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魔法少女はメタルを聴く 第二話「うわあ、魔法って本当にあるんですね!」

天井にいたはずのわたしは、いつのまにやら、もっと高いところを浮遊している。
なんだかとっても気持ちがいい。まわりの物がぐにゃぐにゃに歪んで右も左もわからなくなって、自分が小学生のような気もするし、十八歳だったような気もしてくる。
あれ、わたしって大学に入ったばかりなんだっけ? 偏差値が決して高いわけではないが、名前だけはよく知られた、東京の端にある大学に。

季節は春、四月。入学式の日からしばらくして、キャンパスで大がかりなサークル合同説明会が開かれることになった。
その大学のキャンパスは、交通の便を犠牲にした代わりに充分な敷地面積を持ち、メインの通りを端から端へと歩けば、テニスコートがあり、テラスのある学食があり、他にも把握できないくらいの多くのものがあって――その場所は、すべてのものが目新しいわたしにとって、この前まで通っていた高校とはまったく規模の異なる、それこそ、ひとつの町のように見えた。
特にその日は、そう思わせるだけの人と、活気があった。いま思えば、学園祭規模のイベントだったのだ。
わたしたち新入生にとっては、その後の四年間を左右する、大事な、大事なイベント。

メイン通りの両脇には、少しずつ間隔を空けながら臨時のテントが並び、テントでは、上級生が長テーブルを挟み、呼び込みに応じた新入生を熱心に口説いていた。正門のところでもらったパンフレットによると、このメインの通りと、それから校舎のなかにも説明のスペースがあるらしい。室内のほうは主に文化系のサークルのようだ。
新入生とサークル関係者、風に舞う花びらがごちゃまぜになった大通りを、わたしは、知り合ってまだ間もないクラスメイトのレイと歩いていた。
地面に散らばる桜の花びら。空の強い陽射しに目を細める。

北関東の田舎からやってきたわたしは、田舎の出身だという自覚があり、ジーンズに春めいた色のパーカーという無難な格好をしていたのだが、となりを歩くレイは、彼女の、大きな平らな顔と存在感を釣り合わせるように、フリルのたくさんついたワンピースを身にまとっていた。そこに足し引きはなく、あるのはプラスとプラス。わたしは都会育ちの強さを見た気がした。
彼女とふたりでいたのは偶然である。

そのころは、さきちゃんにまみちゃん、もっと気の合いそうな子がいたのだけれど、たまたまその日は、壮絶な人混みのなかで離ればなれになってしまっていた。
どちらかといえばレイは、わたしたちにとって距離を感じさせる子で、容姿以前になんというか、強度の天然、もっといえば少々痛い子であったのだ。

彼女といることで、ちょっとした優越感があったことは認める。その日も上級生の男子から、勧誘にかこつけてここぞとばかりに囲まれてしまい、彼らは露骨なくらい、わたしにきた。
同伴者にもちょっとは気を遣えよ、と、さすがにそう思ってしまう。
「すいません、またきますんで……」
わたしは曖昧な笑顔で、すがる亡者ども(失礼!)を振り払いつつ歩いた。

みょうに馴れ馴れしい異性への警戒心もあったが、サークルの名前を聞かされても、今ひとつぴんと来なかったのだ。サークル探しに関して、わたしに明確な指向性があったわけではなく、さきちゃんたちと同じサークルに入ろうかくらいの意識しかなかったのだから、それも仕方がない。
そのさきちゃんに電話してみるが、つながらない。
……向こうもバタバタしてるんだろうな。連絡があるのを待つしかないか。

ねえ、新入生だよね? ああ、はい……。
ちょっと時間あるかな? いえ、ちょっと……。
――――。
――――。
それにしてもなんだか、肉食動物の檻のなかにいる気がしてくる。主体性のないわたしは防戦一方になり、はげしく消耗した。
「……わたし、ちょっとそこで休もうかな」
わたしも、とレイが応じる。「いまいち、これってのがないんだよな。それに、なんだかナンパみたいだよね」
彼女も同じことを考えているようだった。そして亡者どもの露骨さには気づいていないようだった。

