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虹をつかもう 第19話 ――修――

※1~3話目のボリュームを増やした関係で、話数がずれました。以前の読者様は14話あたりから読んでいただければと……

「ななに気安く話しかけないでくれる?」

ぼくの修行は、いろいろな意味で壮絶だった。
「教育係はわたしが引き受けたから」という木原の台詞は、関係者の様々な思いが集約され、そして状況をいっそう複雑化する。

場面は、木原の部屋。布団は押し入れに片付けられたようで、六畳が以前より広く感じる。だが、木原と二人きりというシチュエーションは、二つの布団ごと、押し入れに詰め込まれたような圧迫感を覚える。
水剋火――水は、火を剋す。後日、ぼくが学んだ五行思想の基礎である。ぼくの気には水の特性があって、木原は火。本来、ぼくのほうが有利なはずなのだが、とてもそうは思えない。

弟子入りして最初にセイさんの家に通った日のこと。
学校が終わって、とりあえずいつものルート――基本的には塾に向かう道だが塾の友達に見られたくないため一部迂回する――でセイさんの家までダッシュしてみた。
直線距離で1.5キロ程度だと思うが、上下左右にうねる路面が予想以上に体力を奪い、その後に控えた不思議坂が、華麗にぼくにとどめを刺す。坂の途中で完全に失速した。
蒸し暑さに汗がしたたり、顔がほてる。木原に見られたら、渾名をゆでタコにされそうなほどひどい。ペットボトルの水を口にふくみながら、まずはこのルートをクリアしなきゃと思った。

――セイさんは、いなかった。誰もいないのに普通に家に入ることができ、かといって落ち着かないので、キッチンに入った。扇風機をつけ、まずは身体の熱を冷ます。手持ちぶさたなので、やかんでお湯を沸かし、茶を淹れる。テレビをつけた。
情報番組などはあまり好きでないが、この時間帯、それしか観るものがない。
ほう、今、主婦のあいだでは、こういうものが流行っているのか。
続いて帰宅し、キッチンに顔を見せた木原が言う。
「あんた、なにやってんの?」
「ぼくが訊きたいです」

木原はさっさと二階に上がっていってしまった。
しばらくして、ギャーンと大きな音が鳴る。あのギターの音か! ものすごく音が歪んでいる。カッティングなのか、リフを刻んでいるのか、あまり曲に聞こえない。とにかく人の気持ちを不安にさせる音である。
ああ、テレビがよく聞こえない……。

次いで、七瀬さんが顔を出す。
「早いね」
助け船、きた!「お茶いれましょうか!」
ぼくがお茶を淹れていると、七瀬さんは椅子を鳴らし、テーブルについてくれた。
好機とばかりに質問をする。
「セイさんは、今日いらっしゃらないんですか」
「さあ。いなきゃいないんじゃないか」
「お仕事でしょうか」
「さあ」
なんだろう……、すがすがしいほどの無関心。
上からギターが、ぎゃうぎゃう言う。
ぼくも声のボリュームを上げる。「木原さん、ギターが趣味なんですか?」
「みたいだね。なにがしたいのかイマイチ分からん」
「そうですよね……」あれ、本当になんだろうな。
お茶の入った湯飲みを差し出す。
「ありがとう」
「この時間、七瀬さんはいつもなにしてるんですか?」
「夕飯のことを考えたりかな。なんか作るなら、買い出しに行かなきゃいけないし」
自分の言葉を受けて、七瀬さんは独り言のようにつぶやく。「じじいは放っとくとして、あいつ、どうすんのかな」
木原のことか。「たまに勝手にコンビニで買ってたりするんだよな」
核家族か! ここ、バラバラだな。
「雨男はどうする?」
「家で母がつくってくれるので……」
「そうか」
「なので、夕食時は帰りますが、セイさんは夜、戻りますかね」
「さあ」
壁の掛け時計を見る。「とりあえず、ぼくはここに五時半時までいて、今日はそれで帰ろうかと思います」
「うん」
「セイさんが帰ってきたら、ぼくが今日ここにきたことをお伝えください。あと、走り込みもしてきました、と」
わかった、と言って七瀬さんは、お茶の入った湯飲みを持って出ていった。「この場所、騒音がひどいんだよな」
今、騒音って言った。
テレビのボリュームを上げるが、よく聞こえない。まったく趣味でない音楽(というか音)を強制的に聞かされながら、テーブルに肘をつく。
俺、塾に行ったほうがよくないか?

次第に分かったことだが、七瀬さんは、本当にセイさんをのことをたいして知らないようだ。ましてや木原は言うまでもないだろう。この人たちの関係性がいまいち見えてこない。
第一、せっかくテレビに出る人がいるというのに、ぼくが確認できた限り、テレビはキッチンに小さいのがひとつあるだけ。毎晩バラエティ番組をチェックしているぼくのほうがよっぽどセイさんのことをよく知っている。あくまで一面に関しては――。

後日の、会話の一部である。
「けっこう人脈があるみたいだけどな。大きな金も動かせる。向こうの国では相当な有力者っぽい。そして向こうの国を動かせるってことは、日本も動かせる。あいつ、実際なにやってるんだろうな。俺もよく分からん仕事をふられるし」
七瀬さんの話が突然大きくなり、びっくりしてしまった。
たしか、ぼくが振った、政治家息子の話から、日本の権力者はどこまで影響を及ぼせるのかという話になり、七瀬さんが、「じじいも、けっこう力あるらしいぞ」と言ったことからはじまった。
「そうなんですか。財界のつながりとか」
「あるっぽいな」
「政治家とか」
「かもな」
「ぽいとか、かもとか、あんま知らないんじゃないですか」
「人のひとりやふたり消すくらいわけない」
「え……」
「これ以上、知る必要あるかな」
「ない、のかもしれないですね……」
どこまでが本当なんだ。

