切り絵作品集(初期)2006〜2009(18歳〜20歳)
※この記事の掲載作品の模写・複製・転載は固くお断りします。
切り絵作家としての活動も16年目になった。これを機に改めて、今までの制作の履歴を振り返ってみようと思う。ここでは切り絵を始めた18歳、2006年から、初めての個展を開催する2009年3月までに制作した作品をなるべく記憶の限り時系列に並べてみた。まだ作家になるということや発表するということを視野に入れる前の描きたいものを自由に描いていた時期で、その作品は雑誌のポーズの模写だったり、オリジナル作品としては不安感のある作品も多いが、それらを説明した上で、切り絵の習作の記録として掲載したい。
2006年から2009年までの初期作品の特徴
2006年から2016年ごろまでの作品は、黒い線の切り絵作品で、自分の中で「初期の作品」と位置付けている。特に2009年までの作品は特殊で、「切り絵シート」という美術教材を使用して制作している。糊のついた塩ビシートにシール台紙のような黒の紙が貼り付けてあり、紙を部分的に切り取り、空いた部分にいろがみを貼って作っていくという面白い仕様だ。
このシールのようにペタペタ貼る作業が楽しくて切り絵にハマったと言っていい。
その教材キットに入っていたのが「大理石模様の紙」で、それがまた雰囲気がおしゃれで気に入っていた。2006年の初めての1枚から数枚はこの大理石模様の紙を中心に色つけをしている。キットに入っていた紙は6種類程度。コピーして使っていたが、色数が足りなくなってくると自分で大理石の素材集を買ったりして、紙を作っていた。その他にも雑誌の切り抜きなど多様な紙を使っていた時代。
この頃の作風は今でも大好きだし特別な思い入れがある。
今作ろうとしても、この頃のようにはいかない気がして、他人の作品を愛でている気持ちにも似ている。
拙いが、感性の溢れていた若い時代の作品だと感じる。
「on the beach」B4 2006年11月(18歳)
「暇なら普通科の美術の課題の見本を作ってくれない?」
そう担任の美術科教師に言われたのが、私が切り絵に出会うきっかけだった。
高校の美術科に所属していながら、美大への進学を諦めていた私は、3年生の秋にもかかわらず卒業制作を作る以外にやることがなくて暇を持て余していた。
「この中から作りたいもの選んで」と渡された美術教材のカタログにいくつか付箋が付けられていて、その中から私が作りたいものを普通科の課題にしてくれるという話だった。その中に「切り絵」のキットがあった。他のはあまり興味がなくて「切り絵ならやってもいいよ」と私がいうと、担任はすぐ教材を取り寄せてくれた。
『なんでも好きなものを描いていい』と言われたので、迷わず水着の女の子を描いた。シートの裏側にペンで下絵を描いてそれを切って、切り抜けた部分に大理石模様の紙を貼っていく、表から見ると、黒い中に1パーツずつ浮かび上がってくる様子が美しかった。花を切りテーブルを切り、人物を切り、最後に海と空を切り出した。最初から計画的に描いたわけでなくその都度作品に合わせて黒の配分を考えた。
作り上げていく様子を見て担任が「お前ならこのくらいの課題は、あっという間に作っちゃうんだな」と感心するように言っていた。
一発勝負、修正が効かない作業だけど、その緊張感も、一か八かの賭けのような制作も今までにない感覚で楽しかった。絵画とは全く違う感覚だった。結局普通科の美術課題の見本として役に立ったかは知らないが、私自身は気に入って、水彩画と共に卒業制作展にも展示した。
この作品を後輩の女の子がとても気に入ってくれて「売ってください」というので、その気になった私は金額をどうしようかと父に相談した。しかし父は「この作品は売らない方がいいと思うな」と言う。だから売るのはやめた。当時の父がどんな考えで「売らない方がいい」と言ったかはわからない。でも、今となっては、手元に残しておいてよかったと思う。切り絵作家の私が生まれたきっかけの一枚だったのだから。
卒業するときに、担任に「この切り絵のキット、いっぱい買ってくれない?」とお願いして10枚くらい注文してもらった。作家になろうなんて考えたわけではない。単純に、また作りたいとそう思った。その後、鬱になった私の心を、この切り絵の制作が癒してくれることとなった。
