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魔法少女はメタルを聴く 第3話「なんか、ぜんぶむなしいんだよね」

会社から帰宅してベッドでまどろむうちに、二時間ほど眠りに落ちてしまったらしい。
わたしはその後苦労しながら、朝方になってようやく寝ついた。当然、すぐに目覚ましのアラームが鳴る。容赦なく出勤の時間がせまる。眠い。あと五分。眠い。あと三分だけ……。
自分に許容する時間を、分刻みで投入しては消費する。だが本当にあと二分で、起き上がり準備をはじめるべき最終のタイムリミットがくる。
こんなときわたしの頭にはいつも、「柱」のストレートなメタルチューン、「悪夢の最終兵器(絶滅二分前)」が流れるのだ。(――あと、)
トゥー!(に)
ミニッツ!(ふん)
ミーイナイッ(――しかないぜ)
これは職業病なのか? いや、後遺症と呼びたい。
この曲の原題は、「2 Minutes to Midnight」。そういう時代なのか、彼らの代表曲の多くには勝手な邦題がついている。

外はきびしい残暑。学生時代は魔除けならぬ男除けとして機能していた、不気味な悪鬼の描かれたTシャツを脱ぎ捨てる。パソコンに歩み寄り、オーディオパネルを操作する。
「キャアアアアアアアーーーー!」キンキンの金属音にスクリーム、狂ったようなスネアの連打。
朝といえばスラッシュメタルだろう。頭のなかが掻き回され、強制的に目が覚める気がする。あまりよくはないだろうが、こうしてターボをかけないと身体が動かない。
いちおうボリュームは抑えているが、「どんなやつだ!」「儀式?」と思われている気がして、アパートのほかの住人と目を合わせることができない。念のために言えば、わたしの部屋にはメタルの要素は何もない。あるのは、音源、Tシャツのみ。わたしとメタルの距離感はとても微妙なのである。

……それにしても、やけにリアルな夢だった。悪い予兆でなければいいが。
あんな夢のおかげで、今朝は、かぼちゃ女の面影がちらついて仕方ない。夢の中だからといって、とくべつそのイメージが強調されていたわけではない。

講義室の入り口にたたずみ、わたしたちを観察していた黒ずくめの魔女。身体の線は必要以上に保たれていた。だが化粧より特殊メイクに近いあれは、ぜったい更年期の仕様だ。ぜったい多感な時期が、メタル全盛の八十年代とかぶっている。
まあそれは置くとしても、彼女はけっきょくその後もよくわからない人物で、その輪郭を彩るものはうわさだけ。多くは壮絶である。
彼女が実質的な支配者として君臨するその研究室に入ったものは、週に四時間しか帰宅が許されない。彼女は、学部生の留年をわける必須単位を握っていて、その合格率二割。かつての美貌と謀略により、何人もの教授の弱みを握っている。
それらのうわさには真実味があり、誇張というよりは、氷山の一角ではないかという気がしてくる。

そして表向きにはなっていないが、彼女のサイドプロジェクト――魔法少女研究会のトップにして、自身は魔法少女マスターなのである。(いい歳して魔法少女って、ぷぷ。いえ、なんでもありません)

ともかくすべてがベールに包まれていて、その存在は、たとえるならドイツ奥地の深い森のなか、真っ白な霧に覆われたいかめしい古城のようである。当時もいまも恐ろしい。
けれどあれから時が経ち、多くの現実(男女のあれこれ以外な!)を知ったいまのわたしを襲うのは、かつての魔女のイメージではなく、人間としてのサイコな怖さだ。
何を考えているのか分からない。行動がまるで読めない。それでいて社会的な権威、人脈のネットワークをあわせ持ち、多くの情報を掌握する。そういった現実的な怖さ。こんなやつが上司だったら確実に人生が終わりそうだ。
が、そのいっぽうで彼女は、わたしを炎で焼くこともできなければ、蛙に変えることもできない。それもまたたしかだ。

あの日わたしの胸に深く刻みこまれた言葉――ピンク・バブルズ・ゴー・エイプ。
今ならわかる。あいつ、ぜったい言ってみたかっただけだ。
訳せば、「ピンクのあわが暴れ狂う」。意味なんてない。メタル専門誌の、おもしろアルバムタイトルのコーナーに載っていた。
それはたんに、ジャーマンメタルの代表選手、「ハロウィン」のアルバムタイトルだったのだ。おまえは中二か! 深遠な文言と畏怖し、ある意味、信仰の拠り所にまでしてしまった自分が恥ずかしい。
と、そんなことを考えながら、洗顔とメイクをすませた。

