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虹をつかもう 第20話 ――鬼――

※1~3話目のボリュームを増やした関係で、話数がずれました。以前の読者様は14話あたりから読んでいただければと……

いわゆるガイダンス――セイさんから、最初に教わった気というもの。
ひとことで言えば、だれしもが持っている生命エネルギー――なんだそうだ。うん、ざっくりしている。

それはどういうものなんですか?
今、言ったじゃん。
それは、つまり気功とかの話ですか?
そうだね。
気を練るって感じですかね?
うん、そろそろ行ってもいい?
だめです。

セイさんは、やらされ感満載。やる気がなかった。
かと思えば突然、「人在気中、気在人中」じゃ、などと、むずかしい言葉で煙に巻こうとする。
なるほど、そうなんですね。そこはこちらも適当に流す。
気で、人を吹っ飛ばしたりできるんですか?
そういう馬鹿みたいな質問をする輩がおるから、嫌なんじゃ。
そして気難しい。
まあ、できるんじゃけど。
…………。
そういうことを言うから、なにが本当か分からなくなるのだ。
不治の病を治療するイメージなんてのもありますね。
雨男や、と言い、セイさんはたしなめるような顔をした。
そういう突飛なことを考えんでもいいから。
…………。
その道の専門家から見れば、たしかにぼくは、漫画の世界の話をしているのかもしれない。
気を、他人に向けた場合、なにが起こるか分からんのじゃ。危険な発想じゃて。まずは自分の内側、自分を知ることからじゃ。
セイさんがはじめて師匠らしく見えた。はい、とぼくはうなずく。
雨男は、スプーンから水を流すことだけ考えればええ。
それは突飛じゃないんですか?
さらに立て続けに、なんの役に立つんですか、とも問う。
セイさんが、はっとした顔をした。
こらっ、おい。
仕方ないのう、と、特に考えてなかったけど、これ教えてあげるから許して、といった感じで話してくれた。
たしかに、なにが起こるか分からんのが気の世界じゃ。けど、自然界には、いくつかの性質があるのもまた確かなんじゃ。物質は、加えられた力の性質によって、一定の方向に動く。それすなわち、陰陽五行。
陰陽五行――。
頭のなかに、光るものがあった。
まあ、いつか役に立つこともあるって。そう言ってぼくの肩を叩き、ぷっと笑って去って行った。
このじじい。

続いて、気の世界「原理編」。
七瀬さんから説明を受けたものをまとめる。
気には、大きく分けて、内気と外気がある。内気とは、身体の内側を流れる気の流れ。それを感じられるかどうかは別として、この瞬間にも、ぼくのなかに流れている。外気とは、自然界にあまねく偏在する、生命エネルギーの元となる物質。要は、ぼく身体の外側にある気のことだ。

「試してみようか」と言う七瀬さんに倣い、背筋を伸ばし、腰をやや落とし、両手を下腹部――下丹田と七瀬さんは呼んだ――の前に置き、気のボールをつくってみた。正確には、イメージしてみた。手のひらがじんわりする。たしかに、空中には何かの物質があるようだった。

これが外気であり、こうすることにより外部のエネルギーを、身体の内側に取り込めるのだそうだ。それが基本であると。
内気の元となる、生まれ持った生命エネルギーは、その総量が決まっているという。
消耗を抑えることしかできない。けっこう怖い話である気がした。ぼくは無駄に使ってしまっていないだろうか。不安、緊張、雑念で減るとも聞いた。やばい、この数カ月で激減したかも。

とにかく気功は、そうやって外気を上手く取り入れながら、本来は年を取るとともに減少する生命エネルギーの消耗を抑え、寿命を延ばしていく方法らしい。だから、気功の達人や、その昔、仙人と呼ばれた人間は、いつまでも若々しいのだという。
セイさんは? と考える。
……見た目はともかく、元気なじいさんかな。

陰陽五行についても訊いてみた。七瀬さんはあまり詳しくないと言う。
それでもセイさんよりはずっと丁寧な説明であった。
陰陽。すべての物質は、陰と陽からできている。男女、昼と夜、暑い寒い……。以前、塾の先生から聞いた話を思い出した。加えて、七瀬さんは、勾玉を組み合わせたような陰陽理論のシンボルを書いてくれた。
五行。すべての物質を、「火土金水木」に分け、それぞれの関係について考察したもの。たとえば、水は火を剋す。水は、火を消してしまう。当たり前といえば当たり前。
その辺は理論だし、慌てなくていいんじゃないか。まずは気を感じられるようになることが重要だから。七瀬さんは言った。
たしかにそのとおり。そうですねと答えた。そしてご存知この講座は、翌日消えた。

代わりにはじまったものは、問答無用のOJT。
講師は、鬼ティーチャー木原。
部屋の隅で壁を向いて立つぼくに、短く、鋭い指示を出す。
「足幅!」
「高い!」
「固い!」
とても会話などのぞめない。先生は、竹刀ではなくエレキギターを持ち、ぼくの背に向け、ギャーギャー鳴らす。
「リズム!」
「ピッチ!」
「歪ませすぎ!」
言ってやりたい……。
木原の短い言葉から、意味を推測し、そして対応するのだが、ぼくのやっていることといえば、突っ立って両腕を振っているだけ。足幅は、肩幅程度かやや狭く。まっすぐに立ち、力を抜き、両腕を振り子のように同時に振る。選択肢は、前に振るか、うしろに振るか。一時間、二時間と続く。拷問か……。
一度、「七瀬さんから、外気を取り込む方法を少し習ったんですけど」と、そちらも試したい旨、言ってみたが、「うるさい」
女の人は、顔やスタイルではない。
このころ、ぼく三田隆(17)の女性観が確立した。