ちょうどわたしたちのいる場所から、校舎と校舎のあいだに陰になった場所が見えた。わたしたちはどちらが言い出すでもなく、その隙間に向かって歩きだした。吸い込まれるかのように。
(だめ、行っちゃだめだって!)
今、だれかの呼ぶ声が聞こえたような――? なんだろう、この感じ。スピリチュアルななにか?
(今度、一杯おごってあげるから! うーん、うーん)
なんか、おっさんの寝言みたいだな……。でも女の人の声だ。直感的にこうはなりたくないと思った。妙に近しい感じがするのが気にかかるが。
けっきょくは声を無視する。
ひと息つきたいだけ。それだけだよ。深く考えることなく先へ進んだ。
そこでわたしは出会ってしまったのだ。その人に。
綺麗で、おしとやかで、わたしが四年後はこうなっていたいと思った理想の人――リカさんに。

この陰になった場所は居心地がよかった。
メインの通りは、雑然としているうえに初夏を思わせる強い陽射しに照りつけられ、汗が浮かび上がってくる。比べてここは、気温も人の密度も落ち着いていて、自分の声の響き方、光と影のバランスすら申し分ない。古びた校舎の翳る様子もよかった。

左右に見える校舎の側面は扉が開け放たれていて、ここにもぱらぱらと人がいたのだが、わたしはなぜか、校舎の壁の隅、ひとりの女性に、目が留まった。この空間の、影のいちばん深いところ。そう表現したくなる。なのにそのとき、スポットライトがそこを照らしているかに見えた。

彼女は、わたしの視線を当然のように受け止め、こんにちは、と声に出さずに微笑む。それを受けたわたしもまた、そうすることが当然というように会釈し、彼女のいる壁のほうへ足を向けた。横でレイも同じ動きをしていた。
大通りの勧誘のときとまったく逆の現象。
トートバッグを肩にかけ、封筒を胸に抱えただけの彼女のすがたは、一見してサークルのスタッフとも思えなかったはずなのに――。

あとになって考えてみれば、最初彼女は、レイのほうに目を留めたのだと思う。レイは、こちらで見ていてもちょっと恥ずかしくなるような、ふりふりの恰好をしていたから。ファンタジックなあの言葉と親和性が高いと、そう踏んだのだろう。
路線は同じでも、彼女――リカさんは違った。
白を基調とした衣服はすっきりと洗練され、どことなく、上品な学校のセーラー服を思わせる。それから、胸の膨らみの上に光る、シルバーの十字架のアクセサリー。これぞ足し引き。
また彼女は、わたしとの対比でも際立っている。思わず指でなぞりたくなる、やわらかな頬のライン。きれいな栗色の髪は、ふわりとカールして可愛らしい。
わたしは、どちらかというとすっきりした顔立ちをしていて、髪型も、髪質にまかせて、真っ直ぐすとんと下ろしてしている。どう頑張っても彼女の雰囲気は出せそうにない。
つまり彼女は、わたしにとってないものねだりの魅力を持っていた。

あらためて、「こんにちは」と彼女は言い、わたしたちもそれをおうむ返しにする。
けど、挨拶を交わしたはいいが、いったいなんのサークルだろう? 見た目からはまるで想像がつかない。
そこに、わたしの心を見透かしたような、「学校のパンフレットには載ってないわ」と言う彼女の声。それは、雰囲気どおりの、静かで上品な言葉遣いだった。「正式に場所をおさえるには、それなりの条件がいるの。だから何百もあるサークルがぜんぶ載っているわけじゃないのよ。特に規模の小さなところは」
なるほどと、わたしたちはうなずく。
「ちなみに、わたしが所属しているのもその小さなひとつ――」
そのあと彼女は、恥ずかしがる素振りなどまるで見せず、こう言葉をつないだ。『魔法少女研究会よ』と。

