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平成の空気

 先日、ホームセンターでバランスボールのカバーを買った。
 これまではパソコンで作業のときは、椅子に腰かけていたのだが、バランスボールを椅子代わりにしてみたら、これが案外よかったのだ。
 よかったとなると継続して使いたい。継続して使うとなると、見た目も、肌触りもいいほうがいい。

 と、いうわけで、早速買ってきたカバーを被せてみることにした。

 私はてっきり、膨らんだバランスボールにこのまま、カバーを着せればいいと思っていたのだが、広げてみると、カバーには15センチほどのファスナーしかついていない。しぼんだ状態のバランスボールをカバーに入れ込み、そこから空気を注入して膨らませる仕様のようだ。
 どうやら一度、空気を抜かなければならないらしい。

 面倒くさいなぁと思ったが、それをしないとカバーがかけられない。私はしぶしぶ、ボールに差し込まれたピンを外して、中の空気を抜き始めた。
 シューシューという音を聞くうちに、ふと思う。

 このバランスボール、いつ膨らませたんだっけ?

 今の住まいに越してきて、そう日が経たないうちに空気を入れた気がする。東京の多摩地域から、埼玉に越してきて丸7年。だとすると、今、私がシューシュー抜いているのは、7年前の空気ということになる。

 ちなみに今、令和6年(2024年)の5月1日である。
 ちょうど5年前の今日(2019年5月1日)に、平成から令和になった。
 と、いうことは  
 ひょっとしたら、このバランスボールの中に入った空気は、日本に実在する、最後の「平成の空気」かもしれない。
 そう思い至ったとき、バランスボールを押さえつける手が止まった。

 北海道の土産物に、摩周湖の霧缶、という缶詰がある。

 中に入っているのは、北海道川上郡弟子屈町にある摩周湖の霧。
 パカッと開けたら、霧が立ち込める仕掛けがあるわけではなく、実際は何も入っていない、空っぽの缶詰だ。
 だが、摩周湖の霧を感じようと思えば、感じることができる。自分の想像力をいかんなく発揮できる缶詰でもあるのだ。
 何よりも《霧を詰めました》と銘打つ、その発想が素晴らしい。これは、缶詰の名作だと思う。

 私は考えた。
 もし今、ポリ袋を持ってきて、このバランスボールの空気を入れたら、《平成の空気》として、摩周湖の霧缶のように売りに出せるのではないだろうか。
 私の頭の中に、

 ビジネスチャンス!

 の文字が、デカデカと浮かび上がった。

 だが、同じようなことを考える人はいるものだ。
 調べてみると、岐阜県関市にある日本平成村で採取した《平成の空気》という缶詰が、既に世に出回っていた。
 ちなみに、岐阜県関市の《平成》は《へいせい》ではなく《へなり》と読むそうだ。しかもこの《平成の空気缶》は、なかなかの売れ行きだったらしい。

 我が家のバランスボールに残っていた空気が、日本平成村で採取した《平成の空気》に敵うはずもない。私の頭をかすめたビジネスチャンスは、摩周湖の霧よりもはかなく、幻のように消えてしまった。

 何だかもったいないような、少し惜しい気持ちで、私はバランスボールを潰し続ける。
 現存する最古(かもしれない)の平成の空気を抜きながら、5年経ってようやく、
   平成は終わってしまったんだなぁ。
 と、改めて実感したのだった。



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