2006年、高校三年生の時に作ったこの作品「on the beach」は、過去未来を足しても一番好きな作品だ。多分、色んな意味で、この作品を超える切り絵は作れないのだとわかっている。
「YOU」 2007年11月(19歳)
19歳、東京の国立のアパートで一人暮らしをしながら、切り絵を作っていた。美術に挫折し美大への進学を諦めた私は、高校卒業後、美術とは全く関係のない調理専門学校に通うため東京に出てきていた。しかし、一人暮らしを始めて早々、友人関係の揉め事など色んなことがあり、精神を病んでしまった。そこに追い討ちをかけるように父が他界した。もう何もかもが辛くなり、学校を辞めた。
時間ができた私は、大きな窓のあるアパートで、切り絵を始めた。なんとなく、またやってみたいと思った。花を描き、切って、女の子を描き、切った。高校の時に作った初めての切り絵のような細かさはないけど、魅力的な人物が切り出せたのが嬉しかった。アパートにはトレース台がなかったから、大きな窓に張り付いて、色つけの紙を型取った。
女の子の肌の大理石の模様がなんとも言えない表情を出している。石の色のどの部分を使うかで、肌の光や影が表現できるのが面白い。
髪の毛に合う色がなくて、何かないかと部屋を見渡して、前の日食べたミスドの紙袋を見つけて「これだ!」と思った。
ドーナッツが大きく印刷された紙袋の、ドーナッツの一部分を髪の毛の色にした。よく見ると後頭部あたりがドーナツの穴になっているのがわかるかな。
「christmas time」B4 2007年12月(19歳)
19歳の冬。クリスマスが近づいてきた。
メンタルを病み、調理学校はやめてしまったものの、1年契約で前払したアパートの期限が3月まで残っていた。実家に帰るのも勿体無いので、このまま東京でのんびり療養することにした。学校はやめたもののバイトは続けた。学校に行っていた頃は毎日9時から17時まで学校に行き、18時から24時までバイトした。2時に寝て7時に起きてまた学校に行く。宿題もできず、授業はボロボロだった。バイト先のファミレスのホールで「辛い」と心で呟きながら、思い詰めた顔でテーブルを拭いていた。学校をやめ、プライベートの嫌な人間関係も断ち切って、睡眠時間も取れるようになり少しずつ精神が元に戻った。辛かったバイトも楽しくなってきた。
作品は、ハート型のリースの中にカップルがいる。女性が男性の頬にキスをしている。手前のスイーツは、バイト先であるロイヤルホストの当時のメニューであるパフェとケーキだ。女性は私に似ていないが、男性は理想の顔を描いた。こんな素敵なクリスマスがあったらいいよねと夢見て。
そういえば、この年のクリスマスの夜、バイト先の先輩と付き合うことになった。作品がおまじないにでもなっていたのだろうか。
「瞬」B4 2008年1月(19歳)
躍動感のある作品を描きたかった。この作品は人物や花や色彩など、いろいろ粗が感じられて、自分では失敗のような位置付けだったが、当時バイト先に作品を数枚持参したところ、一人の先輩が「俺はこの絵が好き」と言ってくれたので、自分でもこの作品を認めることができた。
子供の頃から「風を感じる絵」を描きたいと思っていた。絵はもちろん静止画で、一瞬を切り取ることことしかできないが、その一瞬の前後を想像させるようことができたらいいと思っている。「瞬」というタイトルにその気持ちを込めた。
「風を抱く」B4 2008年1月(19歳)
人物と風景というテーマが好きで、よく描いていた。でも想像では描けないから、自分の写っている写真を元にして描くことが多い。
夏のある日、茅ヶ崎の海岸で、いつものように海を見ていた。この写真を撮ってくれた当時の彼は写真が好きで、スマホがなかったあの頃、デジカメで、よく私のことを撮ってくれていた。
大きく開けた空の部分をどうデザインしようかと悩んで、風を感じるような線を描いた。基本は今までのような大理石系の色彩なのだけど、一部分は明るく空の色が変わっている。線で世界が切り替わるような面白さのあるデザインになった。
私をよく知る人からは絵を見て「後ろ姿でも誰だかわかる」と言われる。
人の佇まいの癖はこんなに簡略化された線でも表現できてしまうようだ。
ちなみにこの絵を見ると、地元の人はここが茅ヶ崎海岸だとわかるという。