魔法少女研究会……?
突然の言葉に、心がぴくりと動く。膝をこんと叩かれたときの、無意識の反射のように。
彼女はわたしたちを見て、笑顔のまま少し首を傾ける。一連の仕草は流れるようで、あまりの自然さに、言葉の不自然さが一瞬雲隠れする。
直後、アニメ研究会のひとつなのかも、と思いあたる。
「おねえさんはひとりなんですか?」
これはレイ。わたしが動けなかったあいだに、レイが訊ねていた。
「ええ、今日のところは。小さなサークルだから」
次に、彼女、リカさんは、「さて」とひとつ間を置いて、それからこう切り出した。「君たち、魔法は本当にあるって知ってるかな?」
引き込まれる! この絶妙なつかみは、プロ意識に満ちた教育番組のおねえさんのようだ。彼女は、歯を見せず、目元、口元だけで表情をつくる。現在、百年でも続きそうな、静かな微笑をたたえている。

魔法――? それはどういう意味の魔法だろう?
先月、田舎から出てきたばかりで、それなりの警戒心を保っていたわたしは、新興宗教の類じゃないかと一応疑ってみる。そのとき、「はい! 魔法はないと思います」
レイだ。レイが生徒のように手をあげて答えていた。
リカさんは微笑んだまま言葉を発しない。回答がそろうのを待っているようだ。
どう答えようかと迷っていたとき、足のつけ根のあたりに振動を感じた。あ、スマホ。「ちょっとすいません」
振動はすぐに止まる。
「だれから?」とレイ。
ポケットから取りだしたスマホを操作しながら、「んん、さきちゃんからチャット」
次にリカさんのほうを見る。「さっきはぐれちゃった子なんです」
……あれ、おかしい。
「スマホのバッテリーが切れそう。やばいかも」
画面がまっ暗になる。電源ボタンを押すと一瞬明かり灯ったが、次の瞬間には完全に消えてしまった。電源ボタンを長押ししてみても反応がない。
「困ったな……」
レイのほうを見るが、彼女は、「わたしスマホ置いてきちゃった」なぜか堂々と言い放つ。
もう。天然というのはこういうところだ。
「んー」わたしはうめく。
すると、見かねたようにリカさんが、「ちょっとでいいのよね」と声をかける。
「ええ。今、どこにいるってだけ、連絡したいので」
「貸してみて」

素直に手渡すと、彼女はその両手をスマホの下で、水をすくうときのような形にして合わせた。それから目を閉じる。
すべての音が止む。静寂が場をおおう。ただならぬ空気が流れた気がした。彼女は、そして唱える。「……バッテリー」
本当に一瞬のことだった。
はい、と渡される。
どういうこと? わからないながらもふたたび操作を繰り返すと、なんと、スマホの電源が入ったのだ。「すごい!」
これって……、その、魔法?
「うわあ、魔法って本当にあるんですね!」レイが喝采の声をあげた。
リカさんが口に指を当てて、しっと言う。「内緒よ」
それから茫然とするわたしに向かって、「二、三分はもつわ」と微笑んでみせた。

混乱が渦を巻く。
こんなのって、魔法以外に説明がつかない。
リカさんはにっこりと口の端を動かして言う。「いま空いている講義室があるんだけど、話を聞いていく?」
「はい!」
非常事態だ。わたしはポケットにスマホを突っ込んだ。
リカさんは校舎のなかへと歩き出す。わたしとレイは彼女の後ろ姿を追った。くっきりとした陽射しが窓を斜めに差し、宙にほこりのきらめく校舎のなかを、三人は進んでいった。
喧噪が遠ざかってゆく――。

古めかしく重々しい、独特の雰囲気のする建物の内部を、狭い階段をのぼり、角を曲がりながら、奥へと進んだ。はじめはちらほらいた学生もいつしか見えなくなる。途中、キャンパスとは切り離された別の空間にいるような錯覚に、何度も襲われた。
そうしてたどり着いたのは小さな講義室。

