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KOJIKI<倭建命⑦>

愛する妻、弟橘比売命への想いを残したまま、倭建命はさらに東征し、荒ぶる神をたちを服従させ、滅亡させそのまま足柄、甲斐国へと戦いを進めていきます。

新治(にひばり) 筑波を過ぎて 幾夜か宿(ね)つる

と、詠めば警護の火を焚いていた老人が「かがなべて 夜には九夜 日には十日を」

と返したそうで、これが我が国の連歌の始まりと言われています。この歌を詠んだ老人はこののちに当意即妙をめでて吾妻の国の国造に命じられました。

そのまま、信濃を経て尾張に向かい、結婚の約束をしていた美夜受比売(ミヤズヒメ)を娶ります。

「おかえりなさませー」と美夜受比売(ミヤズヒメ)は駆け寄ります。

 久方にあう美夜受比売(ミヤズヒメ)のうちかけの裾にはメンゼスの血が滲んでいました。妻のメンゼスの血を見てしまった事。これは、倭建命のこの先の不穏な様子を暗示のような描写です。なぜなら、皆様もご存知の通り、女性の月経が血忌み、赤不浄(あかふじょう)などといって、古来、穢( けがれ)と考えられてきました。

 さらに、不穏なことに倭建命は、伊服岐能山(いぶきのやま)の神を従えるために、草薙の剣を美夜受比売の元に置いて出かけてしまいました。山の神を素手で退治できると豪語して、伊服岐能山へ向かったのです。

 山に登っていると途中で、白い大きなイノシシに遭遇しました。「不思議なイノシシだ。神の使いかな?まぁ、今は殺さず、帰りにでも始末すればいいか」と侮ってしまいました。ところがこの白い大きなイノシシは神の使いではなく山神そのもの打たのです。山神は激しい氷雨を降らせて、倭建命を窮地に追い込んでいきます。

 倭建命は失神してしまい、清水の辺りでようやく回復しますが、足がたぎたぎしくて歩くこともままならない状態になってしまいました。

 この清水は居醒いざめ の清水(=玉倉部(関ケ原町玉)の清水)と言われています。また、たぎたぎしく(足をひきづって)歩いたから、その地を当芸(たぎ)といい、杖をついて坂を歩いたから杖衝坂(つえつきさか)と呼ぶとか・・・この時の倭建命がとおた道のりには地名縁起がたくさんあります。

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衰弱しきってしまった思い足をひきづりながら、都(大和)へ向かいます。倭姫命から授かった天叢雲剣をなぜこの時ばかりは忘れていったのか・・・。このお話も美夜受比売(ミヤズヒメ)が「尾張氏」の祖先であることを思うと、実は、美夜受比売(ミヤズヒメ)も倭建命の命を狙っていたのではないかと・・・ともうがってしまいます。

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