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自分だけの世界を持つこと、癒しの正体、ダルシムの罪

少し前の話だけど、子供と奥さんに連れられて、何の興味もない鉄道博に行った。
素人目には鉄道というより、「鉄道を含むジオラマ」が展示されていたという感じだった。学生や社会人の様々なグループが作った小さな街並みや自然の景観がたくさん展示されていて、(期待値ゼロだったこともあり)思ったよりも楽しむことができた。

鉄道や模型に何の興味もない人間だからこそ、本質をつかむことができたと思っている。わたしは強烈にこう感じた。
彼らは「世界」を作っている。
心の病の治療に「箱庭療法(小さな箱の中に自由に世界をつくる)」があるというが、世界を作ることは、楽しいし、癒されるのだと思う。

楽しいのはわかるとして、なぜ癒されるかというと、おそらくわれわれは平均値の世界を生きているからだ。ひとりひとりの人間は違っていて、平均的な人間など存在しないのだが、実際問題として社会を運営していくには平均値をとらざるを得ない。

よって、われわれは個人のためのシステムではなく、社会を運営するための平均値のシステムに乗って生きているため、個人差こそあれ、誰もが多少のズレを感じて生きている。

そのズレが、少しずつ心にダメージとして蓄積される。ズレがあまりに溜まってしまうと、心身に不調が現れるのだと思う。ある程度溜まったところでズレを補正しなければならない。その補正こそが癒しだ。

平均的な人間など存在しないのだから、誰もが癒しを必要とする。
癒しとは平均値と自分のズレを補正すること。
どうやって?
答えはもう出ている。
どんなに小さなサイズでもいい。自分だけの世界を作ることだ。平均値ではなく、自分が本当に心地よいと思える世界。

別にジオラマを作る必要はない。
こんなことでもいいと思っている。

  1. 自分の部屋を好きなように模様替えする

  2. 自分好みの音楽のプレイリストを作る

  3. ポケモンカード(トレーディングカードゲーム)のデッキを構築する

  4. 投資ポートフォリオを組む

  5. ホームページを作る

上に書いたような理屈がわかっていたわけではないが、わたしはいろいろもがいているうちに、「1.自分の部屋」以外の世界づくりをすべて実践していた(自分の部屋がある環境にないもので)。

わたしは癒しを求めていたのだな……。
社会の平均値とのズレが大きい人間である自覚はある。わたしはたくさん補正しなければならない。

なお、「5. ホームページを作る」は、わたしにとってこのnoteの記事全体がそうだ。記事を一度書いて終わりではなく、けっこう更新している。有名アーティストの再編集盤っぽく、「take2」とか「new recordinng」とか「XX mix」とか付け加えていって遊んでいる。

noteを続けるうえでの禁止事項がアクセス数を見ることだ。まだ一度も見ていない。これを見ると、わたしの箱庭が壊れる。今回の記事のテーマに沿うと、癒しのための世界が、平均値のための世界に引っ張られてしまう。

前回、ワードプレスでホームページを作ったときは、この罠で世界が一瞬で破壊された。そういえば、大昔こんなこともあった。

以前、書いた記事をそのまま掲載して筆を置く。

===
今みたいにSNSが普及していなかった当時、僕は何かしらの情報発信願望に駆られ、なけなしの知識を使って個人のホームページを立ち上げてみた。
トップページには、お気に入りのメイン写真とアクセスカウンター(何人訪問したかカウントするやつ)があって、他のページにはプロフィールを載せていたくらいだと思う。

こんな面白みのないホームページに誰も興味を持つはずがないのだけど、それでも当時の僕は毎日アクセスカウンターを眺め、ちょっと期待していた。
アクセスカウンターは一日にせいぜい、+1から+3といったところ。ところがある日、一気に「+100」となる事件が起こった。

ぼくは素直に喜んだ。
こんなにも注目された!
こんなにも僕に関心を持ってくれた人がいる!
100人もいれば、きっと、きれいなOLさんもいる! 女子大生もいる!

実家のある北陸に帰省したある日、僕はいつものように中学からの友人、ダルシムと金沢に飲みに行った。
僕はアクセス数のことを自慢したくて、そわそわタイミングを図り、さりげなくこう言った。「前に教えたホームページなんだけどさ、不思議なんだよなあ。突然、アクセス数が増えちゃって」
別に嬉しいわけじゃないんだから、と平静な顔をとり繕った。

ところが、ダルシムはこう言った。「それ、俺やで」
「はい?」
ビールのジョッキを持つ手が止まる。
「パソコンの更新ボタンあるやんか。あれ、押すと、アクセス数上がっていくやん。俺、おもしろくなって、めっちゃ連打してしまったわ」
「ふーん、そうなんだ……」
平静な顔を作っておいてよかった。
別に、喜んでたわけじゃないから、悔しいなんてこともないんだから!
その仮面の裏では、失望が半分、殺意が半分だったという。






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