入ると、埃っぽく、籠もった熱気にむっとする。部屋は狭く、机の数も少ない。どことなく、三角屋根の建物のてっぺんに作られた、先細った小部屋を連想した。
リカさんは、机のひとつにバッグと封筒を置く。それから、「まずひとつ」と言って、これまた教育番組のおねえさんのような仕草で、人差し指を立ててみせた。
「ほんとうは魔法について詳しく教えてあげたいところなんだけど、部外者への説明には限度があるの。だから、これから話す内容は、どうしても限定的にならざるを得ないのね」
「えっと、それはどういう」
「普通のサークルとは少し事情が違うのよ。原則は秘密主義」
「秘密主義……」
リカさんは言葉を探すように上をむき、うーん、と人差し指を口にあてた。「秘密結社なんて言うと怪しく聞こえるかもしれないけど、でも、魔法を教えてくれるサークルなんて普通あると思う?」
いやいや。
首を振る。そんなものがあったら一大事だ。
「そうよね。だからこちらも、そう簡単に秘密は明かせない。まずは断片を見せるだけ。そして魔法を教えるに足るか、あなたたちの資質を見せてもらいたいの」
わたしたちはただうなずいた。というよりも、話が漠然とし過ぎていて、ここで挟むべき質問を思いつかない。
「それからもうひとつ」
わたしは身がまえた。彼女の表情、口振りは、これまでにない真剣なものを帯びていたから。
「だれにでも魔法が使えるわけじゃないの」
え?
いや、それはそうか。
「これは厳然たる事実。だから魔法少女研究会では、入会前はもちろん、たとえ入会した後であっても、見込みがないとわかった子にはそう告げることにしている」
残念だけどね、と彼女はほんとうに残念そうな顔をした。「わたしたちの組織が一般のサークルと違うところは、入会希望者にそういったリスクを承知してもらって、同意の上で入会になるところなの」

つかのまの沈黙。
筋はたしかに通っている。加えて、リカさんの落ち着いた話しぶりは、たとえるなら風のない静かな湖面のようなもので、入会にむけて押すわけでも、あえて引いて、駆け引きに持ち込むものでもない。
この時点での印象を正直に話すなら、かつて憧れた「魔法少女」の甘美な響き、リカさんという洗練された大人の女性、そしてこの二つが合わさったイメージが、わたしにはとても魅力的に思えた。

質問で沈黙を破る。「えっと、その見込みがあった場合というのは、魔法が使えるようになるまで、どれくらいかかるものなんですか」
「そうね」と応えるリカさんは、柔らかな調子を取り戻していた。「いくつか段階を踏むんだけど、すべてパスしたとして、だいたい三年半ね」
「三年半……」学園生活の、ほぼすべてを充てることになる。
彼女は目を伏せて、「逆に三年半頑張ったとしても、魔法少女になれない子はなれないわ」と憂いのある表情で首をふった。すなわち、魔法少女になるイコール魔法が使える、という図式なのだろう。

「ええー、ひどい」レイが声をあげる。
「厳しいようだけど、大事なところだからよく聞いてちょうだいね」そう前置きをして、彼女は続ける。「昔、理科の授業で、質量保存の法則を習ったでしょ? 密閉したフラスコのなかで、個体の一部が気体に変わったとしても、その前後でフラスコの質量は変わらない。それと同じ。どんなに不可思議に見える現象でも、トータルで見ればバランスがとれているの。魔法、つまりそれは、大きかろうが小さかろうが、奇跡であることに変わりはない。その力を得ようと思うのなら、見合う対価を必要とする。各人の資質、時間に努力、それでも手に入らないかもしれないリスク、あるいは、得られるものはイメージどおりの魔法でないかもしれない」
そこまで言って、彼女はまた首を振った。「それが現実なの」
「……現実って、厳しいんですね」
レイが明らかに沈んでいるのがわかる。だけどわたしは、そうは思わなかった。むしろ当然とさえ思えた。理にかなっている。ここは現実。アニメの世界ではない。現実世界にあって本当に奇跡が得られるのだとしたら、それは虹のむこう側、きっと想像もつかないような困難のむこう側にあるのだろう。
だからこそこう思う。
最初にそこまで言ってくれるのなら、むしろ信頼できる。

