内藤たみこ

ビリーフリセット認定カウンセラー/コーチングプレイス認定コーチ/社会福祉士/精神保健福…

内藤たみこ

ビリーフリセット認定カウンセラー/コーチングプレイス認定コーチ/社会福祉士/精神保健福祉士/かんもくサバイバー

最近の記事

課題設定

「わからない」がデフォルトで、時々、何にもわからないの渦に飲み込まれる。割とよく飲みこまれている。 何か論理的なものに対する反発のようであり、ただ単にわからないだけであり、自分を無力化する罠であったり、まあなんだかんだ意味づけはあるものの、とにかくそういう状態なのだ。 「わからない」の最たるものが、「何が問題なのかわからない」である。 わーっと情報がたくさんあって、ピンポイントにここが問題ですって単純明快にできない。そもそもの「枠組み」とか、合わせるべき「基準」「社会」の方

    • 今日の気分を数値化してみることにした

      日々、流れていく、過ぎていく。 何かが大きく変わったわけでなくても、毎日の気分は変動する。 昨日、どうしようもなく、イヤだ嫌いだ生きてるのツラって、とりとめのない気持ちが溢れて氾濫して溺れそうだった。 今日も昨日の「続き」のような気持ちで生きていたはずなのに、ふと気づくと、昨日よりも気分は「マシ」になっている。 これは、あえて気にしなければ気づけないような些細なこと。しかも「気分」などという曖昧で目に見えない不確かな基準。 それでも昨日と違うぞ、昨日より楽だぞと気づけたのだか

      • むきになっている夢を見て疲れる

        どうでも良いことに拘って、向きになってキーっと力が入って疲れる夢を見た。昨日は怒って力んで疲れただったので、同系統の夢だと感じた。 しんどい。 頑張りどころがわからない。だけど、「そこじゃない」感を感じている。「そこじゃない」ところで頑張っているというか、力が入っている。我慢しているのかもしれない。 夢の中ではこんなにムキになって、力が入って疲れているのに、現実世界では、「頑張れない私」「無力ベースの私」を必死に生きている。 なんだか、アンバランスなんだよなぁ。 何もした

        • 怒りで力んで疲れた夢

          夢の中で怒りを露にしてプンプンしている場面で目が覚めた。 疲れる。何やら「失礼な扱いを受けた」って言って怒ってて、周りがしらけているので、こんなことされて怒るわたしがおかしいのか?と益々怒っているというシチュエーションだった。 おそらく、現実場面では、こんな風に「怒り」を表出することはしない。まあまあ不機嫌だったりムッとしている場面は多々あるとは思う。でも、なかなか表立っては怒れないし、公共の場で怒鳴っていたり「怒り」をまき散らしているひとがいたら、拒否反応を起こしてしまう

          「生きづらいでしたか?」

          すき間時間にサクッと読んだ「生きづらいでしたか?」 「生きづら」は、気になっちゃうワードだ。 先日オーディブルで野口聡一さんの「どう生きるか つらかった時の話をしよう」を聴いた時にも「当事者研究」のことが出てきたので、フラグが立っていたこともあり手にした一冊。 生きづらさを「病」として捉えるのではなく、経験として身を委ね観察し、乗りこなしたりやり過ごしたりといった付き合い方を獲得していく。 それぞれの独自性があり、それを取り出して眺めてみる。自分だけで眺めるのではなく、み

          「生きづらいでしたか?」

          安心して「いる」

          「いる」ことに拘って、打ちのめされて、焦がれて、とにかく「いる」ってことは人生のテーマだ。 そこには「生きづらさ」も絡んでいて、割とナチュラルにデフォルトで「わたしなんていない方がいい」「わたしはいらない」と思っていた。 この考えを「存在否定ビリーフ」と呼ぶ。 では、ビリーフリセットでわたしの「存在否定ビリーフ」はなくなったのかというと、決してなくなりはしない。考え方の「クセ」でもあり、今でもひょっこり顔を出す。 では、何が変わったのか? まず、「当たり前」に存在否定ビリー

          安心して「いる」

          内側に意識を向ける

          意識を内側に向ける。 分かっているけど意外と出来てない。 だけど、ガッツリ瞑想するとかでなくても、内側に意識を向けることはできる。 今日は心穏やかに過ごした一日だった。 「外側に答えはない」 なんとなく浮かんできた本日のテーマだった。 いつも通り過ごして、本を読んだりオーディオブックを聴いたりしていても、それでも「内側」に意識が向いている気がした。 焦りがない落ち着いた感覚。 一人でマイペースに過ごせたからかもしれない。 閉じていることは平和だ。だけどそれが理想なのか?

