メンターが変わる(私と仏教)
最近、住職兼経営者兼
空手家兼ユーチューバー兼文筆家
兼セラピスト(整体師)の
大愚元勝さんのユーチューブ「一問一答」を
暇さえあれば拝聴させて頂き、学びの日々です❀
大愚さんに出会ったきっかけは
私の場合、
YouTubeからではなく
書籍がきっかけでした。
かなり珍しいと思います。
2020年のいつ頃であったか記憶にないですが
発売されたばかりだったのでしょう、
書店に平積みされていた
”苦しみの手放し方”
という本のタイトルが私の目に
飛び込み、中身もよく確認せずに
秒で購入したこと、覚えています。
(お坊さんの本であることは認識していました☺️)
2020年はちょうどコロナ禍1年目、世界中が
混乱の渦の中にありましたが
我が家もその渦に飲み込まれた年。
この年から長男が
引きこもり大学生となり、友人や家族どころか
母親である私とも完全に会話が断たれ
悩みもがいた時期であった為、本から
突破口をどうにかして見出したかった
(=救いを求めた)のだと思います。
学び深き良書でしたが
私はもっぱら映像より
今時珍しい活字派人間。
息子との関係は
茨の道と共に2年の歳月をかけながら
改善させていきましたが
その後、ユーチューブも見てみよう、、とは
ならぬままでした。
いや、そもそもこれまでの私は
大愚さんに限らず
ユーチューブを
殆ど活用しない人だったんです。
家族や友人やお客様にもこのご時世、
ユーチューブを見ないの?と
度々驚かれていましたが
横になってゴロゴロ(ユーチューブを見ながら)
する時間なんて殆どないような
生活を送っていましたのでね。
家事に努め、三息子の母を努め、長男の問題に努め、
日中は仕事をし、ブログやその他SNSを定期的に
更新し、フリーデイは友人と出かけたり、、の生活。
毎日の就寝時間が0時を超える
ことなんてザラ、
みんな、
そもそもいつ、ユーチューブを見ているの?
という感じでしたから。
時間の生み出し方が下手くそなんでしょうね。
インスタグラムのダラダラ閲覧
も大いに影響があったろうと思うのですが。
最近ではネットフリックスやアマプラ
も度々活用していますが
(HuluやFODも試したけど今は解約)
ここ数年はスマホでドラマや映画を
自宅でのんびり見る時間など殆ど持たずでしたし、
仮に見るなら日中、家族や友人もしくは一人で
最新映画を映画館で観ることを選択していました。
ただ、
有料動画(自己投資して視聴権利を得た動画)
は見ていました。むしろ動画閲覧は
こちらで手一杯という感じで。
そんな、時代に逆らい続けていた私でも
2022年の半ばあたりから
あるスピリチュアルユーチューバーSさんにハマった
ことがあります。
(やはりこの方も書籍がきっかけ。)
以来、時折Sさんのユーチューブを見る機会
がありましたが
→今は全く見ていない^^;
Sさんの声が
眠りに誘う心地良さ(周波数)
であったことと
毎日毎日
日中フル回転しているので
心身疲れきって最後まで見終えることは
ほぼなく、当時も
子守唄変わり活用させて
いただいているような状態でした😅
あの頃から、
大愚さんの一問一答が
“見なさい〜 見なさい〜”
と何度も何度も
広告として
差し込まれてくるのですが
「あ〜ン 唯一のこのフリータイムに
坊さんの説法なんて聞きたくない〜!