理由は、監視台の広告。当時の私は、見本の写真を忠実に描きすぎて、本来絵に入れない方が良い広告まで、しっかり頑張って切ってしまっている。こういうところが未熟で今見ると面白い。
「ひととき」B4 2008年2月(19歳)
窓辺で眠る女性の姿を描いた作品。簡素でリアリティのない平面的な室内は、写真ではなく想像で書いた線だということを感じさせる。
まだ何も見ないで、何かが描けるほどの経験値がないころの作品は、人物の形も怪しい。それでもなぜか味わいを感じる作品になっている。
空に唐突に浮かぶUFOのような雲と、転覆したような逆さまのカモメが、今の自分にはない感性すぎて少し羨ましくも感じる。
「まどろみ」B4 2008年2月(19歳)
水着の女の子を描くのは好きだけど、ヌードは初めて描いた。足の小ささとか、明らかにバランスのおかしな点さえも、切り絵になるとなんとなく味わいとして誤魔化されてしまう不思議さがある。
前作の「ひととき」と、この「まどろみ」。どちらが作ったのが先だったかは忘れたけど、窓辺の女の子という共通のテーマで作った。
ウクレレは当時の相棒である、父に買ってもらったMANAのウクレレがモデル。
辛い時、嬉しい時、いつもそばにいて、毎日私を癒してくれた大切な相棒だった。
「stained glass」B4 2008年3月(19歳)
切り絵はよく「ステンドグラスみたい」と見る人に言われる。黒い主線の間に収まるように紙のパーツを埋めていく作業は、ガラスのパーツを集めて繋ぎ合わせていくステンドグラスに、構造的にもとても良く似ているように思う。
この当時使っていた切り絵のキットの、塩ビシートのツヤツヤの黒や、大理石模様の紙の霜降りのようなテクスチャは、まさにステンドグラスのガラスの質感そのもののような気がする。この作品は元々ステンドグラスを意識したものではなかったものの、真ん中の十字の格子がステンドグラス感があるのでこのタイトルにした。
びっしりと埋め尽くすデザインが珍しく、今までのどの作品より時間がかかって苦労した記憶がある。
二人の女性は白い大理石の模様のおかげで、彫刻のような雰囲気で、肌色の作品よりも艶かしさが減り、上品な気品が漂う。
「Seaside Lover」B4 2008年4月(19歳)
人間の男性が、海で人魚に出会い、恋に落ちる。そんなドラマチックなテーマを中学生の頃から何回か描いたことがある。具体的にはサザンオールスターズの「涙の海で抱かれたい」の曲の世界観だ。何度かこの曲から浮かび上がってくる私なりの世界観を描いたことがある。
この絵の二人のモデルは、当時の雑誌ananの表紙である。表紙の某男性アイドルと、モデルの女性の向かい合うポーズが美しすぎて、ポーズをそっくりそのまま作品にしてしまった。今ではオリジナル作品として、トレースは許されないことだけど、ここに白状するので、作家になる前の自己表現の練習として多めに見てほしい。
「Bayside Lover」B4 2008年6月(20歳)
前作「Seaside Lover」との連作で作った作品。横浜、ベイブリッジのそばで抱き合う男女を描いている。
私の横浜への憧れはサザンオールスターズが由来で、特に「LOVE AFFAIR~秘密のデート」の世界観が夢に見た横浜だった。現実の恋は絵のように情熱的でドラマチックではないけれど、私の憧れの横浜は今もこの作品の世界にある。
19歳の頃、恋人たちの姿を作品にするために、ドラマや映画などの画像を参考にしながら、スケッチブックにキスシーンをたくさんスケッチしていた。私の初期の切り絵作品のほとんどの恋人たちは、そのキスシーンスケッチから生まれている。
「8月の終わり」B4 2008年8月(20歳)
ある日、恋人の車の車窓から、大きな空を見た。見慣れない田舎の線路脇に車を停め、彼がひととき車を離れた。あてもなく、彼に任せたドライブだったからそこがどこだったかはわからない。私はひとり窓の外を眺めていた。ただ夏らしい大きな雲が浮かんでいて、ゆっくり動いていた。それがとても美しかったから、写真を撮った。世界は静かで草の匂いがした。
16歳だった。
あの頃の記憶は今では断片的に思い出せるだけで、本当に目にした映像なのか、記憶が作り出した理想なのかも定かではない。
ただ草の匂いや大きな雲の動きだけは感情が覚えている。
