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あれこれ言わないほうがむしろ幸せかも

「あ~またやっちゃった。」とよく反省することの一つとして、「良かれと思って出しゃばっちゃったな。」というのがあるのです。

「先生」という職種のクセなのか、「聞かれてもいないマニアックな部分まで長々と話をしてしまう」とか「できる能力があると分かっているのに、手を出してしまう」なんて日々反省であります。

そんな僕のような出しゃばりに教訓となるような情報を見つけましたので、ここに記しておきます。

「良かれと思って」が、全く違った結果を引き起こすかもしれません。

ぜひとも、このまま読み進め、心に留めておいてくださいね。

▼「良かれ」が不幸せにつながる場合もある

教訓を与えてくれる実験は、こんな感じ。

実験参加者にストラヴィンスキーの「春の祭典」を聴いてもらうというもの。

その際、一部の実験参加者に「幸せな気分になるように心がけて聴いてくださいね。」と助言したのです。

さて、助言された人たちは、ただ単に音楽を聴くよりも幸せな気分に満たされたのでしょうか。

実は、この助言によってもたらされたのは、

「普通に聴くよりも不機嫌になる」

というなんとも残念な結果だったのです。

#明日の幸せを科学するには、不機嫌になってしまった理由が2つ示されています。

1つ目に、「幸せな気分にならないと」という余計な雑念によって音楽を楽しむ気持ちが逸れてしまったこと。

2つ目として、「『幸せな気分になれ』というのは、人から言われてできるようなものではない」ということ。

要するに余計なお世話なのでしょう。

人間の幸福度を上げるためには、「人生を自分で切り開いているんだ!」という「コントロール感」が必要不可欠。

だからこそ、幸せというのは誰かから与えられるものではなく、ましてや、指示されて見いだすことができるものでもないのです。

「言われるとやる気がなくなる」なんて子どもたちから聞くこともありますが、この理論は日常生活の様々なところで応用できるのかもしれません。

「ということは口出ししない方がいいのかな?」という結論に達しそうですが、大切なのは「自分で獲得した!」という感覚

まだまだ経験値の浅い子どもたちをサポートする場合であれば、一から十まで全て指図するのはおすすめできませんが、ある程度の道筋が決まったら、あとは見守っておくというのは有効でしょう。

「相手のことを思って」が全てよし!とは限らないのです。

ちなみに、「勉強しなさい!」という助言は、勉強しない子どもさんには多少嫌がられても使った方がいい!みたいな情報もこちらにまとめましたので、読んでみてくださいね。


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