気功には、功理と功法がある。
セイさん、そして、学校で木原に見つからないように七瀬さんに聞いた。
ぜったい、いぢめだと思っていた、木原からやらされている動作は、気功の入り方として間違っていないようだった。ただ、功理、つまりその理屈を知らなければ、効果は半分も得られないとのこと。

気功の基本は、動作、呼吸、そして、イメージを一致させること。なので、いくら外側だけ真似ても、意味がない。ぼくが腕を振る動作には、思いもつかない意味が隠されていて驚いた。身体の邪気を指先から飛ばす。

ここで出てきた邪気という概念。ストレスや怒りなどのネガティブな感情や、環境破壊による有害物質により、体内に蓄積されたマイナスのエネルギーである。邪気が身体に溜まっていると、内気が巡らない。外気もブロックされてしまう。
よってまずは、体内の邪気を減らし、内気の流れを活性化させる必要がある。最初に、邪気を発散させるこの功法を行うのが正しい。

なるほど、これでようやく前に進めそうだ。
功理は大切だな。ちょこちょこ二人に習おう。
怒りっぽい木原こそ、邪気を飛ばすべきじゃないかとセイさんに提言してみたが、「やっとるんじゃないの? そういえば、最近見てないかも。胸がわさわさ揺れるんじゃ」老人は、にかっと笑い、木原がやらない理由がよくわかった。
セイさんは、「あいつの気性もだいぶ落ち着いてきたのう」とも言った。以前はどれほどだったのだろう。鉄男との戦いで見せた表情――マニアックにたとえるなら、ウォーズマンスマイルが近い――が蘇り、ぶるっとした。

このころは意識が完全に放課後にいってしまい、学校にまつわる悩みという面では、楽な時期でもあった。刺激がより強い刺激に変わったとも言える。

ぼくは石になり、学校をやり過ごし(石は、やることもないので授業をちゃんと聞き、成績が上がってしまった)、学校が終われば、セイさんの家までダッシュする。
遠回りし、距離を少しずつ伸ばしている。それは足腰という名の逃げ足を鍛えるためでもあり、功理によれば、下半身を安定させることが重要と聞き、目的意識ができたためでもある。

セイさんの家で、いろいろな意味での修練を積んだあとは、夕飯の邪魔にならないよう辞去し、家までまたダッシュする。
修行熱心といえば聞こえはいいが、バラエティ番組に間に合うようにである。たまに自分でも分らなくなるが、最終的な目的はあくまでもお笑いだ。

塾に通う時間はない。だけど、辞めていない。
自分のなかで踏ん切りがつかないこともあるが、それは親を心配させることにもなる。両親は、ぼくの成績がむしろ上がっているため、さぼり続けているなど疑ってもいない。うまくバランスがとれるものだ。

こうして忙しい日々を過ごしているため、鉄男軍団の恐怖をなんとか忘れていられる。
決して消えたわけではない。
今、なお、爆弾事件が消えていないように。
中庭に出るガラス戸の前を通るとき、今でもあの恐怖がよみがえる。

あとでわかったのだが、後日、木原に、鉄男が接近していたようだ。
セイさん宅で、たまたま全員が揃っていたときに、会話の流れから、ぱっと出た。

いつもばらばらな三人だが、誰が言うでもなく、一階の座敷のテーブルで茶を飲むことがあるのだ。なんだかんだ仲がいいのだと思う。セイさんがだらだら話し、七瀬さんが適当に返し、木原が短く突っ込む。家族のようだった。木原の表情も、こころなしかやわらかい。
そこにぼくが加わると、流されたあとのセイさんの矛先が、こちらに向かってくるのでちょっと困る。だれもワシの話を聞いてくれないと。

セイさんの話は、とりとめがない。庭の柿がどうといった話題から、ワシ、そろそろ散髪いったほうかいいかのう、まで。
ときに、著名人の名が普通に出てくるのが恐ろしいところだ。他の二人は知らん顔。テレビに出る人間など知らないのだと思う。ぼくも場の雰囲気を壊さないよう、あまり食いつかないようにしている。
そしてここでは、どんなタレントよりも、鉄男のほうが有名人である。

鉄男の名に反応して、木原が、「伝言わすれてた」
鉄男が、木原に伝えたのは、ひと言だったという。
完成するまで待ってろ。
…………。

それを聞いたセイさん。「木彫りのペンダントとか彫ってんじゃね?」
んなわけねえよ。
「木製はこまる」と木原。
おまえもちげーよ。だれか突っ込めよ。
ああもう、あいつ、完全になんか狙ってるじゃん。マジで俺たち爆破する気なのか。
これはもう忘れるしかないだろう。

記憶に蓋をする。もうすぐ夏休み。逃げ切るのだ。
七瀬さんと目が合った。「こいつら面白いだろ」と言っているようだった。

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