見出し画像

日本に蔓延る言論コントロールがなくなる日は来るのか


とても美しい映画だった。

ここ最近観た映画の中でも、断トツでお勧めしたい映画だ。

MINAMATA。

40代の私は、学校の教科書で出てくる、四大公害病の一つとしての水俣病しか知らなかった。MINAMATAというタイトルを見て、グロい映像を覚悟したのだが、結果は予想に反していた。写真として投影される水俣病は、映像美だった。

日本の公害病を異国の人達がどう描くのかに興味があった。だが、この映画で描かれていたのは、日本人の私達が持つ、昔の日本のイメージそのものだ。ハリウッド映画ではよく日本が描写されるようになったが、アメリカ人がイメージする日本であることが多く、日本人から観るとギョッとするような色彩で描かれることがほとんどだ。

客間などない庶民の日本家屋。座敷に布団を敷き、ジョニー・デップが寝転んでいる。主を演じる浅野忠信が、白い上下のステテコ姿で、ジョニー・デップの足元を通り過ぎる。ドラム缶に湯を沸かし、ジョニー・デップが入浴する。

日本人として、なんだかくすぐったくも、微笑ましくも感じるようなシーンが数多く登場するのだ。

そして、目を見張るのが熊本弁だ。真田広之をはじめとした豪華俳優たちが操る熊本弁は、大河ドラマさながらだ。裏方に熊本弁指導者がいるとしか思えない。また、日本文化に精通した人々が細かい演出指導を行っているとしか思えない映画だ。日本人が観てもひっかかるところが一つもない、日本そのものの描写。ところが、どういうわけか、不思議なくらいエンドロールに日本人の名前がない。日英の共同制作であってもおかしくないくらいなのに。

ぜひ、ご自身の目で確かめてほしいと思う。

エンドロールでは、坂本龍一の旋律に心を奪われることだろう。


さて、この映画。初盤で絶句することとなった。

チッソ株式会社が海に垂れ流した水銀。魚介から人が水銀を接種し、脳性麻痺を引き起こした事件なのだが、公害と認定されるまでの長い道のりの中で、アメリカのLIFE誌が事実を公にしていたことが解決の一助となっていた。

富士フィルムの広告に関連した仕事を引っ提げ、写真家の元を訪れたのがアイリーンだ。資料を携え、水俣病の現状を世間に公開してほしいと写真家に訴える。その写真家を演じるのがジョニー・デップというわけだ。

またか。。。

正直、うんざりするような気持ちだった。

つい最近、BBCが日本のジャニーズ事務所の問題を世界に発信し、大きな展開を見せたばかりだ。日本の隠蔽体質は未だ継続している。私達が知らない時代からずっと日本メディアではなく、海外メディアが日本の不正を暴いている。

民主主義の平和な国であったとしても、政府による言論コントロールは未だ存在する。日本人なら誰もが認識しているところだが、新聞の紙面ではほとんど同じ内容が扱われ、独自ネタを大きく報じるメディアは少ない。あったとしても、政治家の不正や著名人の不倫だ。そこにもまた、一メディア人の正義感ではなく、誰かを引きずり降ろそうとする意図が見え隠れする。

日本の問題をリークするアメリカでさえ、同じ状況だ。Twitterでの検閲が話題になったのも記憶に新しい。あると思っていた言論の自由が、先進国ですらも得られていなかった。

言論の自由は大衆の意見が正となってしまう危険も孕んでいる。だが、事実や問題提起すらも、事前に消し去ってしまう言論コントロールは世の為になるとは思えない。

誰もが認識することとなったこの問題を、誰が問題として捉え、誰が改革に乗り出すのか。

そろそろ目を覚まさなくてはならない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?