「ごめんね。けど、最初に知っておいてほしかったの」
レイの様子を見かねてか、リカさんは手を叩き、ぱっと明るい調子をつくった。「でもわたしは思うんだけど、たとえばテニスサークルに入るとするでしょ。入ったからといって、大会に優勝できるとは限らない。プロになれるわけでもない。それと同じじゃないのかな」
レイの顔が少し開く。「……それもそうですね」
「ね!」リカさんがにっこりとする。「じゃあ、先に進みましょうか。話はそれからでしょ」
「はい!」レイも同じ顔になる。
すごいな、教育番組のお姉さん……。仕事ぶりに拍手を送りそうになる。

次にお姉さんは、バッグの中から、すでにイヤホンの挿さった小型の携帯端末を二つ取り出した。わたしたちに配り、そして言う。「さあ、これがヒント。魔力の源になるものは、このなかにあります」
それから彼女は、なかの音源を聴くように促した。「曲はたくさんあるから、気に入った音が見つかるまでスキップさせていってね。ちなみに再生はシャッフルモードになっています」

端末を手にどきどきする。これで、魔法少女としての資質が分かるわけ?
イヤホンを耳に浅めに入れ、こわごわと再生ボタンに手を伸ばしたとき、
「わー、かっこいい!」
レイだ。
かっこいい? わたしも慌てて音楽を再生させる。直後、聴いたこともない鋭い音が鼓膜を直撃した。
痛い! なにこれ。
反射的にイヤホンを外す。
「どうしたの?」
「いえ、ちょっと」
「ボリュームを下げてみましょうか」
リカさんに音量を二つほど下げてもらって、たまたま再生した曲が合わなかったのかと、曲をスキップさせてみるが、ほぼ同質の音が襲いかかり、またスキップさせる。
これもだめ、スキップ! これも。
その次もだめだったので、あきらめて停止ボタンを押した。

ボリュームというよりは、音楽自体に問題がある……。はっきり言って、演奏者が狂っているとしか思えない。たとえばドラム。力を入れて叩きすぎだ。しかもものすごいスピードで。低音が、聴く者をサンドバッグにする。それからこれはギターだと思うが、高音は高音できいきい耳が痛い。ボーカルの歌い方もちっとも綺麗じゃない。
「わたし、こういう音楽はちょっと……」
「うん、気に入ったのがひとつ見つかればいいの。あとひとつだけボリュームをさげましょう」
「ええ、けど……」

レイはよく平気だな。彼女は気持ちよさそうに頭を揺すっている。むこうの端末に同じ音源が入っているのか疑わしく思う。
わたしにはとても無理……。まさか、こんなにもわかりやすい不適合者だとは思わなかった。とたんに魔法少女の響きが愛おしいものになる。あと一度、もう一度だけ。そう思い、指を動かしたとき、
(そんなに……じゃ……ないよ)
まただ!
いったいこれはなに? 今度はさっきと違う声。もっと遠くから響いてくるような、録音機から声を再生させたような。
だからなのか、ほとんど聞き取れない。
今度も声を無視する。そして駄目もとで次の曲を再生させた。すると、あれ――、
「かっこいい」
なんだこれ。こんなのはじめて聴く。

さっきまでのとぜんぜん違うじゃない! どこがどうというのはうまく言えなくて、うるさいのはうるさいんだけど。
メロディアス? そう言い切ってしまうと、少し遠ざかる気がする。やはり「かっこいい」なのだ。
「へえ……、あなた」
目が合う。リカさんの真剣な眼差しがあった。けれど、それもいっときのこと、すぐもとの優しい笑顔に戻る。
「はい、そこまで」彼女は手を叩いた。

