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修学旅行文集『裏・青丹よし』(下巻)

第7話「平熱の京都と袋とじ」

 4日目、我々は西陣を訪れた。
 これは4日目の朝、地理の先生の助言も踏まえて決まったことである。
 西陣は古民家が多く立ち並ぶ地域で、西陣織の産地として知られている。ここでやることと言えば織物を買うか古民家を眺めるくらいしかないため、観光地としてはかなりマニアックである。

 ここで紹介しておきたいのが『京都の平熱』である。
 これは旅行の1か月ほど前、地理の先生が僕に貸してくれた本のタイトルである。著者は京都出身の哲学者、鷲田清和先生である。
 地理の先生は修学旅行の行程が決まらず悩んでいる我々を見かねて、この本を持ってきてくれた。
 結局僕は最初の10ページほどしか読まずにこの本を返却したが、たぶん非日常の観光地よりも、京都人にとっての日常、すなわち「京都の平熱」を味わってほしいということなのだろう。

 狭い道、古びた家屋、家の前に置いてある古道具・・・
 そこに暮らす人々の息遣いが生々しいほどに感じられる西陣の路地は、まさに京都の平熱だった。
 我々は数時間かけ、西陣地区の路地という路地を歩きつぶした。

 今井町しかり、西陣しかり、我々の修学旅行では「平熱」をかなり体験できたと思っている。

 西陣を出て我々が駅まで歩いている途中、我々は明らかに平熱を逸脱した物を発見した。
 週刊誌の袋とじが4部、道路に置かれていたのである。「甘さ極めるフルヌード」「最高級メロンカップ」などと1ページ目には書かれていた。
 週刊誌自体が道に落ちているならまだ平熱だとも言えるだろうが、袋とじの部分だけがきれいに切り離されて4部落ちているというのはかなり不可解である。しかも未開封である。

 我々はしばしその光景を眺めていたが、結局一人一部ずつ持って帰ることにした。これが我々の修学旅行の数少ない土産のひとつである。ちなみに余った1部はその場に残してきた。

 僕は帰宅後、袋とじを丁寧に開封し、メロンカップを堪能しながら京都の思い出に浸っていた。

最終話「家に帰るまでが修学旅行」

 修学旅行のすべての行程を無事に終えた一行は、静岡駅に帰着した。みな家に帰るのを残すばかりである。
 しかし、僕とM村の修学旅行はここで終わりではない。我々はM村のお父さんの運転する車に大きな荷物とともに乗り込み、最後の目的地へと向かった。

 我々は最終日の夜、東静岡で行われるジャズコンサートに行くことになっていた。
 ピアニストの小曽根真率いるバンドの公演である。修学旅行の1ヶ月ほど前にM村が誘ってくれ、僕はチケットを買っていた。

 M村家のご両親は小曽根真のファンなのだそうだ。車にはM村のお母さんも乗っていた。
 旅行はどうだったかとお母さんにたずねられ、我々は京都駅でのピアノリサイタルの話をした。
 「いや〜あれよかったよ。出ていこうかと思ったけど、付いて行っているのがバレると困るから隠れて見ていたよ。」とM村のお母さんは言った。その表情や口調はいたって真剣だった。
 僕はとまどいながら「どういうことですか」とたずねた。すると、M村とM村のお父さんが嘘だから無視するようにと僕に言った。僕は突然の出来事に少々困惑した。

 このような会話をしているうちに、我々は会場に着いた。まだ開演までは時間があったので、M村のご両親は買い物に行った。僕とM村は近くの公園で軽食をとった。二人とも4日間の旅行の疲れのため元気は少なめだった。

 開場の時間になり、我々は会場に入った。
 暗い舞台にはピアノ、ドラムス、ウッドベースが置かれている。我々の期待は高まった。
 開演時刻になると客席は暗くなり、ステージの照明がつけられた。そして、演者の4人が入場してきた。先ほど述べた楽器にトロンボーンを足した4人体制のバンドである。
 彼らは言葉を発することなく、1曲目の演奏を始めた。テンポの早い、明るく楽しげな曲であった。我々はリズムに乗って演奏を楽しんだ。
 1曲目が終わり演者のあいさつがあり、続いて2曲が始まった。今度はゆったりとした落ち着いた曲だった。その曲を聞いていると突然あるものが僕を襲ってきた。
 眠気である。
 我々は3泊の旅行の間、まともに睡眠をとっていない。初日は比較的早い2時ごろには眠りについたが、2日目は二人部屋に6人で眠った。僕はS木と同じベッドに寝たが(他の3人はベッド、2人はカウチに寝た)、S木が一人で掛け布団にぐるぐる巻きになってしまい僕は寒くてよく眠れなかった。3日目は第3話に記したとおり忙しかった。
 演奏は素晴らしいものだったが、僕は眠気と闘いながら聞くことになってしまった。結局ほとんど眠らずにすんだが、合計10分ほどは意識を失ってしまっていたと思う。