あんなにそばにいた彼の顔や声を忘れても、この一瞬見た空は、これからも一生覚えている気がする。
「MY LADY」B4 2008年8月(20歳)
母に「派手な顔のお姉さん」と呼ばれている作品。母が気に入ってくれたので、この作品だけはなぜか母の寝室に飾ってある。瞼を閉じた人物ばかりを描いていたが、この作品で初めてしっかり目を開いた人物を描いている。チークとアイシャドウもばっちりなので、顔が派手なお姉さんだ。
ウェディングドレスを着て、ハワイの砂浜に立っている。という設定。
空の表現をどうしようと考えて、人物が引き立つように黒を多く残そうと考えたら、飛行機が飛び交った後のような、躍動感のあるデザインになった。
「イチョウ舞う午後」B4 2008年8月(20歳)
キスシーンではないけれど、キスシーンスケッチの中の一枚に、幸せそうなカップルを描いたスケッチがあった。秋の絵は描いたことがなかったと思って、イチョウの舞う作品にした。
私の作品の中では、他に比べてとても健康的なカップル像で、自分が思うより、見る人に褒めていただけた作品だった。自分自身では、こんな健康的でハッピーな恋愛の経験がないから、どこか嘘をついているような、知らない世界を書いているような、そんな気持ちだったかもしれない。
「ひまわり畑と私」B4 2008年9月(20歳)
2008年、20歳の夏、母と祖母と三人で長岡まつり花火大会を見るツアーに参加した。帰りは一泊し、翌日、群馬でひまわり畑を見た。これは、ひまわりと睨めっこする私を、母か祖母が撮った1枚から描いた作品だ。
まだ切り絵に慣れていなくて、デザインも色つけもやたら時間がかかっていたこの頃。この絵だけは不思議と何の迷いもなく、スムーズに休憩もなしに一気に6時間で完成させてしまったのを覚えている。
その後活動を始めてポストカードを販売すると、ダントツで人気の作品として、売り切れてしまうほどで、初期の私の代表作となった。
「時間をかけ、悩み、手間暇をかけたからといって、人に認められる作品になるわけではない」ということを、この作品から教えられた。不思議なほど、何の苦労もなく生まれてくるのが、素直に心に響くいい作品なのかもしれない。
いい経験をさせてくれた、今も大切な初期の代表作である。
「浜辺の親子」B4 2008年11月(20歳)
浜へと降りる階段に座り、まだ初夏の大洗海岸を眺めていた。波打ち際の親子が微笑ましくて、写真を撮った。幼い男の子は初めての海なのかもしれない。
私の初めての海も大洗だった。子供の頃、海のない栃木県から、最寄りの海である大洗のビーチまで、夏は渋滞で片道4時間くらいかかった。だから海なんてほとんど行かない。私にとって海は特別な場所だった。
この親子の佇まいは美しく、この後似たような光景を書こうとしてもなかなかいい表情の親子を描くことができなかった。2021年に発売の著書「平石智美の華色切り絵」では、この親子をそのまま別のビーチの風景で描いた作品を収録している。
2008年に見かけたこの子も、もう立派な大人になっているだろう。
「夕陽のChristmas」B4 2008年11月(20歳)
切り絵らしいファンタジー。自分としてはそのような世界観に初挑戦した作品だと感じていた。ポインセチアとロウソク。木々がハート型のフレームを作っている。細かく一枚一枚並べた葉の表現の仕方は、切り絵の王道とも言えるが、自分的には、藤城誠治の表現から学んでいる。背景は水彩で塗って作った。拙い背景グラデーションが、逆に、切り絵の素朴な味わいに似合っている。海に沈みゆく夕陽はハートの形をかすかにしている。
「夏を描く」B4 2008年12月(20歳)
茅ヶ崎に海水浴に来て、海岸通りのカフェでランチを食べた。静かな2階の席で、食事を終えて、私は何やらスケッチをし始め、その写真を彼が撮っていた。
「自分が絵を描いている姿」というのが珍しくて、自画像として切り絵にすることにした。当時の作品は、裏側に下絵を描く手法なので、写真をそのまま下絵として裏側に描いた。そのせいで作品は左右が反転して、利き手が左手のようになってしまっている。その辺り詰めが甘いのが当時の私。右上には多分お店の名前が入っていたのかわからないけど、文字が反転してしまうのは良くないと思い架空のカフェ名にしている。