リカさんが実際にその名を名乗ったのは、このときだった。
また補足して言うには、彼女はすでに学部を卒業していて、いまは研究生なのだそうだ。そうして身分を明かしたあとで、「二人とも、魔法少女になれる素質はありそうです」と微笑んだ。
「わー」レイが無邪気に声をあげる。わたしも内心では同じくらいうれしかった。
リカさんはそのあと声を落として、「……しかも、最強の魔法少女が生まれるかもね」
こちらを見た気がした。けどわからない。そう思ったのはわたしの自意識が過剰なせいで、次の瞬間にはレイを見ていたのかもしれない。

「えー、今度の新入生は、わたしが受け持つことになっています」あらたまった調子でリカさんが言う。
このリカさんが一緒なんだ。
それを聞いて安心する。気持ちが軽くなり、口元まで軽くなる。「あの、魔法少女研究会には何人の仲間がいるんですか」
特に考えがあったわけではない。
ところが彼女は、予想に反して困った顔をした。「そう、それなんだけど……」同級生たちからは決して見られない、大人の事情を垣間見させる表情。「魔法少女の試験に合格する前――つまり研究生のうちは、ほかの研究生を知ることができない決まりになっているのね。だから、このことは、あなたたち二人だけの秘密になるわ」
「えっ」思わず声をあげてしまった。
「そういう決まりなの」リカさんは繰り返す。「言えるのは、少人数だってことくらいね。一学年に片手もいない」そう言って右手を広げてみせたあと、「ここでの魔法は秘伝。状況によっては募集しない年もあるくらいなの。さっき秘密主義って言ったでしょ。魔法少女になるまでにいくつか段階を踏む、とも」
「え、ええ……」
「魔法少女に関する情報は、厳重に管理されなければならない。ほかの研究生を知ろうとすることは禁止されているし、活動の内容を、関係者以外に話してもいけない。そのことは、今から見せる契約書にも書いてあるわ」
「契約書ですか!」
「この魔法には、それだけの秘密があると思ってちょうだい」
リカさんは、封筒から用紙を取りだして、それを配りながら言う。「これを持ち帰ってもらうことはできないの。急かすようで申し訳ないんだけど、いま読んで決めてほしいのね。わたしはあと三十分ほどで行かなくちゃいけない。すると、この広いキャンパスのなか、きっとわたしに会えなくなるわ。もし見つけても、そのときには他の子が魔法少女になる資格を得ている」
言葉が出ない。
急にそんなこと言われても……。

とたんに息苦しくなる。ぺらぺらの紙が全身に重くのしかかる。これくらいなら、すぐに読めそうだけど……。
「わからないことは何でも訊いてね」
急いで目を通す。重要そうな言葉を拾った。「えっと、『指示する訓練法を守り』……、それから、『合格者だけが次に進める』とあるのは、具体的には」
「そうね。本当はそれも秘密なんだけど、直近のことがわからないんじゃ、不安にもなるわね」人差し指を口にあてる例のポーズで、彼女は視線を上にやった。
そしてその直後に出た言葉は、とびきり意外なものだった。

「契約後の最初の半年間は、英語を真剣に勉強することになります」
英語……、ほわい?
「具体的な数値目標もあってね、ずばり、TOEIC600点以上」
トーイック? よくわからない。
わたしの不安そうな表情を見てか、「だいじょうぶ、真剣に勉強すればとれない点数じゃないわ」と彼女は言う。
せっかく受験が終わったところなのに、また勉強するのか……。
「そして次のステップでは、試験ではなくて自主的なものになります。一見わかりにくくても、カリキュラムはちゃんと考えられているから、その点は安心して」
「イエス!」レイが力強くうなずき、わたしもつられるようにうなずく。「……はい」
「たとえば英語にしても、英語力そのものも大事だけれど、ほんとうに魔法少女になる覚悟があるのか、半年間見たいという意味もあるのね。魔法少女の秘密に直接かかわる次のステップでは、三年間をついやすからね」
ごくりと唾をのむ。その秘密がどれだけ重要なものなのかが推してはかれる。

