コーヒーを淹れる
今日は能登の話はおやすみで、日常の話を。
初めて自分でコーヒーを淹れたのは高校生の頃だったかな。
あくまで勉強のお供として。
一人暮らしを始める時、最低限のキッチン用具の中に陶器のコーヒードリッパーを入れた。
20歳くらいの頃にミルとコーヒー抽出用の赤いポットを買った。
それを機に北浦和駅前の豆屋さんで豆を選ぶように。
ガリガリと豆を挽き、ゆっくりゆっくりコーヒーをおとす作業が好きだった。
豆の変化を見ながら、どう淹れると美味しいか考えるのは、化学の実験にも通じるところがあって性に合っていたんだと思う。
コーヒーを淹れる時間が好きだったのに、産後私はコーヒーを淹れられなくなった。
理由はシンプル。
ゆっくりゆっくりコーヒーを落としている時間がなくなったのだ。
赤子は泣くし、泣いてなければ私は寝たいし。翌年もう1人産まれたし。
育児の忙しさに追われ、コーヒーを淹れるということから私は遠ざかっていた。
子どもたちが2歳と3歳になった頃だろうか。
ようやくコーヒーを淹れられそうな時間が作れるようになり、もう一度コーヒーを楽しもうと思った。
だけど、できなくなってた。
コーヒーを淹れるのって、ゆっくりゆっくりとした作業。
そのゆっくりとした作業のあいだは、自由な思考が広がる時間でもある。
その時間を愛していたんだけど、いつの間にか私はその時間に耐えられなくなっていた。
その頃にはもう、浦和のアパートで過ごす日々の生活が苦しくなっていた。
自分が自分でなくなっているような、ずっとトンネルの中にいるような、そんな気分。
もちろん楽しいことはあったと思うんだけど、何かを心から楽しめたって記憶がない。
そんな状態の私は、コーヒーを淹れることができなくなっていた。
コーヒーを落としているあいだ、自由になった思考が、ネガティブな考えばっかり連れてくるようになっていたのだ。
コーヒーは、淹れる瞬間が1番香り高い。
大好きな香りに包まれ、ゆっくりとした時間を過ごすはずなのに、あたまのなかに余計な思考ばっかりが充満する。
その時間に耐えられなかった。
コーヒーを落とす途中で耐えきれなくなって、ドリッパーごとシンクに投げ込んだこともある。
明らかにやばい。やばい奴。
今なら当時の自分に言える。
「あんたやばいよ!こんな生活やめなよ!」
だけど当時の私は自分が限界に近いことを見て見ぬふりをして、生きていた。
浦和のアパートを飛び出して3ヶ月が経った。
思い立って、実家にしまっていた、20歳の頃に買ったコーヒーミルと赤いポットを引っ張り出した。
それから、家の近くのコーヒー豆屋さんに足を運ぶ。
ずらりと並んだ豆は全て生豆で、注文するとその場で焙煎してくれた。
早めの自分への誕生日プレゼントと称し、コーヒードリッパーとサーバーを購入。
もう大丈夫かな、と思った。
もう大丈夫だと確認したかった。
家に帰り、お湯を沸かし、焙煎したての豆を挽く。
がりがりがりと、懐かしい感触。
ドリッパーに挽いた豆をセットして、お湯の温度を調整して、お湯を注ぐ。
ゆっくりゆっくり。細く細く。
新鮮な豆は生きているように膨らみ、コーヒー豆として最高の香りをたたせた。
しばらく蒸らしてから、二投目、三投目のお湯を注ぐ。
淹れたてのコーヒーを飲んで、安心した。
私は大丈夫だ。
私は元気だ。
だってコーヒーが淹れられた。
ゆったりとした気持ちで、その時間を愛しながら。
27歳、季節は春。
1杯のコーヒーで、私は私の心が生きていることを知った。
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