、よく晴れた昼下がり。
乱反射する日差しを浴びて、そして焼かれてゆく。
優しさも明るさも、ときとして凶器に成り得る。
すうっと手を伸ばそうとしているのか、
あるいは、手を伸ばす”フリ”をしているのか、その区別すらつかない。
ただ、落ちてゆく。
静かに、誰にも気づかれずに。
自分ではどうすることもできないから、やはり手を伸ばすべきなのだろう。
さて、どこへ
こういうときは、ある程度の決めごとがよいのだと思う。
落下して、息が苦しくて、何かに焼かれて、切り刻まれて
そんなときに、冷静な判断なんてできるわけがない。友達にだって電話できない。多くのことは、笑い話の事後報告がいい。
だから、約束なのだと思う。
スターバックスのコーヒーと、シュガードーナツ。
魂心屋のラーメン。
とにかく歩くこと。
自分の心を健やかにする決めごと、自分との約束。
AirPodsを取り出して、アーティストを選択。シャッフルボタンを押す。
わたしの約束。
それは、スガシカオを聞くこと。
もう、どうしようもないときに、わたしはここへ帰ってくる。
最初の曲は、”ハチミツ”だった。
2024年5月現在では、最新のシングルで、中毒性がある。
ライブではオレンジ色の照明が煌々と降り注ぎ、それがなんていうかバカみたいな能天気さで
明暗のある歌詞なのにどうしてだろう、と考えたとき、「ハチミツ色」という意味だと気づいて、やっぱりバカみたいな気持ちになった。
世界で一番明るく、やさしいオレンジだった。
スガシカオは今日も、トーストにハチミツを落としている。
そう思うと、なんだか少しはマシになる気がするから不思議だ。
次の曲は、”19才”だった。
イントロから笑ってしまった。
もう、十年以上聞いている……なんてモンじゃない。
わたしの19才最後の日、2007年12月8日は、この曲で締めくくられている。
スガシカオはまだ、唇に毒を塗っている。
いや、塗られているのだろうか。
最近は、この手の曲も増えて、ライブで聞ける回数も減ったけれど
けれどもきっと、スガシカオはずうっと19才を歌ってゆく。多分、そんな気がして
ときには真実よりも”そんな気”のほうが重要だったりする。
スガシカオはまだ、唇に毒を塗っている。
そう思ったら、たいていのことはどうでもよくなった。
その次の曲は、”Progress”だった。
まだ泣ける。
何度聞いても泣ける。
”19才”と同じアルバムに入っているこの曲を、もう何百回聞いただろうか。
十年以上もこの歌詞に泣かされて、もうずっと「もうちょっとカッコよかったけれど」って歌い続けて、ダセェ日々を過ごしちゃっているわけだとしても。
たぶん、それでいい。
それほど、いうほど、ズルせずにやってきたはずだ。
希望が凶器になったとしても、
スガシカオになら殺されてもいいと思っている。
その次の曲は、”真夜中の虹”で息が止まった。
逃げ切れないよ……わかっているよ。
でも、逃げ切ろうとしちゃったり、魔法の薬に頼ってみたりしちゃうワケ。どうしようもないから。ナメクジ色の心だし。
そういえば昨日会った友達が「自分ひとりでやっている仕事をコッソリ放棄したら、いつかクレームが入るのだろうか」と考えたりする、と告白してくれた。
「やめとけ」と思ったけれど、なんとなく逃げ切れそうな気もしている。
人生の「逃げ切れそうな気もする」という妄想には、何か救いのようなものを感じる。
スガシカオという人の、言葉のセンスに脱帽する。
まずレスポールで、ぶっ壊そうとしてしまうところもそうなんだけれど
「痛みを粉々にしたい」
これはすごく強く、優しく、勇敢な言い回しのような気がする。理解できるけれど、なかなか出てこない。
お別れから「逃げ切れるかな」という言い回しもそう。
「忘れる」「なかったことにする」「目を背ける」
そういった、似たような意味合いの言葉から、いつも絶妙な、それこそ心臓のやらかいところを、突いてくる。
それはそれとして
スガシカオは今日も、レスポールをぶん回している。
そして、痛みを粉々にしようとしてくれている。
そう思ったら、いろんなことばバカバカしくなった。
人生に不安はつきもので、どれくらい誤魔化せるかが勝負だ。
だって、誰に聞いても大なり小なり悩みはある。
それを、どれくらいオオゴトにしているかとか、脳内を占めているかとか、そういう割合が違うだけで。
だから、バカバカしくなる、というのは存外悪いことではない。と思う。
あれもこれも不安で、と思っているよりも、蹴飛ばしたり粉々にしたりするくらいでよいのだと思う。
そうしてわたしも、誰かの痛みを、粉々にできる人になりたいと思う。
粉々……というのは少し違うのかもしれない。
「まあいいか」くらいの感じになればいいと思う。
自分が悪いばっかりじゃないんだゾ、と少しだけ視野を広く持ってもらえたら嬉しい。
視線を上げたその先は、たぶんスガシカオが救ってくれる。
わたしが、視線をちょっと上げるとか、下げたままでもまあ悪くないとか、そういう感じでいいのだけれど。
誰かにとって
わたしのスガシカオ。みたいな、やさしい存在になれたらいい。
わたしが苦しいときに、スガシカオの音楽に帰ってきて、こうして夜には笑えているみたいに
誰かがここに帰ってきて、いつ帰ってきてもなんとなく新しいハナシと古いハナシがあって、ちょっとだけ大丈夫のような、誤魔化しのお手伝いができたらいい。
そんなふうに思いながら、今日も書いている。
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