決断を先延ばししたくて、別の角度から質問をした。
「えっと、魔法少女になれた人というのは、どれくらいいるんですか」
リカさんはまた考える顔をするが、「こういう言い方でいいかしら」と言って応じる。「わたしは魔法少女研究会の六期生なのね。あなたたちは十期生になる――」
十期生……。過去、募集した年が九回あったということか。
「わたしの年に関してだけ言うね。六期生のなかで魔法少女になれたのはわたしだけよ」
ひとりだけ!
「すごい!」とレイが言った。
彼女がエリート然として見える理由が分かったような気がした。「ほかの人は脱落したんですか」
「残念ながら」
「あの、すいません……」触れていいことなのか気にかかったが、思い切ってわたしは訊く。「そもそも、この魔法の原理はだれが見つけたんですか」
予想に反して、「安心して」とリカさんは微笑んだ。「ここの大学の助教授よ。応用自然工学部のね。だから理論的な根拠がないわけじゃないの。むしろ、一般人には理解できないような高度な理論にもとづいている。ちなみに、彼女が魔法少女研究会のトップね」
「彼女、ですか」
「そう、女性。わたしたちはロウィンって呼んでる。魔法少女研究会の創始者にして、現時点、最強の魔法少女」
それから、とリカさんは語調を変え、脅かすように言葉を並べてゆく。「人嫌い。冷血。気難しい。気性が荒い。口が悪くて、人使いも荒い」
言葉が並べられるたび、わたしはのけぞる。
「ここだけの話、見た目も怖いのよ」そう言ってリカさんは、最後にいたずらっぽい顔をした。
「ええ!」
「ふふ。忙しい人だから、会うことはほとんどないと思う」
「はい!」レイがぱっと手を上げた。「魔法少女の先輩たちは、いまどんな活躍をしてるんですか!」
きた。彼女らしい直球だ。
「うーん、プライバシーに関わるのよねぇ」またリカさんは人差し指をくちびるに持っていくが、「でも知りたいよね」と、指揮者のようにさっと振った。
おお、セーフなのか。
「ふたりとも、水泳の金メダリスト、水島選手は知ってるかな?」
「はい、ニュースで観ました」
わたしは、どうだったかな……。
「彼女はね、ここのOBなのよ」
まさか。レイと顔を見合わせる。
「どういうことだかわかる?」
もしかして――、
「そう、彼女は魔法で夢をかなえたのよ」
「はい! わたし契約します」レイが手を上げる。おもいきりよく言った。え、いいの? もっとよく考えなくて。
「嬉しいわ」リカさんが微笑む。
当然、彼女は、次にわたしのほうを見る。「あなたは?」
「わ、わたしは……」迷った。――が、しかし、心のもう一段深いところでは、答えなどとっくの前に決まっていたのだ。理想の女性リカさんに出会い、その彼女の口から「魔法少女」の言葉を聞いた瞬間に。

だからわたしは、その答えを口にした。すると、彼女はうなずき、彼女特有の、ちょっと含みを持たせたような、魅力のある笑みをつくった。「よろしくね、メイデン」
メイデン――? 「なんですか、それ?」
「あなたのコードネームよ」
そして彼女は、「秘密結社にはつきものでしょ」と茶化した。
「ええー、わたし、メイデンって呼ばれちゃうんですかあ」
「ふふふ、わたしたちが『柱』と呼んでいるものから取ったの」
きょとんとする。
「柱っていうのは、まあ、それぞれの祭神みたいなものね。今はそんなに意識しなくてもだいじょうぶ。在学中はそうしたコードネームで呼ぶのがならわしなのよ」
わたしは不満の声を洩らす。「せっかく、ほのかっていう可愛い名前があるのになあ。わたし、早く卒業したいです」
リカさんが笑い、レイも笑った。キャンパスライフはまだはじまったばかりじゃない、と。
「わたしは? わたしは?」レイが騒ぐ。
「あなたは、そうね、まだ好きな音楽を絞れないみたいだから……」
リカさんは机の上の携帯端末をふたたび手にとった。「しばらく貸してあげる。表示部に再生中の曲の『アーティスト名』が表示されるでしょ。コードネームには自分がいちばん気に入ったバンドの名前を使うの。長くなりすぎないように適当にカットしてね。アイアン・メイデンだから、メイデン、みたいに」そう言ってわたしを見た。照れてしまう。
「わかりましたあ!」とレイは、その、音源のたっぷり詰まった端末を受け取った。

