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PMSと本来の自分

 最近PMS(月経前症候群)を軽減する薬が増えて、テレビでCMが流れるようになった。
 テレビを見ていたとき、そのCMを見た夫が言ったこと。
「若い女性タレントがこのCMに出るんだね」

 それを聞いた私は、PMSと更年期障害を混同しているな、と思い、夫にはPMSは月経前症候群、生理がある女性なら誰でもなる可能性があるもの、更年期障害はあなたがイメージしているものでたぶんあっている。
 だからPMSの薬を若い人気タレントが宣伝することは違和感はない、と説明したが、「ふうん」という反応で伝わったのかどうか少しあやしい感じ。

 もしかしたら同じ勘違いをしている男性、あるいは女性も、意外と多いかもしれない。

 PMSのやっかいなところは人によって症状が異なることや、特に情緒面に症状が現れることではないかと思う。

 私自身は若い頃はPMSの症状を感じたことはなかったが、出産後、徐々に現れるようになった。
 しかし、しばらくの間はそれがPMSだとは気が付かなかった。自分とは無縁のものだと思い込んでいたからだ。

 それらの症状がPMSだ、とわかってからもしばらくはかなり翻弄された。  
 普段であれば大して気にならないことも、その時期になると自分でも驚くほどの苛立ちに支配されてしまうのだ。

 例えば、ティッシュを使おうとしたとき、箱が空になっている。新しい箱をストックから出そうとすると、ストック場所にはまだ開封されていないパッケージがある。パッケージを開けてゴミ箱に捨てようとすると、ゴミ箱がいっぱいになっている。ゴミを押し込んでいる間に、夫が新しいティッシュボックスだけをひょいと持って行ってしまう。

 たったこれだけのことで、頭の中にイライラが充満して爆発寸前になる。
 誰が悪いわけでもない、タイミングが悪かっただけだと一生懸命自分に言い聞かせる。

 それでも、
「空になっていたことに気づいていたんじゃないか」「ゴミはいっぱいになる前に押し込んでっていつも言ってるのに」「『ありがとう、持ってくね』くらい言えないのか」
不平不満が口からこぼれそうになる。我慢我慢……。

 そんなときに「なに? どうしたの? なんでそんなに機嫌悪いの?」「朝からやめてくれない?」最後のだめ押しをされて決壊する。

 一度これが原因で夫婦喧嘩になった。

 どうしようもないのだ、と。自分でもわかっているから、文句を口にするのを我慢していたのだから、こういうときは刺激しないでくれ、と訴えると、「でも感じ悪いよ、なんとかできないの?」と言われて切れた。

「なんとかできないから、世の中の女性が苦しんでるんでしょう。だから、薬があってあんなにCMが流れているんでしょう!」

 夫は一瞬黙った。そして「ごめん」と言った。
 彼なりに辛さに気づいてくれたのだ、と思いたい。

 夫の名誉のために言っておくと、決して理解のない方ではない。むしろ生理痛で横になっていたら、心配してくれるし、休みの日なら頼まなくても食事のデリバリーを手配してくれるような人だ。
 子どもが生まれるまで私にはPMSの症状がなかったこともあり、感情のコントロールが効かなくなるとは想像できなかったのだと思う。

 製薬会社の「生理でもハッピー」というキャッチコピーは賛否両論あるようだが、私は肯定派だ。
「生理『でも』ハッピー」
 そう、普通は「生理『だと』アンハッピー」なのだ。

 こうした現象が、体の中を巡るホルモンの作用だということは知識としてはわかっている。
 しかし、ときにコントロールできないほどの感情の起伏を引き起こす、このホルモンの存在が怖くなる。ホルモンの作用に支配されているとき、本来の私はどこに行ってしまうのだろう。
 それとも、それらも含めての私自身であって、ホルモンは私の中に潜む攻撃性を引っ張り出しているに過ぎないのだろうか。

「自分がコントロールできないものに支配されているような気がして、気持ちが悪い」と夫に言ってみたら、「何を言っているのかまったくわからない」と返された。

 そうだろうな、思う。そして、彼にとってはそういうものなのだということを、忘れないようにしようと思った。

 

これまでに、頭の中に浮かんでいたさまざまなテーマを文字に起こしていきます。お心にとまることがあれば幸いです。