中世の死生観を知ったらお能も歌舞伎も深くわかった(気がする)
以前、こんな本を読んだのです。
『畜生・餓鬼・地獄の中世仏教史-因果応報と悪道』
きっかけはお能。近所のお店にお能マニアの店員さんがいて、演目をそれはそれは面白おかしく説明するのが上手です。
ある時、お能のチラシを持って、これ面白い?と聞くと、
「これは、地獄に堕ちた人が現世の人に呼ばれて(供養ですな)一緒になって歌って踊って過ごすんですけど、”オレ、地獄に堕ちてんじゃん”とハッと気づいて戻っていく、という話です」
ナニソレ観たい!となりました。
その時に「地獄って堕ちたらもう戻って来られないんだっけ?」という話になり、図書館で地獄地獄と呟きながら探したのがこの本でした。
結論から言うと、堕ちてしまったらまず戻れないようでした。地獄の入口、閻魔庁で地蔵菩薩様が救って下さる例はあったものの、信心深ければ救われるというわけでもなく、それも運でしょうか。そして本格的に地獄へ堕ちてしまうと、地蔵菩薩様が地獄の責めを代わって下さっている間に現世に顔を出して、自分の子孫に供養を頼むしかないようです。
では、戦が生業の武士は、必ず地獄行きでしょうか?
いえいえ。歌舞伎で、何かあった後に仏門に入る武士がいたことを思い出します。自分の所業を悔い、相手が浄土へ行けますようにと供養するのだそうです。
「末代まで祟られるより、いっそ斬られて死んだ方が良い」
と、怨念を畏れる文化だという背景も理解に役立ちました。戦いに勝った方が相手を祀るのもそのためでしょう。末代まで祟られたら、勝っても意味ないですものね。
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映画『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』を観たのも、地獄のシステムがわかって良かったかもしれません。あの地獄はちょっと楽しそうでしたが。
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