ああ、しまった!
ここでわたしは、自分がとても浅い眠りのなかにいて、あの日の記憶を再生しているのだと気づく。現実とほとんど違わない、とても鮮やかな記憶を。
またひとつ過ちを発見した。あのとき、わたしも貸してもらって、五百曲以上あったらしい端末の中身を、じっくり聴いておくべきだったのだ。レイは後日、どの曲もとてもいい曲だと言った。わたしは、へえそうなんだ、と言った。

携帯が鳴る。
リカさんのものだった。
「……はい。……ええ、はい」
どうしたんだろう。様子がおかしい。リカさんの顔色が変わっている。
「――わかりました」一分にも満たない短い通話が終わったあとも、その顔色は戻らなかった。「まずい、彼女……、ロウィンがくるわ」彼女の狼狽が、声音へと変化したかのよう。想定外の出来事だと語っている。そんな彼女の様子が、こちらに伝染しないわけがない。「えっ、えっ。わたしたち、どうすれば」
「とにかく、よろしくお願いしますとだけ言って」
「はい」
「それから、もし、アンディ・デリスか、マイケル・キスクかと訊かれたら、かならずキスクと答えて。ぜったいデリスって答えちゃだめ」
「はい?」
どういうことだ。何を言ってるのかまったくわからない。あのリカさんが、教育番組のお姉さんがてんぱっている。大きな緊張の波動が伝わってきた。
そしてここは夢らしく、その後多少はあったはずの時間がカットされ、講義室の扉がぎいいと音を立てる。扉が、ゆっくりと開かれる。

――ボスは、現われた。
背が高い。
黒ずくめ。存在感がある。その一角にむかって、講義室の空気が凝縮してゆくようだ。
先入観のせいか、彼女のまとう――光沢のないマントのような質感をした――黒の上下は、中世の絵画で見る魔女の装束を思わせた。
もちろんこれは誇張した表現であり、実際は、洗練されたデザイナーズブランドと言ったほうが近いのだろう。そのブランドマークなのか、胸の端のほうに、かぼちゃをくり抜いて作った人の顔のマークがあった。

意外と若のか? いや、そうでもない。まったくの年齢不詳である。西洋人のような彫りの深い顔を、ひたすら白さの目立つハリウッドメイクのごとき化粧類が、層となって覆っている。それでも目の下にある隈は隠しきれていない。
気圧される。身体の芯が凍てつくような感覚。入り口からこちらを見つめる彼女の顔は、表情を殺した、冷酷な科学者のような顔つきに見えた。(なんとか工学部の助教授ということは、実際に科学者なのだろうけど)
わたしは蛇に睨まれたカエルのように動けない。彼女はこの場ですでに、いくつもの魔法を使っているような気さえした。

ところが彼女は、わたしたちをさっと観察しただけで、そのまま帰ろうとする。
え、それだけ。思わず声がでた。「あ、あの……」
その瞬間、目の端に、リカさんの硬直した顔が映った。
ドアを閉める直前、その人は振り向き、冷たい目でわたしを見て、まるで巨大な氷のつららで攻撃を仕かけるかのように、こうつぶやいた。「ピンクバブルごーえいぷ」
ドアの閉まる音。とり残される三人。

ぴんくばぶるごーえいぷ……。胸のなかで繰り返す。このときわたしは、その後畏怖の念へと変わる、ボスの底知れない奥深さを感じたのだった。

【次回予告】ジャケ買い

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