なかなか険しい顔でスケッチをしているが、本当に私はこんな顔で絵を描いていると思う。
最近では、人に撮られる時は少しだけ、穏やかな顔になるように心がけている。
「誰も知らない」B4 2008年12月(20歳)
この作品は、わたせせいぞうの「東京エデン」の一コマを真似て描いた習作だ。本物は窓の外の虹を見上げている。この構図がハッとするほど美しくて、こんな作品が描いてみたいと思った。窓の外に巨大なクリスマスツリーと夜景を描いたが、パースがあっていないので「空飛ぶ家」になってしまっている。配色も初めて板締め染め和紙を使ってみた。
ポーズもほぼそのままなのでオリジナル作でなく練習の1枚として、どこにも発表したことはなかったが、記録として掲載しておきたい。
私が絵を志したきっかけがわたせせいぞうさんなので、私の作品の原点には必ずわたせせいぞうのエッセンスがある。「東京エデン」は10代の頃から特別に大好きな作品だけど、性的なシーンも多く、珍しい作品かもしれない。当時「東京エデン」が好きって言ったら「変わってる」というようなことを言われたけど、深みのあるいい作品だと思うの。
「in the moonlight…」B4 2008年(20歳)
「Seaside Lover」という切り絵と同じ「anan」の雑誌に掲載されたカットからポーズを拝借し描いた作品。ポーズ以外の背景はオリジナルで描いている。どこか南の遠い国の夜を思わせる空が印象的で、部屋のスタンドライトの灯りが妖艶な感じだ。
ポーズの美しさで気にせず描かせてもらったが、よくよく検証するととてもエロティックな想像をさせるシーンである。
配色の構成はなかなかいいと思う。いずれ作りたいと思っているラブシーン切り絵集を作るときは、この配色で制作すると、生々しくならなくていいのではないかとの気づきをくれる。
「SEA WIND」B4 2008年(20歳)
2008年はたくさんの作品を作ったが、自分にとっての原点はやはり最初の2作品のような「水着の女の子」であると考えて、今一度そのモチーフを深めていきたいと考えた。あの頃のように、と思いながら作ろうとするものの、思うように行かない。たった2年しか経っていないのに不思議なものだ。
この時なんとなく気づいたのは、数を作るうちに、一枚へのこだわりが減ってしまっているよな。ということ。もちろん、こだわればいい、詰め込めばいいというものではないのだが、初めての一枚は、もう次がない。という意味で、その一枚にできる限りのことを詰め込んだ。なんなら、「まだ作っていたい。完成してほしくない」という気持ちがあった。2枚目以降は「早く完成させたい」という気持ちが、作品から感じられる。それは線の単純さだったり、色の単純さだったり。
一枚の絵を、作者が楽しみ尽くすというのは大切なことなんだなと、感じる。
でも、わかっていても実際に制作になると難しい。
初心は忘れずと心がけても、初心を再現するのは難しいものだ。
「YUME…」B4 2008年(20歳)
アンリ・ルソーの「夢」という名作がある。私は西洋美術にあまり興味がなく、この頃は、その作品自体は目にしたことはあるけどタイトルは知らなかった。この切り絵作品に「YUME…」とつけたのは絵が完成してから、すんなりと出てきたタイトルがそれだったから。裸婦と南の島。ルソーの描いた同じモチーフに「夢」とタイトルがつけられていたのに気づいた時、通じる感性に、畏れ多くもなんとも言えない嬉しさを感じた。
日本語で使われる「夢」という言葉には大きく二つの意味がある。それは、夜寝る時にみる夢と、昼に起きている時に想う夢。全く違うようで、現実ではない何かを想像しているという意味では同じなのではないかと思う。
裸婦の背景の南の海には、夕日に照らされた男女のシルエットが。これは裸婦のみる「夢」なのか。それとも、この裸婦を含めて、見ている私の「夢」なのか。
夢の中で、夢を見ている。そんな思いで描いた作品である。
「コスモスロード」B4 2008年(20歳)
地元に鬼怒グリンパークという公園がある。秋になるとコスモス畑が素晴らしく、必ず見に行っていた。この年も母とお揃いの服を着て、コスモスを見に出かけた。その時撮影した母の後ろ姿の写真を、切り絵の作品にした。
夕焼けに長い影をつれて歩く姿は、少し俯いて物憂げに見える。
