白紙の短冊

 今年ももうすぐ七夕である。
 七夕と聞いて、私には今思い出しても苦々しい思い出がある。
 それは地元の盲学校(現在は視覚特別支援学校)の中学部2年生の時のことだった。

 その時の中学部は、2年生に私一人、3年生に二人と、生徒が3人しか居なかった。
 そのため体育や音楽など、大人数で行う授業は、高等部普通科や小学部の生徒たちと一緒にやることが多かった。
 土曜日の2.3時間目に、小学部の生徒たちと一緒にやっていた特活(特別活動)の授業もその一つだった。
 この特活という授業は、歓迎会や餅つき大会などの様々なイベントを、企画の話し合いから運営までを、全て自分たちで行うという、今思うとたいへん画期的な授業だった。
 毎年7月の始めには、七夕集会をやるのが恒例になっていた。
 七夕集会では、そうめん流しをしたり、ゲームをやったり、願い事を書いた短冊を、笹野葉に飾ったりしていた。
 その年も、七夕集会の1週間ぐらい前から、みんなに短冊を配って、その間に書いてきた願い事を、七夕集会当日に笹野葉に飾ることになっていた。
 だがその時の私は、短冊に書く願い事が、どうしても思い浮かばなかった。というより、毎年毎年かないもしない願い事を書くという子供じみたイベントに、少しうんざりしていたところもあったのかもしれない。
 今だったら周りに合わせて、その当時なら「モーニング娘になりたい」とか、「gacktさんとデートしたい」などと、恥ずかし気も無く書いていただろう。
 しかし中学2年という、自画が芽生え始める年齢も手伝って、その時の私は、あえて短冊に願い事を書くことをしなかった。
 願い事なんか無いのに、それでもみんなに合わせてバカげたことを書く方が、かっこ悪くてださいと思っていたのだ。
 だからその年の七夕集会の笹の葉には、「勉強をもっとがんばりたい」とか、「お金持ちになりたい」など、みんなの様々な願い事が書いてある短冊の中に、何も書いていない白紙の短冊が1枚ぶら下がっていた。

 集会が終わって帰り支度をしていると、突然担任から理科室に来るようにと言われた。
 なぜこんな時に理科室に?!
 不思議に思いながら、指示された通り理科室に行ってみると、短冊が白紙だったことをこっぴどく怒られたのだ。
 なぜ理科室という場所で、七夕の短冊が白紙だったことをこれほどまでに怒られなければならないのだろうか。
 怒りと悲しみが入り混じったような、何とも言えない苦々しい気持ちになったことを、今でもよく覚えている。
 仕方ないではないか。願い事が何も思い浮かばなかったのだから。
 でもその時の私は、ただただ謝ることしかできず、担任に反論することができなかった。というより、反論する術を持ち合わせていなかった、いや持たせてもらえなかったと書く方が正しいかもしれない。
 今思うと、あの時担任が怒ったのは、願い事が思い浮かばなくて、短冊を白紙にしたことではなく、七夕集会の短冊に願い事を書くという、みんなに合わせた行動を取れなかったことを怒っていたのだということも分かる。
 自分の言動を正当化しているみたいに聞こえるかもしれないが、それでも願い事が思い浮かばなくて、七夕の短冊を白紙にしてくる人が、一人ぐらい居ても良いではないか。
 たとえそれが協調性を乱すかもしれないようなことだったとしても、それでも一人一人の個性を尊重するというような現代の教育なら、その言動だって、その人の個性ではないのか。
「そうか、願い事が何も思い浮かばなかったのかー。それなら仕方ないよねえ」
あの時もしも誰かがほっこりと笑いながらそう言ってくれていたら、あの時の私は、今でも残るあの怒りと悲しみが入り混じったような、何とも言えない苦々しい気持ちにならなくてすんだかもしれないのに…。
 七夕が近づいてきている今年も、そんな苦々しい記憶がふと蘇るのであった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?