派遣社員。やる気がない、先がない、将来の展望などありはしない。
そんなわたしが、日本の高度経済成長期を知るおっさんや、バブル期の勝ち組、若きキャリア組と同じ苦痛を味わわなければならない時間、それは、一日のうち早々に現われる。押し合いへし合いする。
これがうわさに聞くモッシュだろうか――。
その現象は、屈強なメタルバンドのライブ会場で発生する。

轟音、熱狂、ヘッドバンギング。ステージ前線で観客は、ヘッドバンガーという名の狂気のメタル戦士と化す。悪魔に憑かれたかのように、前後左右、身体をぶつけ合う。その壮絶さに負傷者が続出する。そして実は、バンド側のほうが引いてるのだそうだ。
わたしは怖くて、ライブ会場になど出かけることができない。
まあ、それはどうでもよくて、つまり、通勤電車の人混みに辟易する。
勤務地が都心の一等地に位置すること、そこにはメリットもあるが、同じ量のディメリットがこの時間帯に一点集中する。

通勤電車では音楽を、音量を絞って聴いている。音漏れが気にならなくはないが、この密集度では、音楽を聴くことくらいしかできることがない。
――ふふ、きれいなお姉さんがブラックメタルを聴いてること、気づかれてないかしら。
――そうね、簡単にいえば悪魔讃歌よ。
公衆の面前で背徳的な行為をしているようで、ちょっとした快感があることは否めない。

目的地に着き改札を出る。ビンに詰まった有色の気体が、出口を見つけて拡散してゆくようだ。この人数を受け入れられるだけの空間が、ここにはある。
快速も特急も停まる都内の主要駅。その大きな構内を囲むようにして、外に巨大なビル群が立ち並ぶ。そのひとつのビルにわたしは吸い込まれてゆく。

――十時半くらいだろうか。
トイレのなか、洗面台のある方向から、よく知った声、女子社員のうわさ話が聞こえてきた。同僚の、女子社員Aと女子社員Bだ。おまえらトイレまで一緒かよ。
このトイレはビル施設の豪華なつくりの恩恵を受け、無駄に広くて居心地がいい。
わたしがまだおつかいに出たままだと思っているのだろうか――。
こうしてトイレの個室にいる可能性も考慮してほしい。わたしはすぐ職場に戻るのがかったるいのだ。
「…………」
「…………」
知ってる人の名前が出てくる出てくる。固有名詞が出ると、聞きたくもないのに反応してしまう。
わたしは警戒している。そのうち出てきそうだな、と、ほら!
「それを言うなら、佐々木さんのほうが性格わるそうじゃない」
「ああ、あれは悪いでしょ」
「ぜったい、見た目を鼻にかけてるよね」
「自分のこと、かわいいと思ってるよね」
(そりゃ、おまえらよりはな)
「男狙って、派遣やってるんじゃないの」
「いろんな職場に彼氏いそう」
(なんですと!)
「あ、でも、このまえ本人から聞いたんだけど、何年も彼氏いないらしいよ」
「へー、意外」
(よしよし)
「綺麗なのにね」
(きた!)
「まあ、ウチの会社の男なんて相手にしないでしょ。放っておいていいんじゃない」
「それもそうね。問題は、派遣のさち子――」