 第1部が終わり、会場の照明がついて休憩になった。M村は演奏に感激していたようで、眠ってしまうこともなかったようだったが、やはり眠いと言っていた。我々は席を立つこともできたし、明るさのおかげもあり、休憩の間に眠気をかなり払拭することができた。

 第2部が始まる時間になり、再び照明が切り替わった。その瞬間僕の眠気は完全なる復活を遂げた。僕は再びの眠気との格闘を覚悟しつつ、前奏を聞いていた。
 「前奏」と言ったのは、第2部からは先ほどまでのバンドに加えてボーカルが入るという構成だったからだ。前奏の終わりごろ、ボーカルの女性がステージに登場した。一方僕はその頃女性が入ってきたことを認識するのもままならない状態で、僕のまぶたはすっかり閉じようとしていた。しかし、楽器の音が一瞬止まり、歌唱が1フレーズ発されたそのとき、僕の眠気は完全に吹き飛んだ。
 シンガーの名は小野リサさん。彼女のしっとりと落ち着きのある、それでいて強さのある歌声は、僕の意識をコンサート会場へぐっと引き戻した。
 僕はそれ以降ほとんど眠気を感じることなくコンサートを楽しむことができた。

 終演後、M村によかったねと言うと、
「いや〜ほんとによかったね、なんで寝ちゃったんだろう・・・」とM村はため息をついた。
 4日間の旅の疲れは、ジャズファンのM村をも眠りとその後悔の淵に引きずりこんでしまったらしい。第1部は耐えていたのに・・・

 我々はこうして、他の生徒たちより4時間ほど遅れて修学旅行の全行程を終了した。

ONE MORE FINAL 「レポートを書くまでが修学旅行」

 楽しい修学旅行も終わり、我々は苦しんでいた。
 なにも非日常の世界から学校という日常へと連れ戻されたことに嘆いているわけではない。我々には研修レポートを書くという課題が残されていたのだ。

 我々は事前に研修計画を記したレポートを提出していた。

 M村の研修テーマは『自動販売機の設置条件を探る』というもので、京都・奈良における自動販売機の個数を調査する計画だった。
 しかし彼はほとんど自販機のことを気にかけていなかった。僕がたまに自販機を見かけて思い出し彼に注意を促しても、あるエリアを決めて個数を数えればいいと言っていた。そして、4日間その調査が行われることはなかった。
 彼と自動販売機との関わりと言えば、4日目に明らかに故障したお酒の自販機にお金を入れ、案の定持っていかれたことくらいである。

 K田は『〇〇屋の孫の手はぼったくりなのか?』というテーマで、嵐山のあるお店で孫の手が高額販売されていることに対して店主にインタビューをすることになっていた。
 しかし我々はその店を訪れるどころか、嵐山にすら行っていない。
 というか、実際に行ってぼったくり疑惑に挑戦していたらトラブルは免れなかっただろう。計画が実行されなかったことは逆に良かったのかもしれない。

 僕は『京都・奈良で地理研修!』というテーマで、「上津屋橋と蓬莱橋」と「地球の大きさを測定してみた 〜エラトステネスを超えろ〜」の2つの観点を調査する必要があった。
 上津屋橋は京都市南部木津川にかかる橋で、世界最長級の木造橋として知られている。この橋と地元静岡県の蓬莱橋(世界最長木造橋としてギネス認定されている)を比較するというのが一つ目の観点である。
 二つ目は天体観測による緯度の測定から地球の周囲を推定するというもので、ヘレニズム時代の天文学者エラトステネスが行った推定よりも高い精度で行うことを目指した。
 しかし、お察しの通り我々は上津屋橋に行ってもいないし天体観測も行っていない。

 このように我々は事前レポートと実際の研修の内容の差異に頭を抱えていたのである。

 僕はテーマを大幅に変更し、『奈良・今井町の江戸期古民家と京都・上津屋橋の構造から現代の防災インフラを考える』というタイトルでレポートを書いた。今井町の古民家は火災の際、あえて家が壊れやすくなっていることで延焼を防いでいる。上津屋橋も豪雨などの際、橋桁が橋脚と分離することで橋全体の決壊を防いでいる。僕はこうした観点から決壊構造により被害を最小限化する防災インフラを提案した。
 今井町と上津屋橋(行っていない)をうまく融合させたのである。
エラトステネスへの憧れよ、さらば。そもそも京都で行う意味が一切ない実験テーマだったな・・・

 K田は行動経済学の用語をひたすら並べて、京都については触れずにレポートを終了させた。ただの経済学レポートを、修学旅行事後レポートとして提出したのだ。

 M村は旅行の仕方について論じるレポートを書き上げた。
 複数の観光地を点と点のように巡るのではなく、訪れた地域全体を線的・面的に歩いて味わうのがよいという主張だった。そうすることで旅行先の日常の生活、平熱の風景を感じることができる。
 僕はM村のレポートを読んだがほとんど意味が分からなかった。どちらかというと哲学のレポートに近いものだった。
 タイトルはなぜか事前レポートと同じ『自動販売機の設置条件を探る』のままだった。

 これが我々の修学旅行の全てである。これが我々の高校時代の平熱である。


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