          内側に意識を向ける

          「他者といる技法」

          「社会」というものに、それなりに拘ってきた。というか、何かしらひっかり、つっかかり「社会」ってなんだよと葛藤し続けている。 もちろん「こころ」「内面」の探求に目を向けて、一応の納得とかもあるのだけれど、そこに「社会」の視点ってどう絡んでくるのか、いや逃げられないから厄介なのか。 とにかく漠然とし過ぎている。 それを整理する手がかりになるのではと手に取ったのが「他者といる技法ーコミュニケーションの社会学」だ。 確かに、それだ!と思う視座が得られた。だけど難解でまだ整理しき

          「他者といる技法」

          「自分はいらない人間なんだ」

          オーディブルで「どう生きるか つらかったときの話をしよう 自分らしく生きていくために必要な22のこと」を聴いた。 宇宙飛行士なんて、エリートでものすごい経験をされている方でも、「自分はいらない人間なんだ」ともがき苦しむことがあったなんてびっくりだ。 私自身、生粋の「生きづら」とバリバリの「存在否定」を抱えて生きてきた。こんなこと考えてるのは「自分だけ」と思い込んでいた時期もあったけれど、本当に普遍的なテーマなのだなと思った。 コロナ禍を振り返り、「不要不急」、今までの当た

          「自分はいらない人間なんだ」

          天邪鬼

          素直じゃない。知ってる。わかってる。 時々自分でもうんざりする。 「みんな」「ふつうは」「全員」が、いいね!いいね!だけだと、バランスをとりたくなる。本当にそうかな?違う考えもあるよね。 そう考えることは悪くない。 っていうか、「それは本当ですか?」ってビリーフリセットだし。 別に悪くない。それなのに、なんで悩むのだろう。 それは、いつでも健全なクリティカル精神を発揮してNOと言っているわけではないからだ。 それと、仲間に入れない、入りたくないって、勝手にいじけているから

          筋力アップするべきなのか、本当か?

          ゴロゴロしながら本が読みたい。 最近の願いだ。単にナマケモノなだけと過小評価していたけれど、実は結構深刻かもしれないと怯えている。 座って読む、立って読むことも可能だ。むしろ集中力の面ではそちらの方がじっくり読める気がする。だけど、しんどいのだ。 体幹が弱っている。もともと軟弱、脆弱ではあったけれど、急激に衰えている。本当にしんどい。特に大きな病気をしたとか、原因は思い当たらないのだけど、なんでだろう。しんどい。 今日は雨だし、風も強いし、家から出ないという選択肢が浮かぶ

          筋力アップするべきなのか、本当か?

          思いついたから備忘録

          昨日の続きってほどではないけど、ちょっと引きずっているかもという備忘録。 「光」について いろいろ解釈の余地はあるのだけれど、それが正しいとか間違っているとか、良いとか悪いとかではなくて、ただ自分はこれじゃないなの感覚。 それは、「暗闇を照らす役割」だ。 「光」には、暗闇を照らす役割りという側面はあると思う。ただ、私のお役目はこれではないと思った。 だからどうってこともなく、唐突にそう思った。 それがこれから進む方向に何らかのヒントになるのかならないのかも分からないけれど

          思いついたから備忘録

          身体の声を聞いてみた夜

          数日前の夜、お腹の胃のあたりに違和感を感じていた。ワサワサする。その部分にフォーカスしていくと、『コソコソする』が浮かんできた。 はて? 小さな何かが奥に隠れていく。 とにかく不快な感じで、体が不協和音を奏でている。不協和音を聞きながら、ふと、なんか声でもかけてみようと思い立った。 「怖かったね」←うーん?なんで過去形? 「いてもいいんだよ」←なんで許可制? どうも声かけは不調に終わる。 しばらくウトウトしながら不協和音と共に過ごす。 だんだん明るくなってきた。

          身体の声を聞いてみた夜

          システム•クラッシャー

          今日は盛りだくさんな一日だった。 盛りだくさんの真ん中で、映画を観た。濃い映画だった。 最近、邦画ばかり観てるなーと思ってたところに気になる映画の情報が飛び込んできた。 「システム•クラッシャー」 ドイツの映画だ。 まず思い出したのは、トリイ•ヘイデンさんの「シーラという子」という本だ。 キレて大暴れするこども。手がつけられず、受け入れてくれる施設が見つからない。被虐待経験。 「大変な子」 子ども目線で見ると、痛々しくて、どうして受け入れてくれないのーとヒリヒリする

          システム•クラッシャー

          これでいいのだ。いいのか?まぁいっか。

          あれこれ読みたいので、じっくりとか、何回も読む本は少ない。当然、忘れる。 何年か前に読んだことは覚えていても、内容が出てこない本がたくさんある。「逆ソクラテス」もそんな一冊だ。 https://lp.shueisha.co.jp/gyakusocrates/ 今回、オーディブルにあったので聴いてみた。 聴いてみると思い出す。大まかには思い出せても、細かい所は忘れているので新鮮に楽しむことができた。 表題作の「逆ソクラテス」では、思い込みや決めつけをぶち壊す試みが描かれて

          これでいいのだ。いいのか?まぁいっか。

          人生のテーマなのかもしれないね

          意味がないとか、役に立たないとか、いても仕方ないとか、それらの課題がいつもいつも立ちはだかってくる。そのたび、捉え方を変えて「これは意味があることだ」としてみたり、「意味なんかいらない」と開き直ってみたり、「そんなのどっちでもいいよ」と鷹揚に構えてみたりと対処法を身に着けてきた。 それはそれぞれ、そこそこ有用だったわけで、今のわたしを生き延びさせている。 それでもどれも「そこそこ」で、やっぱりムクムクと同じ課題が何度も現れる。ゾンビ状態だ。 もはやゾンビと共存するしかないの

          人生のテーマなのかもしれないね