――そう言われて、悪い気はしなかった。
むしろ、綺麗なのに彼氏がいないと驚かれることが快感でもある。なぜだろう? 
その対比により、「綺麗なのに」の部分が強調されるから? みじめな現状がなぐさめられるから? 自分が人とは違った特別な存在に感じられるから? いずれにしても、屈折した感情には違いないように思う。わかってる。けど、その味は甘いんだ。
「そうそう、佐々木さんってアレらしいよ」
「アレ?」
(アレ?)――って、話題がまたわしに戻っておる。
「音楽マニア」
(やばっ)
「なによ、音楽マニアって」
「わたしもよく分からないけど、駅の反対側のCDショップで見たのよ。何を手にとってたのかあとで見に行ってみたら、なんか変なコーナーで」
「なんかってなに?」
「だから、わたしも詳しくないんだって。とにかく洋楽のなにか。一般のとこでもなかったし、クラシックやジャズでもなかった」
「ふーん。じゃあ、ほら、あいつ――山内と気が合うんじゃない。あの人なんかださい音楽聴くじゃない。ヘビメタおたくだっけ。意外と気が合ったりして」
「きゃはっ」
(うわっ、最悪! 山内って、気持ち悪いメール送ってくるやつじゃん。ないない。ぜったいない! だいいちわたしはオタクじゃない)
「オッケー。今度はしっかり見とくわ」
「よろしく」
(どんだけ暇なんだよ! というか、さっさと仕事に戻れ。わたしが出れないだろ)
ああ、あそこ行きにくくなるな。気に入ってたのに……。
駅を挟んだ反対側に、この場所と兄弟のようなビジネスパークがあって、わりと充実したCDショップがあるのだ。専門店とまではいかないが、品揃えがよく、雰囲気もいい。職場から近いため、つい足を運んでしまっていた。
でも、わたしがそこにいるのって、終業後のせいぜい二十分くらいだぞ。こいつら、正社員のくせにぜんぜん仕事してない。
「派遣はホント気楽でいいよねえ」
「ほんと、ほんと」
……こいつらを魔法で滅ぼしてやろうか。
いやいや。
わたしの魔法はそんなんじゃないから。それに――あんたたちに使ってやるほど安いものじゃない。

お昼休み、わたしは外に出て、手すりからビルが立ち並ぶ街の景色を眺めていた。
エントランスを出て、駅にむかう連絡通路へ曲がらず、そのまま真っ直ぐに行ったところに、休憩できる場所がある。足元は格子模様にきれいに舗装され、ぱらぱらと花壇とベンチがある。
その場所は、ビルの3Fくらいの高さにあって、立つスポットによっては、充分、街の様子を見回すことができる。
無機質な、巨大な街のビル群を前につい思わずにはいられない。
……なんか、ぜんぶむなしいんだよね。

目のまえの虚空に吸い込まれるのが嫌で、身体を翻した。反対側の場所に移動する。
建物と建物のあいだに、まとまったスペースがあって、ベンチのかたまりを街路樹がかこんでいる。わたしは端に腰をおろした。
ちょうどそこを知った顔の男性社員が通り過ぎた。
えっと、誰だっけ。仕事で作ったことのある社員名簿がぼんやり思い浮かび……、なんとかハルキさんだったかな、と名前が出た。おとなしい人だ。
この先に何があるんだろう。視線を斜めに走らせる。あそこ、トンネルみたい……。
まあいいや。今はもう少しこの感傷に浸っていたい。
この街は、わたしの無力さを思い知らせるために存在しているのかな――なんて。

インターネットで調べると、金メダリストの水泳選手はほんとうに実在した。彼女のプロフィールを見れば――当然、魔法少女などという記述はないが――たしかにウチの大学の出身だった。
あのあと、講義室で契約はしたものの、時間がたち冷静になってみると、魔法なんて話はやはり現実離れしていて、全面的には信じがたかった。けど、この目で見たリカさんの魔法、肌で感じた魔女の恐怖(かぼちゃ女のことな!)、夢をかなえた魔法少女の存在、これらを総合するに――、
間違いない。
なにより、リカさんが嘘をつくはずがない。
わたしの胸は高鳴った。魔法はほんとうに存在する。わたしは魔法少女になれるんだ。

翌日からキャンパスの人間関係は一変し、魔法少女研究会の秘密の同志となったレイと、わたしは行動をともにするようになった。ときにリカさんを交えつつ。
リカさんは未熟な魂をガイドする天使のように、わたしたちの前にすっと姿を現わす。
契約の次の日も、「いいかしら?」と、はっとして見上げると、カフェテリアのテーブルの前にいた。
「ああ」わたしは驚き、椅子を勧める。彼女は出会った日と同じく、胸に十字架のアクセサリーをさげていた。これは彼女のトレードマークだな。
ほがらかな笑顔に、白を基調とした、ちょっぴり可愛らしい衣装。明るい色の髪が、ふわりとカールする。その姿もやはり天使を連想させた。