「この背中に哀愁があっていいですね」などとお褒めの言葉を言われたことがあるが、実は、この時は母が俯き加減で歩いているのは、携帯電話を見ていたからだ。
母、コスモスなんて見ちゃいない。
我が道をいくコスモスロードである。
「帰り道」B4 2008年(20歳)
2005年17歳の時、初めての海外旅行でハワイに行った。
ハワイの景色はどこもかしこも魅力的で、いつか絵に描こうと、何気ない風景も、道ゆく人たちも、なんでもカメラに収めた。
そんなハワイで撮影した1枚から描いた。ハワイらしさすらない風景だけれど、大きな雲と海が印象的な風景画になったと思う。
服やタオルを手に持ちながら、観光客が通り過ぎていく。どんなタイトルにしようかと考えて、「帰り道」と名付けた。
「春の海(朝)」B4 2008年(20歳)
「春の海(夕)」B4 2008年(20歳)
「春の海(朝)」と「春の海(夕)」は2枚で一組として発表した作品だ。波打ち際の近くに桜が咲いていることなんてないのかもしれないが、こんな風景があったらいいな、との思いで描いた。今では最も描く花が桜だと言っていいほど、桜の切り絵作品を数多く制作してきたが、これが最初の1作目になっている。
初期の代表作「ひまわり畑と私」と同じくらい、たくさんの人に愛でていただいた、ありがたい作品である。
「新宿の雪」B4 2008年(20歳)
その場所に行くと、思い出すという「記憶に紐づいている場所」というのが誰でもあると思う。私には上野や大宮など、聞いただけでそこで会った誰かや、若い日の記憶が思い出される街もあるが、新宿には、これといって思い出が結びつかない。
新宿でもいろんな思い出はあるのだけど、あまりにも大きな街と、たくさんの人混みの中では、自分の思い出を刻む場所すら見つからないのかもしれない。
しかし、この写真を撮った瞬間のことは覚えている。乗り換えのために通った少し古びた通路に誰も気に留めないような煤けた窓があった。そこから覗いた駅の景色が思いのほか美しくて写真を撮った。こんな窓の前で立ち止まる人なんて私くらいだろうな、と、通り過ぎていく人の足音を感じながら。
この絵は、2008年当時、駅の構内の通路にある、ロッカーか何かで塞がれていた窓のほんの隙間から、少しだけ見える景色を撮影して描いた。その後わりとすぐ、新宿駅も変わってしまって、今ではこの構図の景色は見ることができないのではないかと思う。
もう写真も残っていないので、その時の季節も時間も実は覚えていない。ここから雪を見た気もするが、この絵のイメージからくる記憶違いだろう。でもこの風景には雪が似合うとそう思った。雪や雨は、絵に感情を持たせてくれる。都会の無感情な風景にも雪が心を待たせてくれるように感じるのだ。
寒々しい景色の中で、ホームの明かりが人の温かさを放っている。
「湯上がり」B4 2008年(20歳)
今では付き合いの無くなってしまった当時の友人が、この絵を好きと言ってくれたので、今でもこの絵を見ると彼のことを思い出す。この作品は自分の中でいつまでも未完のような気持ちで、あまり良くできたと思っていないので発表していない。
「darling darling」B5 2008年(20歳)
いつもの半分のサイズ(B5)で気楽な気持ちで作った小作品。男女のポーズがセクシーでとても素敵で男女ともとても好みの顔つきになった。タイトルの「darling darling」はTUBEの2008年の楽曲タイトルから。
「江ノ島駅」B4 2009年1月(20歳)
2006年の冬のある日、友達数人で江ノ島観光をした。鎌倉駅から乗り、江ノ島駅に降り、お土産を見ている私と友人の1人を、もう1人の友人が撮影していた。その写真が良い感じで、2年経ってから、切り絵に起こした。
季節は夏にした。江ノ島に似合う大きな雲と朝顔を添えて。こんな真っ青な空の色は使ったことがなかったけれど、とても似合うと思った。
江ノ島駅前には小鳥付き車止めの「ピコリーノ」がいて、季節ごとに可愛いお洋服を着せられている。冬の写真をもとに描いてしまったので少し冬服っぽいかもしれない。
「今日からずっと」B4 2009年1月(20歳)