そんなことはつゆ知らず、茶をのんでテレビを見て、とぼとぼと帰った日の翌日のぼくは、家のなかにセイさんを見つけ、勢いよく絡んだ。殴りかからんがばかりの勢いだったかもしれない。一階にある大きな座敷でのこと。
不思議坂を駆け上がったせいで、血走った目で、ぜいぜい言うぼくに、「なになに」とセイさんは間抜けな声を出した。
「走ってきました」声につい怒気がこもる。
「うん、ご苦労さん」
「だから教えてください!」
「えっ、ななか、あいに訊いたらいいじゃん」
「それができたら訊いてます!」
「ワシ、トップなのに?」わかりやすい、不満げな声を洩らす。
なんのトップだ?「その意識は、他の二人にあるんですか」
「ええ、ないのかな?」
「知りませんよ」
とぼけたリアクション。ぼくが第三者だったなら、確実に笑っていただろう。
だが、今はそうじゃない。
「そもそも、ぼく、コメディアンになりたいんですけど」
「マジで?」
「だからセイさんのそばにいないと意味ないんです」
「教えるほどのもんもないけどなあ」
「あります」意地になる。
「雨男は、もう充分おもしろいって。だって、雨男って。ぷっ」
「それ、俺が考えたんじゃねえよ」
ぼくは権力を持ってるらしき人に、全力で突っ込んでいた。
「まあ、勉強したいなら、勝手に盗んだらええよ」
「そうします」そう言ってから、ぼくは、両手を膝について、はあはあと息をととのえた。坂を駆け上ったダメージがずいぶんと残っている。
「たしかにワシ、テレビの仕事もしてるし、本当に面白かったら、知人に紹介せんでもないけどね」思わぬ発言に、ぼくは顔を上げた。「卒業後な。それまでに、実力がついてるといいのう」老人がにかっと笑った。「けど、弟子じゃないとそばに置かんよ」
「よろしくお願いします! 雨男、精一杯精進します」
なにを精進するのか判然としないまま、直立不動し、頭を下げた。
「うむ」と、威厳を取り戻した老人がうなずく。「ワシからも、あの二人に言っておこう。どちらかを教育係に指命したほうがよさそうじゃな」
「七瀬さんがいいです」ぼくは即答していた。
わかった、と言って、「なな、おらんかな。なな~」犬でも呼ぶようにしてセイさんは、廊下のほうに出て行った。
少しして、セイさんが戻ってきた。
「『別にいいけど』って。でも基本だけは、ワシが説明しろってさ」
無言のぼく。
無言の師匠。
見つめ合う師弟。
彼らの力関係はどっちが上なんだろう……。

その日、セイさんから、せいぜい三十分くらいだと思うが、きわめてざっくりした「気」の話を聞いた。分かるような、分からないような。中途半端な冗談を聞かされているような。
セイウチ顔、プラスあの口調で話されると、なにを言われても冗談に聞こえてしまう。ただ、いわゆる「気功」の話だったのだと分かった。

気とは何なのか、よく分からない。セイさん自身が、「けっきょくのところ分からん」とはっきり言った。
次の日、つまり三日目、七瀬さんからもう少し詳しく話を聞くことができた。気についてやや具体的なイメージができた。座敷で簡単な実技指導も受ける。この調子でいけば、今は分からなくても、いずれ理解できる気がした。さらには、この訓練が、今は見えないなにかに、きっとつながっている予感がした。
よかったのは、そこまでだ。

『ななに気安く話しかけないでくれる?』
――あの台詞。
四日目、木原に連れて行かれ、絡まれる。前日、七瀬さんと親しげにしている様子をどこかから窺っていたのだろう。
ぼくの答えは、もちろんイエス。選択肢は他にない。
その後、ぼくの教育係は木原になり、修行場は二階の狭い部屋になった。
隅で、壁のほうを向き、延々と、指示された単調な動作を繰り返すことになる。
腕を振る。背を後ろに逸らす。
ぼくは、なんのために、なにをしているんだろう。
ときどき後ろから、ぼくはいないものとして、ギターの轟音が鳴り響く。
振り返れば、木原がこちらを睨む。
長い黒髪、白のセーラー服、赤みがかったチェリーバーストのストラトキャスター。それらが三位一体となり、恰好だけはよく似合う。
「集中して」
「はい!」
身体が元の動きに戻ろうと反応するのを、いや、と留める。
「いえ、あの、質問があるんですけど……」
木原が、無言でぼくを見る。押し潰されそうな沈黙。
「すいません」ぼくは謝って、また同じ動作を繰り返す。直後にはじまった騒音を、背に受けながら。なんだ、この状況。

これはいぢめじゃないのか。ぼくは元々こんなキャラだったろうか。この頃、怖い人に絡まれてばかりいる気がする。しかも相手が、勝ち上がり方式でどんどん強くなっていくという……。
「どこ行く!」
「あ、トイレです」
「ふん、いちいち言わないで」
訊いたのは、あんたでしょ。
そうして、抜け出しては、けっきょくセイさんのところに行く。七瀬さんのところはさすがに無理。見つかったら、殺される。
「師匠―っ」
「なんで、君、ワシのとこ来るの! ワシ、トップだって言ってるじゃん」
「じゃあ、木原さんに、びしっと言ってやってくださいよ。ちゃんと教えてやれって。あと、いびるなって」
「むりむり。あいつ、怖いんじゃもん」
「だったら、教えてくださいよ」
セイさんは一瞬固まり、そして、「……一日、一回ね」と、観念した。
本当に、この三人の力関係はどうなっているんだろう……。

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