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虹をつかもう 第21話 ――木――

※1~3話目のボリュームを増やした関係で、話数がずれました。以前の読者様は14話あたりから読んでいただければと……

来たるべき恐怖から目を逸らし、現実逃避するぼくは、陽の差し込む座敷で、セイさんと茶をすすっっている。日差しのきつくなってきた初夏の日の午後だ。住人三人のなかで、なんだかんだ一番仲がいい。落ち着くところに落ち着いたといった感じがする。

セイさんと話している分には、木原は因縁をつけてこない。練習をすぐに始めないからといって特になにも言わない。
扱いさえ覚えれば、まあ。

最近、七瀬さんとべったりしていないためか、彼女は少し優しい気がする。
いつか七瀬さんに教わった、外気を取り込むための功法――三円式タントウ法と言うらしい――を勝手にはじめたときも、なにも言わなかった。
それどころか、「アゴ!」と、もっと顎を引いて、の意のアドバイスもくれる。
それで優しいというぼくも、かなり毒されている気がするが……。

ことりと、音がする。「暑いのう」湯呑をテーブルに置き、セイさんが言う。「雨男、アイス買ってきて」
「ええー、もっと早く言ってくださいよ。コンビニ遠いんですから」
「お駄賃あげるから」
目の前の人が師匠である気は、あまりしていない。会話は世間話ばかりで、大事な話をなにもしない。さらには、それらしい話をされたところで、冗談か本気か判断がつかない。
冗談といえば――、「そういえば、七瀬さんって、冗談言わない人ですよね?」
「なに、唐突に?」

七瀬さんは、人の放つ気の色――オーラの色と言ったほうがいいかもしれない――が見える。これまでのやり取りから、なんとなく分かっていたし、そして本人が完全にそう言った。
学校でのことだ。
七瀬さんの席に行くと、彼の手元にある本とは別に、机にもう一冊置かれていた。
色の辞典?「あれ。なんですか、それ」
「これか。ちょっと前、色彩検定に興味が出てね」
「色彩検定?」
「もともとは、自分の見える色を、他人に説明しようと思ったんだよな」
「前、ネズミが嫌な色をしてるって言ってましたよね。そういうのを見られるんですか」
「見れるというより、いつも見えてるんだ」
「え、そうなんですか」
「気ってのは、大体、人のまわりに三十センチくらい広がっている」
ぼくは七瀬さんの顔から視線を少しずらしたが、空中には何も見えなかった。
「たとえば、オールドローズって言ってわかる?」
「いえ」さっぱりだ。
「俺だけ、そういう色の名を覚えても意味がないってわかったんだ。だから、やめた。それに、何色に見えるかなんて、そもそも他人に話しても意味がない」
「そうですかね」
七瀬さんは首を振った。「これは風水とは違うんだ」
「では、今は何を」
手の本をぼくのほうにかざしてみる。「色彩の話って、結局、建築や絵画に向かうんだよな。勉強してるうちに、そっちに興味が出てきた」
「へえ」
「よくその手の展示会とかも行ってるな。平日のほうが空いてるし」
「午後よく帰るのってそれですか!」
「半分くらい」
ただのサボりじゃん。「……そうですか」
この人も、まだまだよく分からんな。セイさんとは違い、天然の気がする。

とにかく独自の世界を持っている。色の話にしてもそう。本人しか見えないものは、確かめようがないし、こちらとしては鵜呑みにするしかないのだけれど。
けど、セイさんじゃあるまいし、そこは信用していいだろう。
――と思っていたのだが、
「冗談言うよ、けっこう。あんまり、はいはい聞いてると、痛い目に遭うかものう」
「ええ。それ、セイさんの冗談ですよね」
「んーん」
「どうやって見分けるんですか」
「お笑いのセンスを磨け」
「…………」
「ちなみに、木原さんは」
「ああ、あいつはぜんぶ本気。突っ込んだらおわり」
「……ですよね」
「特に、アレは怖いの。あの話題に触れると……。今でもときどき夢に出るわい」
「なんですか、それ」
「ないしょ。雨男が切れられるとこ、見てみたいし」
「もういいですよ。ぼく、そんな地雷ふみませんから」
そう言って、よっこらしょと立ち上がる。
放課後、心の師と崇めていた老人を適当にあしらい、自分の彼女でもない、独占欲の強い女子の部屋へと行く。人生、不思議なもんだ。
うしろから、「アイス……」と言う声がきこえた。
 
――今日は、夏休みに入る前々日である。

相生。
火土金水木、五行の要素が生まれていく循環を示したもの。
木生火。木は火を生じる。
火生土。火は土を生じる。
土生金。土は金を生じる。
金生水。金は水を生じる。
水生木。水は木を生じる。
夏休みを目前に控え、ここ数ヶ月で、立て続けに起こった不思議な出来事に、ぼくなりにひとつ区切りをつけたいと思っている。
今日、ぼくは謎をとく。
ハーゲンダッツが溶けないように、不思議坂をダッシュする。速度は落とさない。それくらいの脚力がついていた。

相剋。こちらは、五行の関係において、相手を滅する関係を示したもの。
木剋土。木は土を剋す。
土剋水。土は水を剋す。
水剋火。水は火を剋す。
火剋金。火は金を剋す。
金剋木。金は木を剋す。
相生よりも少々イメージしにくいものが多い。
たとえば金剋木だと、金、つまり金属製の斧は、木を切り倒すから、金剋木。一般論にするには、少々こじつけのような気もする。