ウェディングをテーマに描いてみようと思った作品。教会のステンドグラスをイメージした上部のデザインと色彩で、今までの作品にないような壮大さと華やかさのある作品になった。主にフリーマーケットで活動をしていた頃、「ひまわり畑と私」と並ぶくらいに人気のあった作品で、この作品を見た人から、結婚式のウェルカムボードを描いて欲しいという依頼もたくさんいただいた。
人一倍、結婚式への憧れは強かったのに、結局、自分自身の結婚式はしたことがない。夢はいつまでも夢のままのがいいなというのが最近の考えでもある。
タイトル「今日からずっと」はTUBEの楽曲タイトル。「君となら」に続く、名曲、ウェディングソングです。
「桜の雨」B4 2009年(20歳)
桜の木の下で体を寄せ合う恋人たち。まるで雨が降るように舞い散る桜に、傘をさす、そこに二人だけの世界が生まれる。
切り絵の制作にも慣れてきて、雑さが目立つようになってきた。投げやりに作ってはいけないな、と反省した記憶が蘇る。勢いのある作品と、急いで作った作品は違う。これはこれで完成としつつ、これではアイデアが可哀想だから、いつかまた再挑戦したいと思っているテーマの作品ではある。
「TSUBAKI」B3 2009年(20歳)
20歳の終わりに初個展をした。その時のメインビジュアル用に制作した作品。いつものB4の用紙を縦に半分にして、それを4つ並べた。黒い下着姿の女性が四人。それぞれが違う個性を感じる。この作品には「それぞれの私らしさ」というサブタイトルがついている。
ハイビスカスと椿が、切り絵作家の私の最も好きでよく描く花である。どちらも真っ赤な花、またはピンクや白のイメージが強い。しべの黄色が差し色として美しい。切り絵の黒線に映える色彩をしているというのが好きな理由の一つ。
そして椿の花はその一輪一輪が、凛として、一つの意思というか個性を持っているように感じる。同じように見えてみんなそれぞれの信念のもとに生きている。
私らしさとは何か。初めての個展で、これから作家として生きていく上で、一番忘れてはいけないことを、密かに表現した。
「華」B5 2009年(20歳)
切り絵シートの特性上、今までは、四角形のフレームのような1枚の作品ばかり作ってきたが、初めてフレームのない作品に挑戦してみた。画像ではわからないけど人物の顔以外の白い部分は透明になっている。切り絵として、線を浮かす、という表現の発見に至った作品。下記の2作品も同様に。
「紅」B5 2009年(20歳)
「咲」B5 2009年(20歳)
「タイトル不明」 2009年(20歳)
B4の用紙を縦半分にして制作した女性の作品。
セーラームーンのネプチューンというキャラクターに似ている気がして、心の中でこの子のことはネプチューンと呼んでいる。
「タイトル不明」 2009年(20歳)
大理石模様の紙をパーツによて切り分ける今までの手法ではなく、単純に画面で色分けをしてみようとした作品。ピンク系のカラーペーパーを使用。悪くないけど、あまり個性が見られなくてつまらないと思った。
「想い」 2009年(20歳)
19歳の夏、江ノ島のどこかの素敵な場所で写真を撮ってもらった。
その写真の自分の姿をそのまま切り絵にした。
「僕らはここにいる」 2009年(20歳)
縁があって、ある劇団からチケットのイラスト制作の依頼を受けた。のちに10年近くグラフィックデザイナーとしてその劇団の公演があるたびに仕事をさせていただくこととなる。ひまわりが劇中のモチーフとして出てくる作品で、チケットにはひまわりの風景を白黒のシンプルな切り絵で制作した。劇中に小道具として「ひまわり畑と私」の作品を使用してもらった。
この時、チケットのデザインと合わせて、チケットの文字デザインと印刷所への入稿データ作成も依頼されたが、Illustrator初心者の私は全く作業ができず、DTPオペレーターでもあるという劇団員の方に電話で指示をいただきながらだいぶご迷惑をおかけして仕上げることになった。
その後、DTPができなければイラストレーターとして仕事をしていくのは厳しいなと感じてPCスクールでグラフィックデザインを学び出す。
今では、グラフィックの仕事も含め、PCでの作業で当たり前にいろんなことができるようになったのもこの仕事がきっかけ、感謝している。
つづく。
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