リカさんは、「昨日は途中になっちゃったけど……」と言って切り出す。魔女の乱入により取り乱した彼女は、その後も精彩を欠き、けっきょくばたばたと散会になったのだ。
「在学中はふたりともコードネームで呼びあってね」それから、「魔法少女に関するいっさいのことは秘密だからね」指で、しっと言う仕草は様になっていて、彼女は完全に調子を取り戻したようだった。

「はい、わかりましたあ!」
「はい……」わたしは渋い顔をしていたと思う。
だってそんなの恥ずかしい。わたし、メイデンなんでしょ。
わたしの様子を見てか見ないでか、「それに」と彼女は続ける。「こういうのって、社会に出てからも役に立つ話よ。外では、どこの誰が聞き耳を立てているか分からない。だから、客先のことだったり、関係者の話をするときは、かならず隠語を使うの」
そう言って、さっとあたりを見回した。 
わたしも慌ててつられる。幸い、近くに人はいなかった。
「ふふ」とリカさん。
思いもよらなかった発想……。リカさんはいちいち大人だった。わたしは、彼女の優雅で落ち着いた振るまいを見ていると、胸につかえた不安や疑惑など、知らぬまにどこかへと吹き飛んでしまうのであった。

「えっと、西条さんはコードネームを決められたのかな」
昨日は最後のごたごたもあったが、レイはけっきょく「柱」を決められなくて、この時点ではコードネームもまだなかった。
「わたし、レイにしました!」歯切れよく彼女は答える。
「レイね」リカさんが復唱する。「あなたの柱は、ガンマ・レイかな」
レイは、「いえいえ」と首を振る。「なんだと思います?」
リカさんは、いつもの笑みを崩さず、そこにちょっと困ったような目元をつけ加えた。
「うーん、すこし強引だけど、『レイ』ンボウとか? だとしたら、文節的には『レイン』にしたほうが自然ね」
「いえいえ、イン・フ『レイ』ムスですよお」
レイの天然にリカさんの顔が一瞬引き攣るのがわかった。
「ちょっと無理やりすぎない?」わたしは突っ込むが、
「ええ! いいじゃない! 気に入ったんだから」
言い方にいらっとくる。「でも、」
「まあまあ」とあいだにリカさん。
「とにかく、ふたり協力してがんばってね。まずはTOEIC600点。試験は慣れもあるから、一回で獲ろうとしないこと」
そう、これがあるんだよな。
「魔法の実践的な修行は、英語の基礎が身についてからよ。ペーパー試験が英語力のすべてじゃないけど、わたしは組織のボスに、ほら、昨日会ったでしょ? 彼女、ロウィンに、形に残るかたちで報告しなきゃいけないのよ」
あの魔女……、気持ちが引きしまる。
人は、理屈では説明のつかない不安や恐怖を覚えるからこそ、信じ、敬う気持ちも生まれる。彼女の存在はいわば、洪水、雷といった大きなる自然と同列なのである。
「今はわからなくても、この英語特訓にはちゃんと意味があるからね」
「……はい」
「わかりましたー!」

わたしとレイは本格的に英語の勉強を開始した。大学の講義にもきちんと出席して、そのあとの時間を充てた。他の大学生たちが、飲み会にバイトにカラオケに目的もなく彷徨っているのに比べて、とても充実した時間に思えた。
わたしのアパートで、大学の図書館で、レイの庭つきの実家でと、場所を変えながら黙々と勉強し、ときにリカさんのマンションに招いてもらい、コツを教えてもらったりもした。
大人の女性リカさんの部屋は、乱雑なわたしの部屋とは違い、インテリアから小物の使い方まで、とても女性的だった。リカさんは、きまって紅茶を出してくれる。
むろん、恐縮しないわけではない。「あの……、わたしたちなんかがお邪魔じゃないですか」そう訊ね、首を傾げたリカさんに、「はは、恋人に悪いなあって」
レイも「それもそうですねえ」と重ねる。
「ふふふ、あなたたちは気にしなくていいのよ」
後輩の、半分は気遣い、半分は好奇心からくる台詞をさらりとかわす、朗らかな笑みだった。
その後も嫌な顔ひとつせず、わたしたちを招いてくれる。
なんて素敵な人なんだろう――。

