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#143 虹をつかもう 第18話 ――談――

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「残念なお知らせがあります」ロボットのようだ。担任の事務口調に、ますます磨きがかかる。「辻堂くんが、事故でしばらく学校に来られなくなりました」
辻堂――ワンの状態はよくないようだ。木原に顔面を蹴られ、あれだけ吹っ飛んだのだから、無事で済まないとは思っていた。けど、同情する気は起きない。それは自分が、ビリーにしたことなのだから。

一軍は一気に覇気を失った気がする。
残っているのは、ねずみ面のツー、急上昇野郎五番、変顔ヤンキー六番。〈イカレ〉と〈コネ〉に特化したやつらだ。〈腕力〉に強みのあったワンとスリー藤沢は退場した。
読みの達人、七瀬さんと、最強ヤクザ嬢、木原の敵ではないだろう。
だからなのかもしれないが、あんなことがあった翌日も、ぼくは懲りずに学校にきている。おかしなことがあり過ぎて、感覚が麻痺してしまったのかもしれない。
 
クラスの、ぼくにまとわりつくような視線は、表面上なくなった。
それが不気味でもあった。クラスの人間はともかく、鉄男が引き下がったままでいるとは思えない。やられたら、やり返す。その図式しか頭にないような筋肉の塊である。
鉄男というのは、政治家息子、光田のこと。これも木原の命名。なかなかセンスがあるのかもしれない。とはいえ、ぼくが雨男に満足しているわけでは決してない。

休み時間、最後列の自席から、いっそう不思議なものとなった光景を眺める。七瀬さんと木原は、教室の端と端で、誰をも寄せ付けず、片方は音楽を聴き、片方は本を読んでいる。まるで独立国家。
この二人が、実は同棲しているなんて、今でも信じられないことだ。木原の長い髪を見る。睨むような強い視線さえなければ、百人いれば百人が認める美女だ。しかも、Fカップ……。
七瀬さんの余裕はこういうところからも来ているのかも。
そういえば、最近、奈々ちゃんと会っていない。奇しくも、こちらもなな。
この頃は余裕がなくて――なんて悠長な状況ではなく、本当に生き死にがかかっていたので、電話もメールもしていなかった。今晩は、ちょっと長めのメールを書こう。

そろそろ塾にも顔を見せに行きたいところだが、新たな事情ができたため、そちらはまだしばらく無理。晴れてぼくは、セイさんの弟子になったのである。思っていたのとまったく違った形で。
正直、どうしていいのか、さっぱりだ。

二時間目の終わり、七瀬さんに相談をしに行く。一瞬、木原が鋭い視線を向けた。恐ろしく気の強い彼女は、独占欲も強いのかもしれない。ぼくは背中を向ける形で、それを遮った。
七瀬さんが、本から目を離す。「ああ、雨男か」
そこは、つつがなく、伝達されていた。
「その呼び方、やめてくださいよ」
「そう呼ばないと、愛がすねるからな」
七瀬さんから、はじめて木原の名を聞いて、二人がつき合っていることを実感する。
「あの人、すねるんですか……」
「子供だから」
「子供……」
いつも落ち着いている七瀬さんと、いつもイライラしている木原。どちらが大人かと言われれば、答えは明白な気がする。
「昨日はどこに行ってたんですか」
「うん? 友達のとこだけど」
セイさんのは冗談じゃなかったのか。一応、「友達?」と返す。
「そう。まーくん」
この人もどこまで本気なのだろう。ぼくは小さく繰り返す。「まーくん……」
そこに構っていると話が進まないので、本題に入ることにした。
「えっと、もう知ってると思いますけど、ぼく、セイウチさんの弟子になりまして」
「よかったな」と、フラットに七瀬さんは言う。
「それが、あの人、どこまで本気で言ってるのか分からなくて。それが味といえば味なんですけど」
「ああ、たしかに。じじいの言ってることのほとんどは、くだらない冗談だからな」
「ですよねえ」安堵したぼくは、「セイさんったら、ぼくに、七瀬さんと木原さんの部屋に住んだら、なんて言うんですよ」と、昨日の件を笑い話のように話し、まいりますよね、と手を振った。
「まあ、そうなるかな。で、どうすんの?」
「へ?」冗談じゃ、なかったのか。三人でって、えっ、えっ。
「いや、断って、通うことにしました……」
「そうか」表情を変えることもなく、七瀬さんは言った。
「ひとりでいるときに襲われるなよ」
「……ご相談させてもらうかもしれません」
そして、あの疑問をぶつける。「ええっと、いまいち理解できないところがありまして、セイさんが言うには、ぼくは金属から水を出せる感じの弟子だとか」
「うん」
これも冗談じゃないのか。
「毎日、十キロ走ってから来いって」
「そっちは冗談かな。半分くらいでいいんじゃないか?」
「そうですか」スルーしよう。