寝かせてえ〜」と
逃げて逃げて
“見ないようにしていた”
そんな感じです。
今年の春、9年前の病が再発したことで
身体には不自由さがありますが
自由な時間は増えているので
あの「苦しみの手放し方」の坊さんの説法を
もう一度落ちついて聞いてみよう、、
という心境にようやくなれた
(=内側が静まり返ってきた)こと
さらに
何なら2020年の
あの頃より今年は苦しいこと。
(あれほど悩んだ息子との関係は今は良好です)
さらに、さらに
9年前に病を発症して
痛い痛いと子供みたいに
ワンギャン泣き喚いていた頃の方が
ある意味、正直で真っ直ぐで
今思えば
まだ救いがあったなと思うほど
今回ばかりは誰にも言えない、
家族にも友人にすらも言えない(言っても理解など
してもらえない、いや家族や友人だからこそ言えない)
深い深い苦悩が自分の内側にあったこと。
誰にも言えない悩みを抱えたのは49歳になり
はじめての経験です。
勘違いされたくないのでこれだけは言っておくと
罪を犯したわけではありません。
大愚さんのユーチューブ番組、一問一答が
いつからはじまったのかは存じ上げませんが
(古い動画を見てると2016年のものがあるので
7年くらい前かしら?)
一問一答で勇気を出してご相談された
沢山の方々のお悩みを聞かせて頂く中で
「もうこれ以上は無理だ、限界だ」
と苦しみの境地に陥った時に
導かれるようになっている
番組なのだろうなあと感じます。
中途半端に悩んでいる人は
そもそも真剣には見ないのだろうと。
なので、
もうかれこれ7年も前からある番組が
2023年が
わたしのタイミングだった、
ということになります。
今は、大愚和尚様の説法が
心の救いであると共に
彼の本を読破しようと
コレクションを始めたり(まだ三冊目だけど。
そして今日、四冊目を発注♡)
何より好きなのが
大愚和尚様のメルマガなんです。
(彼の誕生から住職に至るまでの11話シリーズ)
メルマガを拝聴し、今年
51歳になる大愚さんの人生を聞かせて頂く中で、
私の人生にも仏教と縁があった事を
思い出したのです。
実は私は
仏教学を学ぶ学校と言えば、、の
和尚様と同じ
K大学の短期大学卒であること。
選考は英語英文科でしたが、仏教学は強制的に
必須科目でしたので、毎週月曜日の一限は
座禅での始まりでした。
月曜日の朝の座禅など
大学生にとって
最悪でしかありません。
私は学生時代、土日は殆ど家にいない、
遊びに命をかけていたタイプでしたから
終電や朝帰りもしょっ中。
睡眠4〜5時間の状態で
座禅の授業は睡眠時間にあてていたほどです。
しかしながら、
ご想像どおりの甘い考え、
体が傾いたり、うっかり船を漕いでしまうと
竹刀?のような棒で
坊さんからビシッ!と背中や尻を
叩かれます。
痛いし、叩かれるのは嫌なので
どうにか、寝ないように
この苦痛な1時間を楽にやり過ごす
最善の方法は?と
幸せな事を
ひたすら思い出すしかないだろうと
週末のデートや
昨晩、彼と燃え上ったエッ○な事を
アレヤコレヤと思い出しては
心の中でニマニマすることで
やり過ごしていていました😂
悟りとは真逆の内面、
全く意味のない座禅タイム。
その悪しき心を
まるで見透かされるかのように、
そんなイヤらし〜い妄想をしている時に限って
目をつけられ、
眠っていなかったのに決まって
お仕置き(竹刀)が飛んでくるのです。
(あれ、ほんと不思議 笑)
未熟な私に仏教を伝えても
まるで意味がなかったなあと
今ではただの笑い話ですが
大学とのご縁により
仏教から完全に離れることはありませんでした。
夫と付き合う前の彼は和尚様と同じ
K大学の仏教学部。
今思えば、大愚和尚様とは2歳しか変わらないので
(つまり同じ時期に私たちは大学生だった)
一度くらいはすれ違ったことが
あったのかしら?等と妄想もしてみたり☺️
当時の彼は寺の息子でもない、
むしろ普通の男の子で
滑り止めしか合格しなかったその学部で
毎日の学校が
つまんねーつまんねーと、
どちらかというと大学を
