【往復書簡】 おとなになるということ
▼前回の手紙
おはようございます。
今日は、寝起きで手紙を書いています。
なんとか起き上がって、コンタクトを入れて歯を磨いて
そのままパソコンの前に座って、下書き記事の微調整(頭を使わないやつ)を30分ほどやって、いまに至ります。
意外と思われるかもしれないというか、わたしも意外に思っているんですが、実は「寝起き」というのは、執筆が捗るタイミングのひとつ(体調によるけど)
顔も洗わず、パソコンの前に向かう。
飽きたら顔を洗う。
そう、わたしめっちゃ飽きっぽいから、「飽きたときにできること」を幾つか残しておくんだよね。それこそ顔を洗うとか、洗濯をする、掃除をする、コーヒーを淹れる。
書き続けるのって、1時間ぐらいが限界だし、わたしはそのあいだにスマホ見たりしちゃってるね!
集中できないわたしはクズだな〜って思っていて
きっとそれは思うほどクズではないことに気がついた結果
「いやまあ、クズのまま生きていけばいいっしょ」と思えること
なぜかそれは、小娘に立ち返るような瞬間でもありながら、「おとなになる」ということのような気もしています。
これ聞いて安心したな〜〜〜
わたしも書き始めれば、それなりに筆は進んでゆくのだけれど、「書き始める」までが時間がかかる。
情熱の炎っていうのは、「書こう」って言った瞬間がいちばん燃えている。
往復書簡でいうならば、居酒屋でジャンケンしたとき……「どっちが先に書く?」なんて言った瞬間が、いちばん燃えていたはず。
ああ、人生ってめんどくさいの連続だけれど
めんどくさいと、楽しいって紙一重なんだよ。
わたし、このあと友達と出掛けるんだけど、やっぱり”出掛ける”そのものは面倒だもんね。
ねえめけ、人生の矛盾について、おもしろい話をしてよ。
あと、めけはいつ書いているのか。よかったら教えて。
そういえば、前の手紙で水族館の話をしていたけど、わたしが水族館の年パス持ってた話ってしたっけ?
すみだ水族館と、アクアパーク品川と、それぞれ持っていたことがあって。
都内でいちばん好きなのは、すみだ水族館!
小笠原大水槽の前で、わたしは何時間も座っていられる。
魚を見ることも好きなのだけれど、そのふつふつと浮かんでゆく空気の泡を、わたしは見ている。見ているだけ。
すみだ水族館は、実は飲食物の持ち込みができる。っていうのもいいよね。水族館でスタバ飲める。
あと、年パス持ってると出入りが自由なの、ほんとうに気軽だよね〜
水族館でおしゃべりして、ポケモンセンター行って、帰ってきてまたのんびりできるって最高。
年パスを持っていたときは、「ちょっとすみだに寄って座って帰ろ……」とか思ってた。
アクアパーク品川は、営業終了時間が遅いところを評価していた。
当時、原宿で19時まで働いていたのだけれど(けっこうまじめに。週5、6で)
時折、山手線に乗って品川に向かう。
クラゲの水槽の前で、ジンジャーエールを飲む。ベンチがあるのがいい。
あそこはいつも、照明と音楽が連動して、きらびやかなのがいい。
それからエスカレーターを登って、イルカショーのコーナーにたどり着く。
けれども遅い時間には、イルカはもう寝ていて。
「光と水のショー」っていうのをやっているのだけれど、それもとてもいい。
言葉の通り、光と水が織り成すその瞬間の、美しさたるや。
久石譲の「Summer」が流れたときには、ちょっと泣いた。
水の跳ねる音が、世界でいちばん美しい瞬間のひとつだといえる。
それから、ワンダーチューブのフチに座る。
その名の通り、チューブ型で、左右と天井が水槽になっていて、その真ん中を歩くので、自分が海の中にいるみたい。
よく、エイのおなかを見ている。
エイとサメの違いは、一度説明してもらったんだけど、忘れちゃった。
でも、白いおなかはどちらも好きだと思う。
ということで、ここまで水族館について熱弁してみたのだけれど、「魚」という単語が一度も出てこなくてびっくりだね。魚は見ていないのかもしれない……それでもよければ、水族館にいきましょう。
あと、「美味しそうな魚」ってのもわかんないんだよなァ。
うち、同居人が料理作り置きしてくれてるわけだけど、ちょっと前まで、ラップの上に魚の名前が書いてあったのだけれど、ついに書かれなくなってしまったね!
「カレイおいしかった?」みたいに聞かれても、「名前は知らんけどおいしかった」って答えすぎたんだと思う。
わたしは日々、名を知らぬ魚を食べている。
あと、実はサメ映画ってほとんど見たことがないというか、アニメ以外の映画(ドラマ)もほとんど見ないんだよね……
サメとか、恐竜とか、友達が好きだから、友達の部屋で垂れ流しで見たことはあるんだけど。襲われているところとか見ると「ヒィッ」ってなっちゃう。案外小心者。
案外、モノを知らない。
そのことを恥ずかしく思っていたこともあるけれど、それもそれでまあいいかと思えてきたのが、やっぱりおとなになるような気がする。足りないものばかりを追い求めないというか……
モノを知らないってのは、知ってゆくモノが多いってことで、それもそれで愉快だしね。
水族館に行ったら、予想通りの結末にならないかもしれない。
わたしは何を見るわけでもなく水槽を眺め、瓶のジンジャーエールや、ソフトクリームに浮かれているだけかもしれない。
何が起こっても「オモロイ」と言ってくれるオッサンでいてほしい。
じゃあ、今日は短いけれどこのへんで。
そう、短くていいんだよ。
なんだか長く書いたほうが頑張った感じがして、頑張った感じのほうがヨシとされるような風潮が、どこかであるような気がするけれど
書きたいだけ書く、食べたいだけ食べる。
常に”たくさん”であることよりも、誰かと比べてそわそわするよりも、「自分に合った量を見極めることが大切」って、最近は鍼灸師さんと話しながらそんなことを思うよ。
あなたと知り合ったころは、「健康!クソくらえ!」と言いながら、アメリカンスピリットをふかしてばかりでしたね。
一生分の不健康を、あのころに蓄えられたことを幸福に思っています。
2024年5月16日 ねる
いまは健康の話ばっかりしているよ。
▼鍼灸師さんと書いている、生きやすさのはなし
(追伸)
ライザのアトリエに帰らなくても、日々の心の平穏が保てるようになりました。終わっていないゲーム、終わらたいゲームを積んでいる幸福たるや。
いつでもアトリエに帰れる権利を有しながら、日々邁進してゆきます。
▼今までの手紙まとめ
スタバに行きます。500円以上のサポートで、ご希望の方には郵便でお手紙のお届けも◎