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コーヒーとガソリン

飲み物が好きだと思う、というと少し違うような気もするけれど
やっぱり、好きだと思う。

とても当たり前に、コップと暮らしている。
家でも、会社でも
コップがカラだと落ち着かない。
移動中は飲まなくても平気なのが不思議なくらいだ。
でも、「喉が乾いた」という瞬間に飲まずにいると、急にそわそわしたり、イライラするので飲むことは大切だなあと思う。
飲むこと、というよりも
飲み物と生きること。

デスクの上にはコップがある。
よく座る場所にはコースターもある。
いつも何かが入っていて、あんまり飲まない日もあるけれど、コップを置かない日はない。

飲み物であるなら、なんでも飲む。
苦手なものは少なくて、アルコール全般(良さを理解できなかった)と、アールグレイとチャイと甘酒が得意ではない。
ジュースのたぐいは、ときどき飲む。炭酸も好き。
水も飲む。(水を飲むのが苦手、という友達もいるが、わたしは平気だ。お茶の代わりにお湯でもいいと思っている。

暑い季節の我が家には、コーヒーとお茶(ほうじ茶か緑茶)、ハーブティーを冷やして常備している。
もうすぐ、あたたかい飲み物が恋しくなって、その都度お湯を沸かすのが面倒だと思うのに
きっと、サーモタンブラーにティーバッグをぶち込みながら「あたたかくてしあわせだなあ」と言っている。
まぬけなわたしが目に浮かぶ。

いまは、コーヒーを飲んでいる。
コーヒーだけは、年中冷たくして常備している。
コーヒーは「飲みたいときに淹れる」という文化ではなくて、「いつでも飲める状態=アイスにしておく」というのが、もう何年もこの家の文化だった。

昨日からサボっているピアノ日記を消化させながら、ようやく洗濯機をまわして
それから飲んでいるコーヒーである。

今晩は、「エッセイを2本書く」「お風呂に入る」「手紙を書く」「セブンイレブンに新作ネイルを買いに行く」あたりを消化させたいけど、そろそろ日付が変わろうとしている。
やることを絞って、いくつかを明朝に回す。
そうすると「手紙を書く」の優先順位が低くて、なかなか書けずにいる。
あんなに好きなのに。
手紙を書くって、本当に贅沢な時間だなあと思う。

そう思いながら、コーヒーを飲んでいる。

コーヒーを飲んでいるうちは、大丈夫だと思う。
べつに、なんでも飲んでいれば大丈夫だし、紅茶を飲んでいるときは大丈夫じゃないわけではない。

ただ、コーヒーを飲んでいるときは「もうちょっと頑張ろう」と思っている。
必ず、そう思っている。
僅かながらでもそう思える気力を、持ち合わせている。
食後のシュークリームのお供飲むこともあるけど、そういうときはすぐに飲みきって、お茶の類に切り替えている。

ひとりでのんびりするときは、お茶を飲む。
あなたと話すときにはコーヒーを飲む。
そしてひとりで、立ち向かうときにもコーヒーを飲む。
「よっしゃやるか」というときは、コーヒーを選んでいることが多い。

もちろん、スターバックスでご褒美的に飲むこともあるけれど
あれもやっぱり、本を読んだり手帳を開いたり、一応「前向きな行動」をしようとしたりしちゃうのである。

そう思うと、コーヒーはわたしのガソリンかもしれない。

最近、漫画「ワンピース」を1巻から読み返しているのだけれど、
フランキーでいうところの、コーラみたいなものかもしれない。

「煙草とコーヒーとチョコレートでできている」と言った葉子さんのことを、
いまでも愛しく思っている。
わたしは昔ほどチョコレートを食べなくなった
(きちんとしたふうに、栄養のある食事を摂って生きようとするようになった)
煙草もやめてしまった。
わたしにはいま、コーヒーだけが色濃く残ってしまったのだと思う。

ビールがガソリンだ、というひともいる。
みんないろいろだ。
ガソリン以外はほしくない、というひともいるだろうけれど
わたしは、ガソリン以外の飲み物もきちんと愛している。
愛しているものが多いと、人生は身軽に鮮やかになる、というふうに思っている。

でもやっぱり、コーヒーがわたしのガソリンだ。と思っている。




※葉子さんのこと

※now playing

ふだん、歌詞のある曲を聞きながらエッセイは書かないんだけど
今日はヒロアカ見ちゃったから…

いままでのヒーロー像(明るい、強い、バカ、修行すると強くなる)と、ちょっと違って
凡人が、考えることと努力で強くなっていくところがすごく好きです。
みんな才能があるのに、みんな人間くさいところがすごく好きです。
6期たのしみにしてます。







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