サボッてばかりの不良青年でしたが
バンドマンで
小さなライブハウスでライブをすることに
情熱を注いでいた人でした。
(ベーシストでした。花束を持って
ライブに応援に行った甘い想い出があります)
とにかく、二人で
仏教なんてくそくらえだよね!と
教えに逆らいまくって生きていた時代、
という記憶しかありません。
また当時、美人の友人が
ある寺の坊さんに口説かれ
友人経由で、当時25歳
(なのにまだ学生 笑。
今思えば単なる出来の悪い息子じゃないか🤣)
そのお坊さんと友人として
というより、妹のように可愛がっていただき
仲良くなったことがありました。
彼は寺の息子だったので
坊主頭でしたがとても裕福。
ベンツやBMW、Jeep等等
寺の敷地には高級車が4.5台停まっているような
坊主丸儲け!と言われても仕方のないほどの
ボンボンでした。
これまたわたしの悪しき心、
したたかな考えから
「仲良くしていると良いことしかない」
と、友人とお寺に遊びに行く毎に
親しくなってゆき
お寺の掃除のアルバイトを
させていただいたり
(寺中の窓拭きを2時間するだけで一万円)
彼の後輩も交えて
頻繁に遊びに行ったり、
色々ご馳走になったり
皆で旅行に行ったり、、
していた時代がありました。
後輩くんたちも皆K大学でしたが
寺の息子くんは坊主だったり、
特に志なく大学に入った子は
見た目は普通の大学生だったりと
色んな子がいましたが
比較的、女性には奥手でナイーブな印象の方が
多かった記憶があります。
そんなK大学仏教学部の青年らと
何かと関わりのあった
私にとっては、大愚和尚様の学生時代の話は
身近に感じられるものがありました。
和尚様は学生時代から優秀なので
当時の、しょーもない私たちとは
雲泥の世界ですが
和尚様は和尚様であの時代をもがき
苦しんでいたのだなあ、、と思うと
不思議なまでの親近感が湧いてきます。
他、
和尚様が学生時代に過ごした川崎市は
私が結婚1年目〜3年目まで過ごした土地
また福厳寺は愛知県小牧市。
愛知県は、夫の転勤で小さな息子たち(三兄弟)
を連れ人生ではじめて関東を離れた唯一の土地。
さらに原因不明の全身の痛みを経験し、
その苦しみを糧にセラピスト(整体師)
になられた過去につきましても
これまた勝手にご縁を感じたのでした。
いつか大愚道場に参加し、
リアル大愚和尚からの
教えを請うことが夢なのですが
今暫くは無料の範囲で学ばせて頂き
本を完全読破出来た頃、、
検討していきたいです☺️
その頃は、
今より元気になっていることを願って。
こうして書いていくと
なんだか、
そうなっていけるような気分になってきます。
そして、本日のタイトルにある
新しいメンターとは
まさに大愚和尚様のこと。
仏教では勝友とか善友
等と言うのでしょうか。
自分にとって魂的成長を促してくれる人物は
友人であれ、身内であれ、著名人であれ、
例えネットだけの繋がりの世界であれ
「勝友」なのだそう。
そして、そんな「友」こそ
大切にすべき存在であること。
私は長年
ワタナベ薫さんのファンでしたから
メンター(=勝友)として2016年頃から
ブログを読み続けていましたが
私の内側で
今年は何か
大きな科学変化があったのだと思います。
薫さんの文章が響かなくなり、読まなくなり
(良い事は沢山書かれていますが、波動の問題)
今は毎日、大愚さんの発信に触れ、
時に笑い、時に号泣し、時に戒め、
心地良さを味いながら、堪能する日々です。
人は誰でも変化する生き物。
メンターが変わることだって
自然なことなのだと思います。
そもそも(勝手に)メンターと
思っていた方自身も
変化されていきますもんね。
ともかく
若い頃、あれだけ、仏教くそ食らえ!笑
と思っていた私が
49歳にしてようやく、ようやく
自分の内側に
「仏性」を育んでゆきたいという
純粋な気持ちが湧き上がっていること。
人生って本当に面白いなあと感じます💐
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