最初に受けたTOEICの結果は、目標点を狙ったにもかかわらず、そこまで五十点も足りなくて、ちょっと焦った。必死で巻き返しをはかる。
だからしばらく遊んでいる暇などまったくなくて、同級生とは距離を置かざるを得なかった。また、別の理由もある。契約によってそれは秘密でもあるのだけど、わたしが「魔法少女研究会」に所属しているなんてこと、恥ずかしくて、とても明かせなかった。
その響きの反動からか、わたしはなるべくクールに振る舞うように努めていたと思う。ちょっと冷たい感じがする。周りからそう評価されることもあった。

前期が終わる。九月に受けたTOEICの結果は、
…………。
610点だった。
嬉しい! これには歓喜した。レイとリカさんと三人で抱き合ってよろこんだ。ほぼラインギリギリ。天が味方してくれたようだ。
ところが! レイは、なんと790点を叩き出していた。150点以上の差。……なるほど。彼女とは励まし合う仲間であるとともに、ライバルでもあるわけか。

そして約束どおり、本格的な魔法少女の訓練がはじまった。
最初の実地の場としてリカさんは、渋谷の迷路のような界隈へとわたしたちを連れて行った。目的地は、その窮屈な場所にねじ込まれた、ひょろ長い塔のような五階建てのCD店、その四階である。おそろしく狭いが、商品の点数は多かった。棚に、箱に、ぎゅうぎゅうに詰め込まれている。

この場所からは、魔力というか、不穏なものを感じる。特に――、
「ひどいデスメタルね」
リカさんが店内のBGMをさしてそう言った。
デスメタル――いつか誰からだったか、とにかくでたらめな、うるさい音楽だと聞いたことがある。ネーミングが印象的だったため覚えていた。そんなものに、いいもひどいもあるものだろうか。

ここに来る途中、ざっくりとした説明は受けていた。
「魔力の源は、ある種類の音のなかにあるの」
「……音、ですか」契約の日のテストから、ある程度の察しはついていたが。
「ええ、音。音楽と言ってもいい。人は太古から、音楽とともにあった。シャーマニズムなんてまさにそうでしょ? 独自の音色とリズムを受けて、能力者は、異世界とこの世をつなぐトランス状態になる。乱暴に言えば――つまり、音楽には力がある。それは能力者じゃなくても、誰もが感じることでもあるわね」
「はい」わたしは答える。「好きな曲からは元気をもらえます」
「はい」レイが答える。「悲しい気分になることもあります」
「そう。そういった作用は音楽の種類によるわね。ポイントはまさにそこなの。話が飛ぶけど、すこし我慢してね」
突然、「空間」と言ってリカさんは、空中の何もないところに、くるりと指で円を描いた。「何も見えなくても、空間にはエネルギーや、膨大な量の情報が畳み込まれているの。そういう理論を知っているかしら」
首を捻る。レイの口からも言葉が出ない。
「わたしも専門じゃないから詳しくはないんだけど……」リカさんは少し申し訳なさそうな顔をした。「知りたい?」
「いえいえ」わたしはぶんぶん頭を振る。聞いてもぜったいに解らないし、あまり余計なことを言うと、工学博士の魔女が出てきそうだ。なので、「そういう理論があるんだって理解にとどめておきます」と答えた。
「わたしもその程度の理解よ」リカさんが微笑む。「それにすべてが解明されているわけじゃないの。そんなふうに完成された理論があるんだったら、みんな魔法使いになっちゃうわ」
それはそうだ。わたしはうなずく。

「続けるわね」とリカさん。「何もない空間でもそうだとすれば、音のあふれる空間にいたっては、その情報量は計り知れない。しかも、人の持つ感情、衝動を、宇宙の神秘を、その音像に超圧縮できる音楽形態があるの」
「あの音楽!」レイだ。彼女の反応は速かった。
「正解。ぜんぶ英詞だったわよね。残念ながら、日本語はその音楽に不向きなの。それに、歴史のある欧米に比べてシーンがまったく育っていない。だから英語は、歌詞を理解するための基礎トレーニングだったってわけ」
「ひええ」
まさか、ここにつながるとは。ギリギリ合格のわたしは面食らってしまった。
「ぜんぶを理解する必要はないの」とリカさん。「そうね、曲名くらいでだいじょうぶ。ただ、まったく解らないんじゃお話にならないでしょってはなし」
ほっとする。それもつかのま――、
「いい? 次のステージからは点数すらない。あくまでも自分とのたたかいになるの」彼女は厳しい表情でそう言ってから、「では、実際にその音楽を見に行きましょう」と目元を緩めた。
「『見る』っていうのは変な表現かもしれないけど、知る人ぞ知る専門店の雰囲気、ファン層、CDジャケットのアートワーク、そういったものの空気を、目で見て、肌で感じ取ってちょうだいね」