答えはすべて、五行の法則のなかにあった。
修行の最初の日に聞いたセイさんの言葉が、どうにも引っかかっていたのだ。
そして結びついたこの感動。ぼくが導き出した解を、セイさんにぶつけ、確かめたい。ポジティブな衝動に突き動かされて走る自分が新鮮だった。授業料だと思い、お土産に高級アイスまで買った。

不思議門をくぐる。
セイさんが、いた! そうこなくっちゃ。物事、順調なときは順調なのである。自転車に乗っていて、青信号がずっと続くことがあるように。
汗が滝のように流れる。
「河童じゃあ!」ひどいことを言われた気がするが、構わず師のもとへと突進する。
「なになに」
「いや、アイスが溶けちゃうんで」ぜえぜえ。
セイさんは、ぐっと親指を立てていた。「愛弟子」
「わかったんです。聞いてもらってからでいいですか?」
「うん。なにを?」
「ちょっと顔、洗わせてもらいますけど、ぜったい食べちゃだめですよ。冷凍庫に入れといてください」
「う、うん……」
階段の脇を抜け、廊下の右側にある洗面台の前に立つ。鏡のなか、真っ赤な顔で、髪の毛を額にぺったりと貼り付けた河童がいた。
髪切らなきゃな……。

「金生水。金は水を生じる、ですね?」
座敷の縁側のあたりに立ち、庭を見ながら話す。
別にそうする必要はなかったが、雰囲気が出る気がした。
横には師匠のセイさん。「ほう」
「突拍子もない話ではあるんですが」そう言いながらも、確信に変わりつつある。「『気』は、よく分からないものではあるけど、ある一定の方向に力を及ぼす作用がある。セイさんはそうおっしゃいましたよね」
「よく覚えておるな」
「そして、自然界の現象は、陰陽五行に従うと」
「うん」
「気になってまして、調べてみたんです。すると五行の性質のなかに、金は水を生じる、というものがありました。それはまさに、金属製のスプーンに水滴がついたことにあたるのではないかと」セイさんをじっと見る。
目線をまた庭に戻した。
「言うまでもなくあれは、ぼくがスプーンに触れたことが原因です。言い換えると、金属が、ぼくの『気』に触れた。気が生命エネルギーならば、意識しなくても放出されているはずなんです。七瀬さんも、オーラの色が人のまわりに常に見えていると言っていましたし。つまりぼくの気には、金生水の性質がある。その方向に、五行の要素を動かす力があるんです」
それから、とぼくは言い、セイさんは黙ってじっと聞いている。
ひとつ目は正解かもしれない。
今から言おうとしているふたつ目は、決して自信があるわけではない。一気に言ってしまおう。
「木原さんが、炎を出すのを見たんです。例の鉄男との一戦です。ぼくの見たままを言うなら、あのとき木原さんは、粉状のなにかを鉄男に投げつけました。そのあと、鉄男が上着を投げ捨てて、木原さんが手をかざして。そして燃えたのは、粉のまぶされた上着でした。これは、推測です。彼女の気の性質は、木生火。木は火を生じる。スプーンの話と同じ理屈じゃないでしょうか。木原さんの投げつけたものは、木材を粉状にしたものじゃなかったのかと」
ふう、と息をつく。上手く説明できただろうか。
「こんなの、これまで、見たこともないし、聞いたこともないです。自分でもにわかには信じられませんが」
ここまで言ったところで、
「合っとるよ」
静かな口調でセイさんが言った。そしてそこからの話を引き受ける。
「雨男は、金生水、あいは、木生火の性質を持っておる。ただな、そこまでの方向性を持った気は、誰にでもあるわけじゃないんじゃよ」
そこで、セイさんがキッチンのほうに顔を向けて、よくとおる声を出した。
「あいや、ちょっとおいで」
そこにいたらしい木原から返事が返ってくる。「面倒」
「アイスあげるよ」
「行く」
この人たちって……。

ぼくたちは、縁側から庭に下りた。
縁側の下にあった太い薪を、セイさんが木原に手渡す。
「燃やしていいのか?」物を見つめながら、そう言う木原は、少し嬉しそうでもあり、親から、普段は禁止されている遊びを許可された、子供のようでもあった。
「うん」
それを合図に、木原が腕を振る。薪を宙に、大きく放り投げた。
「つまり君の能力は」セイさんが言う。
薪が、放物線を描く。手をかざす木原。
ゴウという音。
青空を背景とした、放物線の頂点付近、物体は豪快な炎の塊へと変わった。水色と炎の鮮やかなコントラスト。
やがて物体は、落下する。その地点は、池の中央。水の弾ける音とともに、ジュウと大きな音を立てた。
「これと同じことじゃ」
同じかあ――?
ぜったい、手品と超能力ほどの差がある。

薄く焼いた生地にサンドされた、ハーゲンダッツをかじりながら、
「ワシ、けっこう驚いちゃった。鋭い考察じゃったわい。雨男、探偵の素質あるかものう」
「へへ」
「チームに一名追加と」
師はさらっと、とても不安なことを言った。いま黒革の手帳に書きつけたのが気になる。
 
ともかく――、
翌日も無事に過ぎ――、
夏休みだああああああ。ひょおおおおおお。
逃げ切ったーーーーー!
 
この頃、ぼくは、束の間の最盛期にいた。
夏休み早々、殺されそうになり、直後、深い悲しみに突き落とされるとも知らずに。
学校の不良ではなく、二人の女子から。

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