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「僕は金になる」

最近続けて読んでいる桂望実さんの本。昨日は「僕は金になる」を読んだ。面白かったというか、好みの作品だった。

両親が離婚し、「父と姉」「母と僕」がそれぞれ一緒に暮らすことになる。
父はギャンブラーで、姉は将棋以外何もできない。
一方の母は、看護師でちゃんとしている「ご立派」な人で、主人公の僕は「平凡」「普通」の子だ。

社会不適合の「父と姉」ではあるが、賭け将棋で暮らしながらあちこち転々とする。非常識なのだけれど、それなりに楽しそうに生活している。
人と同じようにできない、みんなが当たり前にできることができない、そんな姉は、そのことを受け入れて、そういう風にしか生きられないのだから仕方がないと潔い。
だからこそ、「ちゃんとしている」「普通の」弟をリスペクトしている。

将棋の天才でありながら、その能力を「努力」によってプロ棋士を目指す方向には生かさない。天才だからといって一発逆転みたいな物語になって行かない点も好ましく感じた。
どこか「ありそう」だと感じる。

人と同じようにできない、みんなが当たり前にできることができない、頑張れない。そんな痛みが私にもある。そしてそれは、「自分責め」「自己否定」もしくは「苦しい努力」に駆り立てる。
もっとダメなまま、ポンコツのままで生きればいい。
そんなことを思ったのだけど、やっぱりちょっとズキズキする。まだまだ「ダメじゃいけない」って思ってる。

離れて暮らし、生き方も生活も全く違う家族だけど、なぜか絆があり結局家族愛みたいなものがある。そんな関係性にも癒される。

この物語のどこがそんなに好ましいのだろうと考えて、「うらやましい」がちりばめられているのだと気づいた。

ちゃんとできなくても、一つ好きなこと「将棋」があって天才的な才能がある姉りか子がうらやましい。
「ちゃんとできない」ことを受け入れて、その自分で生きるりか子がうらやましい。
堅実に生きつつ、己の「平凡さ」を受け入れて、ぶっ飛んだ家族を持つ主人公がうらやましい。
ギャンブラーで働かず、どうしようもないくせに、子や孫に囲まれた最期を過ごすことができているお父さんがうらやましい。

うらやましいうらやましいのは、ゴールデンシャドウ?
自分の中にもそのエッセンスがあるのかな?
矢印を自分に向けて、私は私の人生の主人公なのだって思い出そう。

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