――そしていま、わたしは圧倒されている。
この騒音のようなBGMもそうだし、店内はなんだかカビ臭くて、むさくるしい。女性客はまったくいない。
「フロアの入り口に、『HR/HM』と書いてあったでしょ?」リカさんが解説してくれる。「それは、ハードロック・ヘヴィメタルの略。こういった専門店以外では『HR/HM』と書かれた棚を探すこと。マストアイテムはあとで教えるけど、できれば自分で開拓していってほしいの。それはそれで楽しみなのよ」
そのあと彼女は、視線を遠くのほう、店の奥の棚あたりに伸ばした。「まずはいろいろと手にとってみてね」
「はい」
「はい」

はじめはこわごわと、棚から適当に抜いては表うら眺めて、よくわからないまま元に戻して、十分もここにいられる気がしなかったが、だけど繰り返すうちに、その作業にある種の楽しみを見出せるようになってきた。
ジャケットの絵が大仰というか、大げさすぎて、なんだか笑えてくるのだ。
戦車が砲身からすごいビームを出していたり、宇宙空間をバックにドラゴンが暴れていたり、髪の長いおじさんのギターから炎が出ていたり。思わず、くすりと笑ってしまった。まわりのお客さんに睨まれ、萎縮してしまう。

肩がぽんと鳴った。リカさんの手だった。「その感覚を大事にして」と彼女は言う。「それが良質な魔力のひとつの基準になるから」
はい、と返事はしたものの、それって……ださいほどいいってこと?

今後わたしたちのすることを、ここにまとめる。
リカさんの言う、良質な魔力がパックされた音源を集める。聴き込む。研究し、消化して、魂の内側へと取りいれる。音源の質もさることながら、その真の理解にいたるには、相対化のための量も必要になる。リカさんによれば、直接、魔法につながる音源は、すでにわたしたちが選択している「柱」のものだそうだ。

わたしは嘆く。「一枚、二千五百円かあ。バイトしないとなあ……」
「バイトそのものが目的になっちゃって、ほかの学生と一緒になっちゃうわよ」
ごもっとも。リカさんに釘を刺される。
「もちろん、わたしが貸せるものは貸すわ。けど、自分で探すって感覚を忘れないで」
と、そのとき、レジに向かおうとするレイの姿が目にはいった。その手元。「え、そんなに買うの」
わたしが彼女のそばに歩み寄ると、
「だって店員さんが、『マスト!』って書いてるんだもの」
「だけどさ……」五枚も。
「『バイ、オア、ダイ』とも書いてあるよ」
「ぷっ、買うか、死ねってこと?」
「メイデンにもあとで貸してあげるね」
その買いっぷりにライバルの強さを見た。そもそもレイは親元が裕福なのだ。彼女の、のほほんとした気質も、そうしたところから来ているのかもしれない。
そういえば、レイはもともとこういう音楽が好きなんだっけ……。契約の日の講義室を思い出す。しかし、
こんなやつにわたしが勝てるのか――?

この記念すべきスタートの日から、レイは当然のごとくメタルにのめり込み、わたしも負けじとのめり込む、努力をした。魔法少女を愛する気持ちなら負けていない。自分を鼓舞する。メタルがなによ。こんなのただの手段じゃない。
とはいえ、レイはまさしく水を得た魚のようだった。音源収拾のみにとどまらず、その種のライブに出かけ、その手のオフ会に出かけた。資格の勉強に近いわたしのスタンスとは根本的に異なっている。この構図はいわゆる、天才VS秀才、というやつなのか? 不安は常にわたしの側にあった。

ともあれ、魔法少女になるためのわたしたちの長い道のりは、こうしてはじまったのだった。

【次回予告】ほのか、合コンに行く!

【おまけ】
「悪夢の最終兵器(絶滅二分前)」(原題:2 Minutes to Midnight)


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