ぼくの視界から――正確には、ぼくらである――一軍と、その背後にいる鉄男の、表だった活動は消えた。
しかし、水面下でことは進行しており、表面化しないように手口が陰湿化しているのでは、と思われる。それを裏付けるように、他クラスで、いわゆる「事故」が起こり、男子、女子ともに不登校が増えた。その女子のなかには、一年のときに可愛いと評判だった子も含まれる。
ぼくはこれまでのように、他人事として見ていない。今では、激しい憤りを感じるし、同情し、できれば何とかしたいと思う。
……思うだけ。力さえあれば。

クラスの空気の真意を、七瀬さんが、一度だけ「読んで」くれた。
「ネズミの気が、落ち着かない。前からだが、もっとひどい」
ツーは、ネズミの名が定着しつつある。「なにか企んでるってことですか」
「顔にも書いてあるけどな」
それなら、ぼくにでも読める。見る者に、不快感を抱かせる、嫌な顔。腹の黒さが、滲み出ている。
「嫌な緑だな。ずいぶん強くなってる」
さっき「気」と言った。七瀬さんには、それが見えているのだろうか。「緑だとまずいんですか」
「いや、そういうわけじゃない」
彼は多くを語らない。だけど、訊いたところで理解できないことが分かるので、ぼくもそれ以上深入りはしない。
「尖っている。殺意と言っていいレベルだ」
びくりとする。あいつにだけは目をつけられたくなかった。
「なにをそんなに恨むことがあるんだろうな」
他人事のように言って、本に目を戻そうとするので、「完全にぼくらでしょ!」と突っ込んだ。この人は天然か。
七瀬さんは、ふーん、という顔をして、「だったら、何があるか分からん。走り込むのは、雨男にとっても損じゃないと思うけど」
「そうします」クラスの誰より速くなりたいと思った。
「どのみち、下半身は安定させる必要がある」
なるほど、とぼくは言い、メモ帳を出す。その言葉ではなく、「・色とは?」と書き付けた。
「・木原の炎の正体は?」の横に。

夜間に起こる爆弾事件は、それが水面下で進行する、なにかのバロメーターであるかのように、勢いを増していった。分厚いコンクリートが砕ける。大きな木の幹がえぐられる。すでに充分な殺傷力があるように思われる。
学校は、警察にどこまで報告しているのだろう。

――爆破の対象は、どこへ向かっているのか。いずれ、それは人間に行き着くのでは。
鉄男が絡んでいるのであれば、遅かれ早かれ、その事件ごと対決せざるを得ない気がする。外部のこの不干渉ぶりは、彼がかんでいるとしか思えない。一方では、単純で直線的な鉄男の印象と、知的犯行の印象のある爆弾というアイテムがどうも結びつかない。
とにかく不気味である。怪物が、円を描きながら、じりじりとその輪を詰めてくるような不気味さ。
自席につく際、ぼくは机の中と裏を覗き込むのが、いつの間にか習慣となっていた。

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