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わたしとガンダム 〜続・続・続 SEEDFREEDOM

SEEDの映画見に行きたい。

もうすでに3回もあらゆる方式のSEED FREEDOMを見に行ったのでもう満足(4DXは首が痛くなる)した!

でも、ここに来て、もう1回だけでもいいから映画に行きたいという気持ちに駆られている。

なぜかというと、、、

①小説を読んだから

基本的に映画のストーリーそのままの話だけど随所にあのときの登場人物の心情が書きすぎじゃない程度に丁寧に描かれていた。また、ある登場人物の出自やどうしてそのような姿になったのか、というのも丁寧に説明されていたので、映画の解像度がグッとあがる。ただ、見方を変えると映画本編に関わる重要な設定を映画の中で何故説明しないのか、とも言える。個人的にはそんな説明は映画ではいらないかな派(いらないかな派ってなんだ。)。
 ある登場人物の出自などについては、本編で断片的に説明はされていた(ほんとに断片だけど)。
 敵陣営の親玉は遺伝子研究というつながりで前作の人物と接点があり、デスティニープラン推進派であること。今回の戦いが役割で人の価値を決めるという行為を改めて否定するためであることがなんとなく分かれば充分だと感じた。ここで敵側のことをダラダラと説明されたら正直ダレていたかな。
 

②制作者の話を見たりに聞いたりしたから

先日、NHKでドキュメンタリー?が放送されていた。

制作者側の話を聞くのが好きなので見てみた。自分が思った倍以上に子どもたちに向けてメッセージを伝えたく情熱を持って作られていたんだなと感じた。子どもだからといってごまかしていては戦争がよくないことは伝わらない。確かに当時高校生だった自分はSEEDを見て、報復の連鎖の先にある虚しさやら、今の世界情勢みたいだなとか思っていた。(もちろんモビルスーツも大好き!

また、当時はデスティニープランもそんなに悪いわけではないんじゃないか、と思っていた部分もあった。最近改めてSEED、DESTINYを見ると、遺伝子でその人の役割を決めることでその人自身が自由に生きる権利と責任をとりあげてしまう怖さみたいなのを強く感じるようになった。そう考えると放送当時10代だった自分にすごく刺さってますね。

このように、いろんな媒体でSEEDの刺激を得て、解像度が上がった気がするので、映画にすごく行きたいのですよ、というお話。。




おしまい。


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