見出し画像

田の声

小さい頃から田んぼのそばで育った。

小学校低学年の頃は、幼馴染と田んぼでおたまじゃくしを捕まえたり、トンボを捕まえたり。
レアキャラのヤゴを見つけたり、田んぼに石を1つ投げ入れて、近所のおばあちゃんにしこたま怒られたり。
田んぼがあるのは私の普通だった。

福島は暑いけど、夜は比較的涼しい。
自室の窓を全開にして、扇風機を回せば快適に眠れる。
開け放した窓からは、田んぼで生きるカエルたちの大合唱がそれなりのボリュームで響いてくるんだけど、それをBGMにして眠ることができた。
そんな育ち方をした。


地元を離れてからは、田んぼを見かけることすら少なくなった。
大学は比較的農地もある場所にあったため、少し歩けば田んぼもあったのだけど、わざわざ田んぼに歩いて出向く用事もない。
必然的に、私の生活に田んぼは現れなくなった。


田んぼから離れた生活を9年送った。
10年目の今、引っ越してきたアパートの目の前に、田んぼがある。

内覧の時から気がついていた。
目の前が田んぼだなと。
そしてウキウキしていた。田んぼに水を張る季節を楽しみに待っていた。
わたしは稲穂が風に揺れる姿が好きなのだ。
水面に映る青空が好きなのだ。


今日、冬の間休耕していた田んぼに水が張られた。
晴天の日差しを受けて、水面がキラキラと輝き始める。

今、布団に横になりながら、カエルの大合唱を聴いている。
命溢れる田の声だ。

それだけで、なんだかずっと子どもの頃に戻ったような気分。


田植えは明日か明後日だろうか。
水鏡の上に整然と小さな稲が並ぶ姿は小気味よい。
鮮やかな緑色は元気をもらえる。

そういえば中学生の頃は、毎日田んぼの間の通学路を自転車で走りながら、田植えが始まったら稲刈りまであっという間だなぁと考えていたことを思い出す。

田植えがされ、小さな稲穂が夏の陽射しを浴びて育ち、徐々に穂を重くして垂れ下がり、金色に輝き、そして刈られる。
その一連の流れが、気がついたら終わってしまっているような日々を過ごしていた。


今年もそう感じるだろうか。
田植えが始まり、その稲が育ち刈られるまで、私はどんな日々を送るのだろうか。
命溢れる田んぼで実った米を食べる時、私は何をしているのだろうか。

とにかく今日からは、10年ぶりに田の声をBGMにして眠る。

この記事が参加している募集

ふるさとを語ろう

新生活をたのしく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?